残像        みなひ





ACT5

 失って痛感したんだ。
 自分にとって何が一番大切だったかを。
 楔のいない「御影」なんて、どうでもよかった。


「ずっと探してたんだ」
 腕の中に閉じ込めた、茶色の頭に囁く。ぴくりと耳が動いた。
「御影をやめて、旅して探そうかとも考えた。でも、おまえあの長屋にも帰ってなかったし、探すにも手がかり一つなくて・・・・考えたんだ。御影にいれば、情報が集まってくる。情報部にいく仕事だってある。残ってる方が、いいかもしれないって」
 正直、「御影」という仕事自体に執着はなかった。最初は少しはあったのかもしれない。けれど楔が消えた後、それはすっかり消え去ってしまった。
「一年半、情報を集めて回ったけど、手がかりさえ掴めなくて。やっぱり探しに行くしかないって思いだしてた時に、羅垓さんが声を掛けてくれたんだ。自分の仕事を手伝わないかって」
 自分の仕事なら自由に和の国内外を旅できるし、御影の情報も手に入ると羅垓さんは言った。その申し出に、おれが飛びつかないはずはなかった。
「ぼくもだよ」
 胸の中で楔が言った。
「ぼくも羅垓さんに助けられたんだ。御影をやめたはいいけど、ぼくは行くあてもなくってフラフラしていた。あの長屋に帰ることもできなくて、途方に暮れてたら羅垓さんが声を掛けたんだ。お前、異国に行ってみないかって。ぼくは羅垓さんについていった。その時はもう、全部どうでもよくなっていたんだ」
 楔が笑む。自嘲の笑み。おれは楔の頬に手をやった。 
「羅垓さんはここにぼくを住まわせて、仕事を手伝えって言った。符術で占いを思いついたのも羅垓さんなんだ。あんまりよくしてくれるもんだから、最初、ぼくは羅垓さんのものになるんだと思っていた。この人に囲われちゃうんだって。だけど、あの人全然ぼくを相手にしないんだ。傷つくくらいに。悩んで、思いきって聞いたら笑われちゃったよ。『俺にも好みがあるからな』って」
 おれの手に自分の手を重ねて楔が言う。零れる苦笑。つられて笑った。 
「羅垓さんね、『対』の人、自殺したんだって。それ以来、虚勢でもなんでも、ギリギリまで頑張ってる奴ってわかっちゃうって言ってた。そいつが追い詰められてアップアップしてたら、どうしても手が出ちゃうんだって。ぼくも見透かされてたみたいだ。『水鏡』で認められたくて、やっきになってたから・・・」
 苦笑を濃くしながら、楔が言った。言葉を継ぐ。
「ぼくね、本当は東洞院家の血をひいてるんだ」
 告げられおれは驚いた。東洞院家って、有名な符術師とか阿闍梨とか出している一族だ。たしか、護国寺でも一大勢力のはず。
「保科は母方の姓なんだ。母は東洞院家の父と結ばれて、ぼくを産んだ。だけど東洞院家は身分の低い母を認めなかった。父も病弱な人で、なくなったって聞いてる。母は女手一つでぼくを育てて、働きすぎて逝ってしまった。どこにも行くところがなくなったぼくを、千早のおじいさんが引き取ってくれたんだ」
 知らなかった。楔の事実。じいさん、そうだったのか。
「ぼくはね。東洞院家を見返したかった。だから『御影』に入ったんだ。でも、あんなことになってしまって・・・・。ここにきて、ぼくは考えたよ。自分は何をしたかったんだろうって。東洞院家を見返したいのは、東洞院家に認めて欲しいからだ。ぼくは自分を認めてくれないあの家の為に、生きようとしてたんだ。そんなのばからしいよね」
 おれの手を握り締めながら、楔が言った。おれも頷く。そうだな。そんなの虚しいだけだ。
「ぼくが自分の為に生きることを考えた時、真っ先に千早の顔が浮かんだよ。だから決心したんだ。どんな形でもいい、千早と関わろう。千早に会おうって」 
「そうか・・・」 
 楔の手の温もりを感じながら、おれは目を閉じた。楔の決断に感謝する。それと、もう一人の人物に。
「羅垓さんね、本当に離したくない奴がいるなら、絶対諦めちゃだめだって言ってた。相手にふさわしいとか何とか考えるのって、結局は自分を守る為にやってることなんだって。好きなら、迷っちゃいけないって・・・・」
「そうか・・・ん?」
 楔の言葉に、おれは何か引っかかりを感じた。少し考える。
「楔」
「え?」
「おまえ、そういうこと羅垓さんから聞いてたのに、資格とか言ってたのか?」
 疑問をそのまま言葉にした。楔がはっとした顔になる。
「・・・・だって。だって、ぼくはあいつらに・・・・」
「まだこだわってんのか?」
 戸惑う楔におれは迫った。まだ囚われてる。消し去りたくなる。楔を縛る原因を。だけど過去は消せない。ならば!
「しよう」
「へ?」
「今すぐしよう。楔」
「あ・・・何を?」
「あいつらがおまえにしたこと、おれとしよう。そしたらおれも一緒だ。おまえの資格とかそういうこと、関係なくなる」
 事態の飲み込めない楔に、強気で言った。中身はとんでもないこじつけ。それでも無理矢理言い切った。理由はなんでもよかった。こいつに打ちこまれた楔(くさび)を、抜き取ってしまいたい。
「千早」
「なに?」
「・・・その、ぼく、そっちのほうはよく知らないんだけど・・・そう、なるのかな・・・?」
 不安げな声。楔は、まだはっきりとはわかってない。それでもおれは断言した。
「なるよ。ばっちりなる。それとも楔は、おれとじゃ嫌か?」
 じっと緑の瞳を見つめた。楔の目はしばし泳いだ後、パサリと伏せたまぶたに隠される。さらと落ちる栗色の髪。表情は見えない。
「嫌じゃ・・・・・ない」
 先まで赤くなった耳が、ぽつりと楔の意思を告げた。