「愛のもしも??劇場
-榊剛の場合2-
by近衛 遼


その17 如月水木の遊興

「あの……申し訳ありません」
 牌を手に、元色子で、いまは東町通りの貸家に囲われている身である咲夜が言った。
「上がってしまいました」
「えええーーーーーっっ、またおにーさんなの〜?」
 金茶色の髪の少年が最大音響で叫ぶ。
「こりゃ、今日は諦めるしかないぜ」
 がしゃがしゃと自分の手前にあった牌を崩し始めたのは、元御影の白髪の老人だ。
「……レート、倍だったよな」
 がっくりと麻雀の点数表を見遣ったのは、この家のあるじ(といっても、借り主だが)にして古参御影の、榊剛だった。


 先般、ちょっとした言葉の行き違いで東町通りの家を出て行きかけた咲夜は、翌日、血相を変えて飛んできた剛の説得(?)の甲斐あって、いまでもここに住んでいる。結果、剛の御影宿舎における情人である水木も、大叔父である土岐津千秋も、それまでと同じくこの家に出入りしていた。
「せっかく四人いるんだから、麻雀やろうよー」
 そう言い出したのは、水木だった。
「面白そうだな」
 二つ返事で乗ったのは、土岐津だ。
「賭けんのかよ」
 一抹の……否、多大な不安をいだいて、剛が訊ねた。剛とて賭け事は嫌いではないが、このふたりが一緒だと、たいていロクなことがない。咲夜は困ったような顔をして、
「私は賭け事はご遠慮いたします」
 剛から受け取っている手当を、遊興に使う気はないらしい。
「あ、おにーさんは賭けなくていいから」
 水木がぴらぴらと手を振りつつ、言った。
「負けても持ち出しはナシ。勝ったら丸取り。それならいいでしょ」
「そりゃちょっと不公平なんじゃねえか?」
 土岐津が口をはさむ。
「いいじゃん、べつに。場所提供してくれてんだしさー。千秋ちゃんだって、おにーさんの作った親子丼食べたでしょ」
 じつは、ついさっき全員で昼餉を食したところだった。
「ふん。まあ、それもそうか」
 ふたりがあれこれ言い合っているあいだに、咲夜が雀卓と牌を運んできた。なんとも手早い。剛はため息をつきつつ、卓に着いた。そして。
 結果は、ほぼ咲夜のひとり勝ちであった。最初の一、二回は、水木がなんらかの細工をして咲夜に勝たせていたらしいが、そのあとは違っていた。
「えーっ、もうロン? こっちはまだマクラしかないのに〜」
 雀卓に突っ伏すその姿は、芝居ではなさそうだった。土岐津の方も、真剣な顔で財布を覗いている。どうやら、持ち金が残りわずからしい。
「そろそろ、お開きにいたしませんか」
 何度目かに咲夜がそう言うと、
「じゃ、次でラスト〜。レートは倍にしてよね」
 水木が提案した。
「いままでのぶん、取り返すからさー」
 自信満々でそう言ったのだが、結果はまたしても咲夜の勝ちだった。
「あーあ。ツイてないなー。やーっぱ、これって、剛がおにーさんにイジワルしたのがいけなかったんじゃないの?」
 負けた腹いせか、水木が剛を睨んだ。
 たしかに先日、自分は咲夜に誤解を与えるような真似をして、危うく関係が終結するところだった。水木が休暇届を出してくれるというので、慌てて都に戻って、引っ越しの荷造りをしていた咲夜に自分の真意を告げたのだ。
「ねえねえ、おにーさん。あんとき、剛、なんて言っておにーさんのコト引き留めたの?」
 いきなり、水木が訊いた。剛は飲んでいた茶を吹き出した。
「げ……げほっ……おっ……おまえなあ」
「おい、畳が濡れちまうだろ。気をつけろ」
 土岐津が自分の湯呑みを手に、言った。咲夜は素早く手拭いを持ってきた。土岐津が心配していた畳ではなく、剛の手とひざのあたりを拭いて、
「大丈夫ですか」
「ん、あ、べつに、たいしたことねえよ」
 剛は軽く咳払いをして、湯呑みを卓に置いた。
「すまん。つい……」
「お気になさらず。よくあることです」
 ふたりのやりとりを見ていた水木は、
「あーっ、あっついあっつい。やってらんないねーっ」
 大袈裟にぱたぱたと顔を扇いで、
「千秋ちゃーん、遊びにいこっか」
「へっ……いまからか?」
「そ。負けっぱなしじゃ寝覚めが悪いじゃん」
「けど、もう手持ちがねえぞ」
 すっかり軽くなった財布を手に、土岐津。
「軍資金なら……」
 ちろり、と剛を見遣る。
「たーっくさん、あると思うけど?」
 タカリが増えたな。ま、仕方ねえか。
 剛が懐から巾着を出そうとしたとき。
「では、これをお使いください」
 にっこりと、咲夜がそれまでに麻雀で手にした金子を差し出した。
「え、でも、それはおにーさんのだし」
 水木の言葉に、咲夜はうっすらと微笑んだ。
「よろしいのですよ。ただ……」
 ちらりと、土岐津にも視線を流す。
「くれぐれも、このあいだのような仕儀に相成りませぬよう」
 いつぞや、賭場で暴れたときのことを言っているらしい。
「……わかってるよ」
 さきに答えたのは土岐津だった。水木が肩をすくめて、金子を仕舞う。
「んじゃ、おにーさん」
 そそくさと立ち上がる。土岐津もそれに続いた。
「お気をつけて、行ってらっしゃいませ」
 舞いのような所作で礼をとる咲夜に送られ、元御影の老人と現御影の少年は座敷を出ていった。
 しばしの、静寂。
 咲夜がそっと居住まいを正した。
「お召し替えをなさいますか」
「え?」
「お召しものに染みが……」
 たしかに、茶をこぼした箇所が少しばかり変色している。が、この程度ならたいしたことはない。
「いや、かまわん」
「さようでございますか。では、失礼して卓を引かせていただきます」
 てきぱきと雀卓の上が片付けられていく。白くしなやかなその手を見ているうちに、剛はあのときのことを思い出していた。
 御影宿舎からここに来て。室内の整理をしていた咲夜に言った言葉。そしてそのあとの……。
 思わず、剛は咲夜の手を取った。
「着替える」
「は?」
 秀麗な顔が上がる。
「着替える。手伝ってくれ」
 それ以上は待てなかった。そのまま奥の間へと向かう。
 襖が、音をたてて閉まった。

  おしまい