「愛のもしも??劇場
-榊剛の場合2-
by近衛 遼


その16 如月水木の嘆息

「剛ってさ」
 御影宿舎における情人である如月水木が、めずらしくしみじみと言った。
「ほんと、バカだね」
「……んなこたぁ、わかってるよ」
「で、どーすんのよ」
「どうって言われてもなあ」
 御影本部で一目も二目も置かれている古参御影、榊剛はぼさぼさの黒髪をがりがりとかいた。


「それは、今宵限りということでございますか」
 長い黒髪をゆったりと束ねた元色子の青年が、表情のない顔で言った。
「え、いや、そういうわけじゃなくて……」
 予想外の反応に、剛は杯を膳に戻した。
「されど」
 咲夜は、ゆっくりと視線を上げた。
「『好きなように暮らせ』と言うは、もはや剛さんに、わたくしごときは不要ということ」
「おい、咲夜……」
 たしかに、言った。なにも自分を待つだけではなく、もっと自由に暮らせと。たとえば、仕立てものの仕事を拡張するとか、趣味に没頭するとか。咲夜は多彩な才能を持っている。それを活かせばいいと。
「ほんに、身に余る果報と思うておりました。このように温かい毎日をいただいて……」
 席を立ち、戸口に移る。
「これまでの御情け、ありがたく存じます」
 白い指が、ぴしりと合わさる。まるでいくさばに立つように。
「え……あ、その……」
「近日中にほかへ移りますゆえ、いましばらくご猶予くださいませ」
 ふかぶかと礼をして、房を辞す。剛はそれを、引き留めることができなかった。


「だからさー、そこで一発ヤっちゃったらよかったのに」
 水木が爆弾発言をした。
「一発って……」
「そしたら、おにーさんだってわかったと思うよん。……て、あ、それもマズイよね」
 水木は自分突っ込みを入れた。
「おにーさんだったら、『これが最後』とか思っちゃったりするかもー」
 いずれにしても、誤解されることには変わりない。
「だいたいねー、剛ってコトバ少なすぎんのよ」
 水木は盛大にため息をついた。
「べつに、西方のタラシ貴族みたいに『愛してる』だの『ハニー』だの言わなくていいからさー。もうちっと、バシッと決めるとこ決めれば?」
 こいつに言われると、妙に説得力があるのはなぜだろう。
「……すまん」
「はあ?」
「いつも……その、おまえらに……」
 どう続けたらいいかと考えていたら、
「あー、もう、じれったいったらありゃしないっ!!」
 がしりと腕を掴まれた。ずんずんと御影宿舎の廊下を連行される。途中でだれにもすれ違わなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
「トクベツに、休暇届、出しといたげるからさ」
 ぼそり、と金茶色の髪の少年は言った。
「これ、ひとつ貸しだからね」
 にんまりと笑って、水木。
「オレもいろいろ困るんだよねー。おにーさんトコで遊べなくなると」
 軽い口調の中に、真摯な思いが見えた。
「ほーら、さっさと行って」
 宿舎を出たところで、ぴらぴらと手を振る。
「おう」
 剛は瞬時に印を組んだ。
 直後。その姿は、御影宿舎から東町通りの家に飛んでいた。

 おしまい。