「愛のもしも??劇場 -榊剛の場合2-」
by近衛 遼
その10 如月水木の我儘 「ちゃんと髪を拭いてから出てくださいと言ったでしょう!」 常には聞いたこともない咲夜の叱責。榊剛は玄関の三和土で歩を止めた。 なんだ。なんなんだ。もしかして、これは……。 そろそろと奥を窺う。 「えーっ、だって、風呂場ん中って暑いんだもん〜」 思い切り聞き覚えのある声が、ブーブーと文句を言っている。 やっぱりな……。剛はため息をついた。また水木が遊びにきているらしい。 水木は現役の「御影」で、剛の情人だ。対する咲夜は元色子で、年季が明けたあとは剛が東町通りの家に囲っている。要するにふたりは、世間的に言うと恋敵か、本妻と愛人のような関係にある。が、しかし。 「そんなことは理由になりません。こんなに畳を濡らして……カビが生えたり傷んだりしたらどうするんです」 「いいじゃん、べつに〜。どうせ貸家だし」 「私はカビ臭い家屋に住むのはごめんです。それに、そんなことになったら敷金が返ってきません」 「敷金も家賃も剛が払ってんでしょ。だったら……」 「ですから! なおさら、そんな無様な真似はできません。さっさと髪を乾かしてくださいね」 きっぱりと、咲夜。 ……こいつ、水木相手だとこういう物言いになるのか。剛は驚いた。自分の前にいるときの、たおやかで穏やかな印象とはだいぶ違う。 「えーっ、もう、ジャマ臭いなー」 ぶつぶつ言いつつも、水木は大判のバスタオルを受け取った。咲夜は小さく頷いて、 「まったく、最初からそうしてくだされば、私もあなたも余計な手間をかけずに済むものを……」 なんと、小言まで言っている。 「だーって、そんなの、つまんないじゃん」 水木はぺろりと舌を出した。 「オレは、おにーさんと遊びたいんだもん。けど、あーんなコトとかそーんなコトとかするわけにはいかないからさー。……ね、剛?」 くるりと、薄茶色の目が向けられた。 ちっ。バレてたか。剛はむっつりとしたまま、座敷に上がった。 「剛さん……」 咲夜はまったく気づいていなかったらしい。あわてて座蒲団を差し出す。 「お見苦しいところをお目にかけてしまって、申し訳ございません」 脇に座して、頭を下げる。その原因を作った張本人は、そ知らぬ顔で髪を拭いていた。 「ああ、まあ、気にすんな」 剛はどっかりと腰を下ろした。 「こいつの気紛れにゃ、俺も苦労してんだ」 「あーっ、言ってくれるねえ。だったらオレだって、あんたのトンデモナイ趣味に苦労してるよーだ」 「とんでもないって……んなもん、最近はやってねえだろうがっ」 思わず、反論してしまった。咲夜はまじまじと、ふたりを見比べている。 「え、いや、あの……」 まずい。剛は背中に冷や汗が流れるのを感じた。 このテの話題は、三人でいるときは御法度だ。だれが決めたわけではないが、それが自分たちの暗黙の了解になっていた。 「も〜、剛ったら、ここんとこは軽くジャブで流してくんないと」 水木はぴらぴらと手を振った。 「あーあ、もうちょっと遊んでいこうと思ってたのになー。ま、仕方ないか」 水木はぴょん、と立ち上がった。バスタオルを咲夜に返し、すたすたと玄関に向かう。 「おい、水木……」 「先に宿舎に帰ってるよん。じゃ、おにーさん、またね〜」 投げキッスをして、水木は印を組んだ。瞬時に姿が消える。移動の術。いつもながら鮮やかなものだ。 「剛さん」 うしろから、なだめるような声がした。 「もう少し、鷹揚になられた方がよろしいのでは?」 「……そうだな」 剛はため息をついた。 「先に湯をお使いいただけますか」 咲夜はゆっくりと立ち上がった。 「そのあいだに、お膳の支度をいたしますので」 「ん。わかった」 すっ、と、目の前に新しい手拭いと浴衣が差し出される。剛はそれを受け取った。 まったく、なんだよ。この展開は。 毎度のことながらそう思いつつ、風呂場に向かう榊剛であった。 おしまい。 |