残像        みなひ





ACT4

 もどかしい。
 言いたいことはいっぱいあるのに。
 言葉にするとまたあいつが消えてしまいそうで、おれはびくびくしている。

 
「なんか、わざとらしく行っちゃったね」
 苦笑しながら楔が言った。戸口に向けてた視線をおれへと戻す。
「せっかくだし、もらっちゃおっか」
「へ?」
「これだよ。千早、飲めるだろ?」
 酒ビンを手に問われて、おれはコクコク頷いた。断わる理由なんてない。というか、本当に酔った方がいいかもしれない。
「どうぞ」
 煉瓦色の湯のみが渡され、透明な液体が注がれた。甘い香り。鼻孔をくすぐる。 
「あんなこと言ってたけど、あの人、全然違うんだよ」
 くいと酒を飲み干しながら、楔が言った。慣れた手付きで次を注ぐ。少し、驚いた。
「誰が?」
「羅垓さんだよ。女の人、金髪銀髪よりどりみどりなんて言ってたけど、羅垓さんが選ぶのはいつも決まってる。黒髪に黒目の人なんだ」
 くすりと笑って、楔は二杯目を飲み干した。おれは感心する。楔、お酒強いんだ。
「なんで知ってんの?」
「知ってるよ。何度か出入りしたもの。ああいう店って、いい情報源になるんだ」
 さらりと言われて動揺した。そ、そうだよな。楔だって男だ。ああいう店くらい、行くよな。
「ぼくね、今、占い師みたいなことやって情報集めてるんだ。実は符術の応用なんだけど。ああいう店の経営者って、いいお客さんなんだ」
 聞いてちょっと安心した。ってことは、遊びじゃなくて仕事なんだよな。よかったと肩の力を抜く。
「仕事楽しいか?」
「うん、楽しいよ。いろんな人と話をして、戦う手段だった符術が人助けになって。今の自分は結構気にいってる。ここはゆっくり時間が流れてるんだ。みんな決して裕福ではないけど、しっかり助け合って生きてる。あの長屋みたいに」
 話した楔は嬉しそうだった。微笑みながら次を飲む。おれも湯のみに手を出した。一気に飲み干す。胸が、カーッと熱くなった。
「千早はどう?」
「ん?」 
「任務、忙しいの?海瑠先輩や流先輩は、相変わらず?」
 酔ってきているのだろうか、楔は潤んだ目をしていた。今度はこっちが答える番になる。
「任務は・・・まあまあかな。流先輩と海瑠先輩は変わらない。少し前、『対』の解消だなんだってもめてたけど、やっぱり二人でやってる」
「そっか。あの二人って、がっちり結びついてたものね。流先輩には海瑠先輩、もったいないんだけどな」
 くすくすと笑って楔は杯を重ねた。うっすらと染まる目元。おれは少し心配になってくる。楔、大丈夫か?
「そうだ。千早の『対』の人は?どんな人?」
 問われて少し戸惑った。でも正直に告げる。
「『対』は、組んでないんだ」
「え?」
「おれ、半端者だから・・・」
 へへへと笑って誤魔化した。そして気づく。楔の真剣な顔に。
「どう・・・して?」
「楔?」
「どうして千早。もしかして、あの時の・・・・」
「違うよ楔!」
 必死で打ち消した。まずった。おれのバカ。
「違う。左腕は大丈夫なんだ。ちゃんと治ってる。ただ、おれの気ってクセあるだろ?同調できる人って限られてるから。だからなんだ」
 一生懸命説明した。気に病まないで欲しかった。腕なんていいんだ。大したことじゃないんだ。楔に、会えたから。
「おれこそ謝りたかった」
 口から言葉が飛び出していた。
「あの時おれ、最初から諦めてた。きっと敵わないって思ってた。だから反応が遅れて、逃げられなかった。ごめん。楔に辛い思いさせて・・・」
 あの一瞬が悔やまれる。たとえ結局敵わなくても、二人で戦ったのなら後悔しなかった。利口なフリして諦めて、大切なものをなくすこともなかった。
「おれ、諦めちゃだめだったんだ。楔と一緒に戦うべきだったんだ。楔と『対』を組みたいなら、そう言えばよかったんだ!」 
「千早・・・」
 一気に言い切る。大きく目を見開き、楔がおれを見つめていた。宝石みたいなその中に、自分を見つけておれは狼狽える。
「あ・・・・その・・・」
「反則だよ」
 戸惑うおれに、くしゃりと顔を歪めて楔は言った。
「せっかく決心ついたのに。後押しで酒だって飲んだのに・・・・・なんで、千早が言うんだよ」
 楔は泣きそうな顔をしていた。おれは慌てる。なにか、楔のいやなこと言ったか?
「・・・・え?」
「一年も悩んだんだぞ。あんなことになっちゃって。千早に合わす顔がなくって、逃げ出して・・・・。でも、千早に会いたかったから、やっと思い切ったんだ。謝ろうって。謝っていい友達に帰ろうって。なのに、なんで今さらそんなこと言うんだよ!」
 震える声。楔の瞳には涙が溢れていた。ぽろぽろ。筋をなして流れ落ちる。
「千早に言われちゃったら、諦められなくなっちゃうじゃないか!ぼくにあの日へ帰れって言うの?千早が欲しくて堪らなかった日に!もう、千早を好きになる資格もないのにっ!」
 最後は殆ど金切り声だった。頭にはぐるぐる楔の言葉が回っている。それってつまり、そういうことだよな。でも、資格がないって?
「資格、ないのか?」
「ないじゃない!」
「どうして?」
「だって・・・・・だって千早、見たじゃないか!」
 ひしと自分を抱き、楔は叫んだ。同じしぐさがあの日を思い出させる。自分達を隔ててしまった、あの出来事を。
「ぼくは千早にだけは見られたくなかった。憐れんでなんて欲しくなかった。千早にだけは!」
「違う!」
 知らず、俯く楔の腕を掴んでいた。楔がびっくりした目で、顔を上げる。
「何でそんなこと言うんだよ。おれは、自分が情けなかった。おまえに申し訳なかっただけだ。どうしておれが、楔を憐れむんだよ!」
「でも」
「好きなのに!」
 なにもかもかなぐり捨てて、その言葉を言った。怖くてずっと、言い出せなかった想いを。
「・・・・ちは・・や?」
「好きなんだ。おれ、楔が好きだ」
 一度声にしてしまったら、あとは遮るものなんて無かった。溢れる気持ちのままに、想いを言葉にする。
「おまえがいなくなって、イヤって言うほど思い知ったんだ。どれだけ楔が必要かって。楔じゃなきゃ、だめなのかって・・・」
 胸にこみ上げるもので、声はかすれてしまった。それでも絞り出す。
「なあ、いたいんだ」
「千早」
「おれ、楔といたいんだよ。ずっと、一緒に」 
 一言一言、噛みしめるように告げる。抱きしめた腕の中では、楔が信じられないものを見たような顔をしていた。