『アタシ』への道   by(宰相 連改め)みなひ




ACT9

 あれは誰だ。
 自分に問いかける。あの顔。あの姿。あれは、斎だ。
 本当に斎なのか?
 信じられなくて、また問う。
 纏う殺気。血を浴びた身体。そして何より、見たことのない金眼。
 誰なんだ。


「オマエ・・・・斎だよな?」
 そろそろと訊いた。目の前にいる者が低く唸る。威嚇。獣のそれと錯覚した。
 冗談じゃないよ。野生に戻ってるじゃん。ただでも脱出できるか怪しいってのに。ちょっと泣きたくなった。
「斎、行こう。ここはもう、危ないんだ」
 一歩踏み出し、そっと告げる。それが、一歩後ずさりした。
 あっちゃー、警戒しまくってるよ。
 こういうのは笑えない。笑うだけの時間もないのだ。
 どうする?
 瞬時に自問した。周りはそろそろ限界。程なく焼け落ちるだろう。結界の防御力だけでは、防ぎきれない。
 逃げるか?
 こんな所でもたもたしてたら、助かる命も助からなくなる。だけど、問題はあいつだ。
 あれは斎だ。少し、いやだいぶん、オレの知ってる斎とは違うけど。確かに、あの姿は斎のものだ。証拠に、オレが施した増幅印がある。
 本当、増幅印なんていらなかったね。余計タチが悪くなっちゃって。
 今さらながらに苦笑する。知らなかったとはいえ、これは全くの誤算。だが、しかし。
 オレの目の前にいる奴。それは、あの斎なのだ。斎なら連れてかえらなければ。どうしてこうなってるのか知らないけど、ここを離れてからゆっくり調べればいい。とにかく、命あってのモノダネだ。
 行こう。
 もう一度声を掛けた時、斎が印を組んだ。火術印。やめろ。そんなことしたら、周りが崩れるだろうが!
「よせ!」
 オレの叫びも虚しく、火炎は放たれた。必死でそれを防ぐ。第二陣が繰り出されようとした時、ついに天井が崩れた。
「うわっ」
 燃えさかる岩々が襲う。駄目だと思ったその時。
 バシンッ。
 衝撃音。ものすごい風圧。とっさに身を屈めて凌いだ。その場の炎が消える。バラバラと細かい石礫が降ってきた。オレ達を襲うはずだった岩が粉砕されたのだ。
 嘘だろ。
 呆然とする。あれだけの炎を消し止め、岩を砕いたのか。
 あいつ、本当に斎か?
 正直、結界力には自信がある。だけど。これだけの力を相手にしては、敵わない。
 ゆらり。
 立ったままの斎が動いた。印を組んでいる。ぎくりとした。
「斎、やめろ。な?」
 情けないけど宥めにかかる。渦巻いてゆく気。どんどん量をなしてゆく。
「オレよ。・・・・・・わからないの?」
 向けられる金眼。縦長の瞳孔。大型の肉食獣みたいな。
 猛獣使いって、えらいねぇ。
 余裕がないのに関係ないことを思ってしまう。オレの馬鹿。もっと考えろ。
 バチッ。バチバチッ。
 凝縮された気が火花を放つ。ああいうのくらったら、無傷ではすまない。
「おいっ!オレだって!水木だよ!」
 焦って叫んだ。ぴたり。斎の動きが止まる。渦巻く気さえも静止した。
 わかったのか?
 びくびくしながら様子を窺う。一端消し止められた周りの炎が、じりじりとオレ達に迫ってきていた。今のうちに脱出しなければ。
「ミズ・・・・・キ」
 絞り出した声。まさしく斎の声だった。少しホッとしながら言葉を放つ。
「そうだ。水木だ。だから、ここから逃げよう。任務は完了したんだ」
「ミズキ!」
「うわっ」
 オレが言い終えた瞬間、斎が突進してきた。反射的に逃げる。天井に開いている大穴を通じ、オレは砦の外に出た。
 脱出はできたけど、これ、どうするよ。
 全力で駆けながら思った。必死で逃げ道を探す。といっても、どこに逃げたらいいのやら。
 バシンッ。バシンッ。
 傍の木が、渡っている枝が、次々と粉砕されてゆく。斎は砕破術を使いながら、オレを追ってきていた。あの馬鹿。当たったらどうすんのよ。
 畜生。やられたまんまじゃ済まさないから。
 火術印を組む。傷負った方が大人しくなるからね。炎を放った。
「はあっ!」
 放った炎が斎を囲む。ちょっとやりすぎたか。オレは足を止めた。
 ぱしん。
 燃えさかる炎が消し飛んだ。立ち籠める煙の中から、金の目が覗く。にたり。口元が僅かに上がった。
 冗談だろ?
