選択   by(宰相 連改め)みなひ




ACT8

 男たちが群がる。
 その中に、桐野斎がいた。

「如月水木さんに、助けて頂きました」
 男たちに問われ、桐野が答える。周りの皆は驚いた。
 如月水木さんと言えば、御影宿舎でもトップクラスの手練れ。流の憧れの人。確か、一人で「御影」も「水鏡」もこなしていると聞いた。そんなすごい人物が、上からの命令とはいえ、一介の新人である桐野を敵地より救出したのか。
「おれ、初めての任務でパニックになってしまって・・・・水木さんが来てくださらなかったら、もうダメだったと思います」
 初めての任務。なんらかの理由で「対」とはぐれ、敵地に一人残される。考えるだけで汗が出た。自分の力は通用するのか。自分は、生き残れるのか。
「敵地からの脱出は・・・・水木さんが『水鏡』を努めて下さいました。水木さん、自分を信じて、安心して『御影』をやるようにと。おれが任務をこなせたのは、みんな水木さんのおかげです」
 謙虚な言葉。恥ずかしそうに話す。俺は桐野が助かった反面、胸に何かが生まれるのを感じた。まだそれが何かわからない。だけど、少し重い何か。
「冗談じゃねぇや」
 ぼそりと落とされた声に、驚いて隣を見た。流が空になった丼を睨んでいる。
「何で水木さん、あいつの『水鏡』なんかやんだよ」
 低く唸るように零す。流は怒りを面に出していた。がたり。流が席を立つ。
「流?」
 呼び止める俺を完全無視して、流は食堂のまん中に歩いてゆく。皆が取り囲んでいる、桐野斎のもとへ。
「うぬぼれんなよな!」
 桐野の目の前に立ち、流は言った。
「斎!一回くらい水木さんが自分の『水鏡』やったからって、オレはおまえなんかに負けねぇ!見てろよ!」
 ぴしりと宣言する流に、桐野斎は目を大きく見開いていた。周囲の奴らは既に退いてる。皆今ここで首を突っ込んで、厄介なことになりたくないらしい。
「・・・・上総くん・・・」 
 桐野が何か言いかけようとして、目を閉じ項垂れてしまった。諦めと悲しさの入り交じったような表情。
「流、みっともないからやめろ」
 間を見計らって相棒に告げた。ぎろり。鳶色の目が睨み付ける。
「みっともないってなんだよ!海瑠!オレのどこがみっともないんだ!」
 狙い通り、流は食いついてきた。怒りの矛先がこっちを向く。
「お前はギャーギャー喚き過ぎだ。十分みっともない」
「喚いてなんかないっ!斎に負けねぇって言っただけだろ!」
 流は意地になっている。さてどう丸め込もうか。そう思った時。
「吠えんな」
 いきなり大きな手がにゅっと出てきて、流の髪の毛をむんずと鷲掴みにした。そのまま上に引かれる。
「いてててててっ!こら!離せ!ハゲたらどうすんだっ!」
「そんなの俺の知ったこっちゃねぇよ。おら、エラソーに啖呵切ってる暇があったら、訓練場に来い。時間、過ぎてんぞ」
「ゲッ。おっさん!」
 威勢よかった流が、瞬時に青ざめた。口をつぐんでおとなしくなる。俺は大きな手の主を見上げた。それは御影宿舎でも古参の『御影』、榊剛さんだった。
「おっさん、そのよ・・・・」
「ごちゃごちゃ言うな。いくぞ」
「わー!いててててて・・・・・」
 痛がる流におかまいなく、榊さんは歩きだす。引かれて目の端に涙の流が続く。程なく二人は食堂の外へと消えた。俺は大きく息を吐き出す。その時。
「・・・・・すみません」
 覚えのある声に振り向いた。そこには、桐野斎が立っていた。


