「愛のもしも??劇場
-榊剛の場合2-
by近衛 遼


その13 如月水木の招待

「げっ……な……なな、なんで…………」
 和の都。東町通りの小さな貸家で、榊剛は固まった。
 ここは剛が、馴染みの色子を囲うために借りた家だ。といっても、最近は御影宿舎での情人である如月水木もちょくちょく顔を出していて、玄関を入ったところでいきなり「おっかえんなさーいっ」と場違いに派手な出迎えを受けることもしばしばだったのだが。
「なんで……じっちゃんがここにいるんだ?」
 北方の長期任務を終えて帰ってきた剛の前には、白髪黒眼のかくしゃくとした武人が、白百合のごときたおやかな風情の美青年と緋色の薔薇を思わせるような明るい表情の美少年にはさまれて、至極上機嫌で杯を空けていた。
「お、剛じゃねえか。いま帰ったのか?」
 ほどよく酔いの回った顔を上げて、その老人は言った。
「いやー、おまえが羽振りよくやってるってのは風の噂に聞いてたが、こんなことになってたとはなあ」
 いつもより冗舌になっている。ここに来る前に、すでにかなり飲んでいたのだろう。
 老人は剛の大叔父だった。名を土岐津千秋といい、かつて御影本部でそれなりの地位を築いた人物だ。幻の一族と呼ばれている昏一族とも連携して任務にあたったこともあり、現役を引退したいまでも御影本部にその名を知る者は多い。
「こりゃ、おまえのおっかさんが見合い話を持っていってもダメなわけだよな。両手に花で極楽三昧してんだから」
 うらやましげにため息をつきつつ、うんうんと頷く。
「そーゆーコトよん。これでわかったでしょー」
 金茶色の髪の美少年が、ばんばんと背中を叩く。
「剛はそれなりーにガンバッテんだから、細かいことは気にしないよーに、千秋ちゃんからも言っといてね〜」
 ち……千秋ちゃん???
 剛は眼が点になった。
 こいつ、まさかとは思うが、もしかしてじっちゃんと…………………(妄想爆裂)。
「あー、もー、剛ってば」
 くすくすと笑って、水木は続けた。
「まーた、ヘンなこと考えたでしょ」
「え、いや、その……」
「やだなー。そりゃオレ、いろいろそーゆーコトやってきたけど、いまはちゃーんと切れてるし、そーゆーヤツと二度と関わったりしないよん」
 ぺたりと剛の腕に手をやる。
「だから、ヤキモチやかないのー」
「焼きもちって、おまえなあ……」
「土岐津さまは、このかたの恩人でいらっしゃるとか」
 横に控えていた咲夜が、そっと語をはさんだ。
「恩人?」
「はい。漏れ伺ったところでは、このかたが、その……はじめて『おつとめ』をなさるときに……」
 水木が御影本部に配属になった直後。
 「洗礼」を前に御影内の勢力分布や、古参の者たちの動向を教えたのが、当時すでに現役を引退して、顧問の地位にいた土岐津であった。その土岐津が、真っ昼間から商店街の外れにある立ち飲み屋にいたのを、たまたまここに来る途中だった水木が見かけ、声をかけたらしい。
「べつに、あんときがはじめてってワケじゃなかったけどねー」
 なんでもないことのように、水木は言った。
「でも、やっぱ、余計なコトはしたくないじゃん。で、どーしよっかなーって思ってたら、千秋ちゃんがイロイロ教えてくれたのよ〜」
 その結果、これぞという相手にしぼって、誼みを通じることにしたという。
「なんで、こいつにそんなことを……」
 じつのところ、下心があったんじゃねえのか? じっとりと白髪の大叔父を見遣る。
「力のあるやつを、無為に潰したくなかったからなあ」
 いかにももっともらしく、土岐津は言った。
「まあ、でも、俺がどうこうしなくても、こいつは自分でなんとかしただろうけどな」
「あーっ、千秋ちゃんたら冷たい〜。そんなこと言うなら、いまから奥さんに連絡しちゃうよー」
 思い切りぶりっこ仕様で、水木。(「ぶりっこ」って、もしかして死語??)
 咲夜によると、どうやら土岐津は妻君ともめ事を起こして、逃げ出してきたらしい。
「げっ……あ、いや、それは……」
 とたんに土岐津は慌て出した。
「んー、そろそろ帰るとするかな。もうほとぼりも冷めてるだろうし……」
 そそくさと上着を着る。ここにいるよりは、帰った方がマシだと判断したようだ。
「あー、えーと、剛。今日、俺がここに来たことは……」
「黙ってればいいんでしょー」
 剛のかわりに、水木が答えた。
「そのかわり、鳳凰堂の新作、ヨロシクねー」
 鳳凰堂とは、都で一、二を争う高級宝飾品店だ。
「……十日以内に、御影本部に届ける」
「わーい。だから千秋ちゃんて好き〜」
 どうやら、しっかりカモられているようだ。
「おい、いい加減にしろよ」
 ぼそりと言うと、水木はそ知らぬ顔で横を向いた。
「じっちゃん、代金は後で俺が……」
 なんとかその場を納めようとした剛に、土岐津はひらひらと手を振った。
「かまわねえよ。おまえもいろいろあるみてえだし」
 白髪をがしがしとかいて、土岐津は低く口呪を唱えた。
「じゃ、またな」
 瞬時に、姿が消える。
 剛はため息まじりに、それを見送った。


 その後。
 「またな」という言葉通り、東町通りの家には、ときおり白髪の老人が出入りするようになった。
 近所の者たちはまたぞろその人物のあれこれを噂したが、例によって真実に辿り着く者はいなかった模様である。

  おしまい。