「愛のもしも??劇場
-榊剛の場合-
by近衛 遼


その4

 しとしと。しとしと。
 早朝から降り続いている雨は、まだ止みそうになかった。有休二日め。榊剛は都の西町通りの外れにある貸し家の座敷で、ちびちびと酒を飲んでいた。
「すみません、剛さん。夕飯の買物に行ってきます。すぐに戻りますから、先に一杯やっててくださいね」
 卓袱台の上に冷酒と枝豆を乗せて、元「御影」の少年がそう言ったのは一時間ばかり前のこと。もうそろそろ、帰ってくるかな。
 そんなことを考えていると、からからと玄関の戸が開く音が聞こえた。
「遅くなりました」
 すまなそうな声。
 んなこと、気にするこたぁねえのに。口の端で苦笑しつつ、剛は玄関に向かって声をかけた。
「おう。御苦労サン。なんか旨そうなもん、あったか?」
 が、そのあとの返事がない。不審に思って襖を開けてみると、全身ずぶ濡れの姿の少年が三和土に立っていた。
「なんだ、おまえ。傘はどうした」
「え、あ、その・・・盗まれてしまったみたいで・・・八百屋の店先に置いておいたんですけど、勘定を済ませて出てみたらなくなってて」
 こんな日に傘を盗むなんて、いったいどういう了見だ。急に降り出したってんならまだしも、今日は朝からずっと雨だそ。
「とんでもねえ野郎がいたもんだな。見つけたら腕の一本もへし折ってやるか」
 半ば本気で言うと、少年は黒目がちの眼をわずかに細めて、
「いいえ。いいんです。あの傘がだれかの役にたったんなら、それで・・・」
「けど、そのおかげでおまえは濡れネズミになっちまったんだぜ」
「おれ、これぐらいで風邪ひくほどヤワじゃないですから」
 そういう問題ではないのだが、盗まれた本人がそう言うなら、まあ、よしとするか。
「んじゃ、ま、早く着替えろや」
「はい。すみません、あの、なにか拭くものを・・・」
「ああ、そうだな」
 洗面所から大判のタオルを出す。少年はそれで、髪や肩を拭いた。濡れた髪が幾筋か額に張り付く。
 ぞくりとした。こーゆー顔、前にも見たよなあ。ここにこいつを連れてきた日、湯舟の中で・・・。
 思い出してしまったら、止まらなかった。がっしりと少年を抱き上げ、風呂場に向かう。
「えっ・・・あの、剛さん・・・」
 俗に言うお姫さまだっこ状態になった少年は、おろおろと剛を見上げた。
「あっためてやるぜ」
 我ながらクサいセリフだと思いつつ、言う。少年の頬が朱に染まった。
 早めに風呂を沸かしておいて、正解だったな。
 自分の先見の明(?)に酔いしれる榊剛であった。
 
 おしまい。