「愛のもしも??劇場
-榊剛の場合2-
by近衛 遼


その15 如月水木の報告

「あのなあ……」
 とある昼下がり。
 榊剛はがっくりと肩を落として、言った。
「ここは、俺んちだぞ」
 何度目になるかわからない台詞を口にする。
「そんなこと、わかってるよーだ」
 金茶色の髪の美少年は、ぷーっとふくれた顔でそう返し、
「おう、剛。五体満足で帰ってこられてよかったじゃねえか」
 白髪黒目の武人は、それがさもあたりまえのように言い放つ。そして、長い黒髪をやや低い位置で束ねたたおやかな美青年は、
「ご無事でなによりです」
 非の打ち所のない所作で礼をとる。
 そんな状況が、ここしばらく続いていた。


「だーかーらー、なんでダメなのよ」
 槐の国の名産、龍野葛の和菓子を口にしながら、水木は言った。
 場所は御影宿舎の東館。榊剛の私室である。ついさきほどまで、水木と剛はごく個人的な交流を楽しんでいた。
「いまさら言うまでもないと思うけど、オレもおにーさんも、千秋ちゃんとどーこーしてるわけじゃないんだからさー」
 ぱくり。なめらかな葛菓子が、またひとつ咀嚼されていく。
「いいじゃん、べつに」
「いや、なにもないって言っても……相手は身内だぞ」
「それの、どこが問題なワケよ」
 がばりと、水木は剛を押し倒した。甘く激しい時間を過ごしたときとほぼ同じ体勢になる。
「剛って、意外とアタマ悪いのね」
 がしりと剛の首を掴み、額を合わせる。
「視せたげる」
 左手で組まれる印。それがこめかみを通じて送り込まれる。
「……!」
 水木の見た咲夜の姿。日々を送る様子。自分が見たことのないそれらが、次々と流れていく。
『雑巾は、縦にしぼるのが基本ですよ。やり直し!」
 ぴしりと咲夜が言う。
『えーっ、なんでよー。ちゃんとしぼれてるんだから、いいじゃん』
 水木の反論に、にっこりと雑巾をしぼり直し、
『これでも、ちゃんとできていると?』
『おらおら、無駄な抵抗はやめとけ』
 白髪黒眼の老人が、たすき掛け姿で障子にハタキをかけている。
『余計に仕事が長引くぞ』
『はいはーい。さすがは尻に敷かれ歴ウン十年の千秋ちゃんよねー』
『うるせえ。ウチのは、こんなモンじゃねえぞ』
『あらー、そりゃご愁傷サマ〜』
『それが終わったら、洗濯物を取り込んでくださいね。そのあいだに夕餉の支度をしますから』
『今日はなんだい』
 はたきを持つ手を止めて、剛の大叔父にして元御影の土岐津千秋が言う。
『カレイの煮付けです』
『えーっ、オレ、焼魚の方が好きなのに〜』
 水木のクレームに、咲夜は苦笑しつつ、
『それはまた、今度にしましょうね』
 小気味いいやりとり。そのあとに。
 途端に場面が変わった。夕暮れ。縁側にすわる咲夜。憂いをおびたその横顔も、いままで剛が見たことのないものだった。
 なにを考えているのか。その視線の先にあるものはなんなのか。
 ばちり。
 いきなり、その画像が途切れた。
「え……おい!」
 剛はあわてて、身を起こした。
「どうした、おまえ……」
「……ん、ごめ……ん……」
 水木は一瞬、気を失っていたらしい。
「やっぱ……この術はタイヘンだよ」
 苦笑まじりにそう言って、頭を振る。
 まだ焦点が合っていない。それはそうだろう。記憶をそっくり転写する「意識写し」の術。それは禁術であったから。
「……わかった?」
 朦朧としながら、水木は言った。
「剛を待ってるあいだ、おにーさんは……」
 ひとりなんだから。
 かろうじて、そう聞こえた。
 薄茶色の瞳が閉じられる。水木はふたたび、意識を失ったようだった。
「水木……」
 ぐったりとしたその体を抱きしめる。
 剛は、おのれの不甲斐なさをしみじみと感じていた。

  おしまい