残像        みなひ





ACT3

 無力を思い知らされた。
 おれは何度も叫んで、もがいて、殴り倒されて。
 あいつはただ歯を食い縛って、その責め苦に耐えていた。


 ドタドタと足音が遠ざかっていった。這いつくばっていたおれは、やっとのことで首を上げる。
「あ・・・・つつ・・・・」
 悲鳴を上げる全身を動かした。幸いどこも一応動く。折れてるのは左腕だけだ。
「・・・・くそ・・」
 身を引きずるようにして動いた。少し離れた所に、楔が倒れている。
「! 楔っ」
 楔はぴくりとも動かなかった。大きく見開いた目。放心してしまっている。
「楔!楔!しっかりしろ!」
 右手で頬を叩いた。焦点の合わなかった瞳に、だんだん精気が甦ってくる。
「・・・・・・う・・・」
「大丈夫か?」
「ちは・・・・や」
「楔!」
 片手で抱き起こした。楔の意識が戻って、おれはただただ安堵した。それまでの楔は、死んでしまったんじゃないかと思うくらい、無反応だったから。
「腕・・・は?」
「折れてるけど、もうそんなに感じないんだ」
「ごめ・・・」
「謝んなよ。謝るのはおれの方だ。おまえこそ・・・・・」
 言いかけて現実に気づいた。抱き起こした友の姿を見る。引き裂かれてボロボロの服。あちこち色なす打撲傷。内出血。そしてなにより、むき出しの下肢とそこを夥しく汚すもの。何が楔に起こったのか、思い知らされた。
「・・・・・・・」
「・・・・なんなの」
「おれ、その・・・・・」
「なんでそんな目で見るの」
「何て、言ったらいいか」
「見ないでよ!」
 背を抱く右手から楔が離れた。少し離れた所で、楔が自分を抱きながら、こちらを見ている。
「憐れんでるの?」
 楔の声が震えていた。
「可哀想な奴だって同情してるの?」
「違う・・・・楔」
「やめてよ。同情なんて冗談じゃない!千早には・・・・千早にだけは、そんな目で見られたくない!」
 潤む翡翠の瞳。苦しそうに歪む顔。身を抱く手。
「見るなぁぁぁっ!」
 力の限り楔は叫んだ。それは、拒絶の声だった。

 あの後すぐに楔は、御影をやめたらしい。らしいというのは、直接おれは楔と会っていないからだ。骨折後に動かした為か、おれの左手の治療は困難を極めた。結局御影研究所へと運ばれ、やっと腕が治って宿舎に帰ってきた時には、そこに楔の姿はなかった。おれは休暇をとり、楔の住んでた長屋を訪ねた。けれど、そこも既に引き払った後だった。
 あれから二年。
 楔は、おれの前から消えてしまっていたのだ。


「よう、楔」
「お待たせしました。お久しぶりです羅垓さん」
 羅垓さんと楔が話している。本当に、楔が現地担当なんだな。混乱している頭で、ぼんやりと思った。
「元気だったか?」
「はい。行きましょう。食事用意してます」
「そうか。ありがたい」
 二人が歩きだした。おれは、反応が遅れる。えと、どうしよ。何言ったらいいんだろ。足もうまく動かない。 
「どうしたの?」
 動かないおれに気づいて、楔が振り向いた。首を傾げている。
「千早、お腹空いてない?」
「あ、いや、空いてるけど・・・」
「よかった。じゃ、行こう。大したもの作ってないけど、腹の足しにはなると思うよ」
「う・・・うん」
「ね」
 小さく笑って、楔はくるりと踵を返した。向けられるほっそりした背中。おれより一回り小さい肩幅。
 んと・・・・行くか。
 大きく息を吸い込み、おれは一歩を踏み出した。聞きたいことはいっぱいある。まだ感情も揺らいだままだ。でも、それらは後だ。
 降ろした荷物をまた背負い、おれは楔と羅垓さんの後に続いた。


 
「あー、食った食った。お前、腕が上がったな」
 豪華ではないが心づくしの料理を食べた後、羅垓さんが言った。楔が茶を運ぶ。
「羅垓さんには敵わないだろうけど、誉めてもらうのは嬉しいです」
「あ?俺の料理がなんだって?楔、そりゃ嫌味か?」
「そんなんじゃないですよ。羅垓さんの料理、ぼく好きですよ?刺激的で」
「辛いって素直に言えよ。はあ、口だけ達者になっちまったな。こいつー」
 羅垓さんの大きな手が、楔の頭をわしわしと撫でた。楔は笑いながら目を瞑っている。まるで子供が頭を撫でてもらった時のように。
 うわ。
 なんか楔が素直に頭撫でられてる。
 すごいや。
「千早、どうしたの?おいしくなかった?」
 ぼーっと見てたら楔に覗きこまれた。慌てて首を振る。
「いや、うまかった。すごく」
「よかった。千早のお母さん料理上手だから、ちょっと気にしてたんだ。口に合うかなーって」
「全然大丈夫だよ。以前おまえん家で食べさせてもらったこともあったじゃん。あん時より、ずっとうまかった」
「なんかすごいこと言われた気がするな。でもうれしいよ」
 にっこり楔に微笑まれて、おれはどう言ったらいいかわからない気持ちになった。楔は昔のままだ。いや、もっと穏やかになった気がする。こうしていたら錯覚しそうになる。まるで、あの日なんてなかったみたいに。
「おかわり、いる?」
「あ、もういい。ありがと」
 和やかな会話。だけど内心おれは焦っていた。本当はこんなこと言いたいんじゃない。あの時の話がしたいんだ。おれはずっとおまえを探していた。ずっと後悔していたんだ。
「さーて。腹はいっぱいになったし、次は腹ごなしかな」
 のそりと腰を上げながら、羅垓さんが言った。おれは見上げる。
「どこ行くんですか?」
「あ?だからお楽しみだよ。この町の女もなかなかだぜ?」
 にやりと笑みを向けられ、やっと意味がわかった。腹ごなしって、そういうことか。
「お前も行くか?和の国じゃお目にかかれねぇ女ばっかしだぜ?金も銀も赤毛も、青も緑もよりどりみどりだ。どうだ?」
 ずいと覗きこまれて、反射的に首を振った。興味はあるけどおっかない。それに、楔ともっと話したい。
「あー、その、遠慮します」
「そうか?異国の女だからって、とって食やしないぜ?」
「や、そうだとは思うんですけどー・・・・いいです」
「へえ、もったいないねぇ。ま、いいや。俺、昼まで帰んねぇから」
 しどろもどろに答えるおれに告げ、スタスタと羅垓さんは戸口へと進んだ。外に出ようとして立ち止まる。いきなり引き返してきた。
「羅垓さん?」
「悪い。忘れもんだ」
 おれと楔の前を通り過ぎ、羅垓さんは自分の荷物の所へと進んだ。ごそごそ。荷物の中を探っている。
「ほい。土産だ」
 ごとりと何かが床に置かれた。おれは凝視する。酒だ。
「羅垓さん・・・・」
 それは和の国の酒だった。それも下町でよく売られている二級酒。よく、千秋じいさんが飲んでた銘柄だ。
「とにかく飲め。お前達みたいなのは、飲んだ方がいいんだよ。余ったら料理酒にでもしちまえ。な?」
 にやりと笑いながら、羅垓さんは言った。再び戸口へと取って返す。
「じゃあな」
 ばたりと扉がしまる。おれと楔を残して、羅垓さんは行ってしまった。