 泡食ってまた逃げ出した。炎まで粉砕するつもり?強力な攻撃結界。あんなの、訓練中には見せなかったじゃない。隠してたってわけ?
 炎の弾がオレを襲う。火には火ってわけ?この野郎、丸焼けにするつもりだな。
 じりじりと斎が追い詰めてくる。術使ってるくせに、どうしてこんなに速いんだよ。
「!」
 目の前に空が広がった。しまった。崖だ。地形を見ながら走る余裕がなかった。
「くっ」
 腹を括って踵を返す。崖を背に結界印を組んだ。一か八か、閉じ込めてやる。
 封印結界。全力で斎を取り囲む。これで、時間稼ぎくらいにはなるはずだ。
 斎は結界の存在に気付いたらしい。まわりを見渡す。砕破印を組んだ。
 結界まで裂くつもりか。
 そんなことをしたら、張り裂けた結界の切れ端に中の者は切り刻まれる。防御結界まで張れるのか? 
 押されている。
 オレの結界が、あいつの術に。なんて力なんだ。
 バシンッ。
 一際大きな破砕音と共に、オレは崖の方へ吹き飛ばされた。まずい。着地出来ない。崖下へ落ちてしまう。
 あーあ、やっちゃったな。
 落下しながら思った。
 ま、でも、斎から逃げられたからいいか。
 どこかに掴まれないかと探す。しかし、手ごろな岩や枝は見当たらなかった。
 とりあえず、この落下速度をどうにかしないとね。
 そんなコトを考えていた時、腰が何かに囲まれた。人の腕。まさか。
 ぐい。胴体が引き上げられた。体勢が変わる。気がつけば、斎の肩に抱えられていた。
 オマエ、何してんの!
 眼前に地面が見える。このままじゃ叩きつけられてしまう。対処できない。
 斎が片手で印を組んだ。砕破印。あのねぇ、馬鹿の一つ覚えじゃあるまいし。
 地面が砕ける。土煙。砕破の衝撃で落下速度が緩んだ。斎が着地する。
「ぐえっ」
 完全に消せなかった着地の衝撃が、斎の肩を通じてオレの腹に食い込む。内臓が戻ってきそうな気がした。
 どさり。抉られた地面の上に投げ出される。うずくまって咽せた。酸欠。やっと空気を確保して顔を上げた。 
 見ている。
 瞬き一つせずに、金色の目がこちらを見ている。
 背筋に震えが走った。
 ざくり。
 斎が一歩を踏み出した。また一歩、進んでくる。
 危険信号。全身を駆け巡っている。逃げろと。あれはやばいと。掻き鳴らされている。でも。
 動かない。
 まるで金縛りにあってるみたいに、身体がぴくりとも動かせない。
「・・・・あ・・・・」
 恐怖。今までいろんな経験をした。それなりに、修羅場も切り抜けてきた。だけど、それを遥かに上まわるものが、オレを捕らえている。
「!」
 喉を掴まれた。気道が押さえられる。息が、できない。
 斎の腕を引き剥がそうと手をやった。力が入らない。霞んでくる意識。必死でもがいた。
 駄目だな。
 ぼんやりと思った。今のオレに、この腕から逃れる力はない。よしんば逃れたって、あれだけの力差を見せつけられて、逃げ切れるはずがない。
 味方に、それも相棒にやられちゃうって、水木さんも落ちちゃったねぇ。
 本来は見捨てるべきだったのだ。あれだけの惨状。新兵器とやらは、跡形もなく消し去られただろう。任務はそれで遂行された。砦になど帰らず、そのまま和の国へ帰ればよかったのだ。斎だって言ったではないか。自分を見捨ててくれと。
 目の前が暗くなってくる。手足も痺れて。全てを諦めかけた時、掴まれた首ごと投げられた。したたか、肩と右腕を打つ。痛みに呻いた。
 がしり。
 首の後ろを掴まれる。頬が地面に押しつけられた。ああもう、潮時だねぇ。
 しっかり決めてしまったオレの覚悟は、斎の次の行動にもみ消された。
「痛ッ!」
 項に牙が落とされた。痛みに顔を顰めている間に衝撃。服が裂かれた。
 何をするんだ。
 もう予測がつかない。嬲るのか?殺すならばひとおもいにしてくれ。それとも獣の瞳のまま、オレを食うと言うのか。
 腰を引き上げられ、そこに熱いものが押し当てられた時、オレはやっと斎がしようとしているコトを理解した。
 こいつは、オレを・・・・・。
 身体が開かれてゆく。力任せに。微塵の手加減などなく、斎が内部に押し入ってくる。

 抗いようのない嵐の中、オレはそれが去るのを待つしかなかった。