「すまなかったな」
 食堂から北館に向かう廊下で、俺は桐野に告げた。桐野は隣で、小さな紙包みを抱えて歩いている。
「なにがですか?」
「義弟が、流が失礼なことを言った。あいつは今、水木さんに執心していて・・・・」
「いいんです」
 驚く俺に、桐野は困ったような顔をした。かさり。手元に抱えた紙包みが鳴る。
「上総くんは学び舎時代、『御影』クラスでいつもトップでした。おれなんか中くらいで、ここにだって補欠で来たくらいで・・・。上総くんが怒るの、無理ないです」
「しかし、流が言っていた。一度だけ、桐野に模擬戦で負けてしまったと。それ以来、流は桐野をライバル視している」
「あれはまぐれです。おれ、パニックになってしまって・・・・・。闇雲につかった術が成功しただけです。あの時の術、今は使えないし・・・」
 苦笑しながら桐野は言った。俺は言葉を失う。どう言えばいいのか。
「海瑠さん」
「なんだ?」
「もしお時間があったら、よっていかれませんか?」
 立ち止まって桐野は言った。ふと見やる。いつのまにか、桐野の部屋の前まで来ていた。
「この間のお礼もありますし、御影長に頂いたこれ、干物みたいです」
 手の紙包みをかさかさと振り、桐野斎は笑った。


「何もありませんが、どうぞ」
 部屋の扉を開けて、桐野は中へと俺を誘った。整然とした部屋。どこもきっちりと片付けられている。
「適当にかけてください。飲み物はお茶でいいですか?本当はお酒の方がいいんでしょうけど、おれ下戸なんで持ってきてなくて・・・・」
 言いながら桐野は備えつけの戸棚を開けた。勧められたまま、俺は一人用の食卓の椅子に腰かける。桐野は急須に茶を用意して、小さなやかんに水を張った。一つしかないコンロにかける。火がつけられた。
「いいにおい。これ、焙りますね」
 次に桐野は紙包みを丁寧に剥がし、中のものを取り出した。言ってたとおり、それはカワハギの干物っだった。桐野は干物をいくつか取り出し、印を組んで小さく口呪を唱える。途端に右手が赤く光って、干物の焼ける香ばしいにおいが辺りに立ちこめた。
「・・・・・器用だな」
「こういうことだけ得意なんです。桐野の家の義弟達は、家に帰ってコンロで焼くまでなんて、おとなしく待ってくれませんでしたから」
「義弟?」
「おれ、孤児なんです」
 数枚の焙ったカワハギを手に、桐野斎は微笑んだ。
「生まれて間もない頃、おれは森で見つかったそうです。教育者でもあった桐野の父がおれを引き取り、ここまで育ててくれました」 
「そうか・・・」
「ほんとはおれ、事務職専攻だったんです。義弟達の面倒見ながら、働こうと思って。だけど補欠という形で宣旨がおりました。義兄は辞退してもいいと言ってくれたんですが、その、二年前に義父がなくなって以来、桐野の家は財政が苦しくて・・・・。
 ピーッ。
 湯の沸く音がする。それを聞きながら、俺は目を見張った。ということは。桐野は「御影」を希望していなかった。けれどここへ来たのだ。桐野の家の為に。面倒を見ていたという、義弟達の為に。
「どうぞ」
 言葉と共に、温かい玄米茶とカワハギが食卓に置かれた。桐野は食卓の近くにある、自らの寝台に腰かける。
「あの、ひょっとしてお嫌いでしたか?」
 食卓に手を出さない俺を見て、桐野は首を傾げた。不安そうな顔。
「海瑠さん、肉より魚が好きだと思っていたのですが・・・・」
「そのとおりだ。こういう干した魚は、母親も好きでよく食べた」
 苦笑しながらカワハギを手に取る。熱いままをちぎって、口に運んだ。噛み締める。僅かに海のにおいとカワハギの味。唾液が自然と湧いてくる。
「どうして知ってる?」
「おれも魚好きなんです。食堂で食べてる時も、海瑠さんとおれ、よく似たもの食べてました」
 言われた言葉に苦笑した。こいつは周りをよく見ている。ただ、余計なことは言わないだけで。
「その節は、ありがとうございました」
「いや・・・」
 ペコリと頭を下げられて、俺は恐縮してしまった。大したことはしていない。ただ、傷ついた桐野を医務棟に連れていっただけだ。
「あの時は本当に助かりました。とにかくあちこち痛くて、医務棟の場所もうる覚えで、ちゃんとたどり着けるかどうか心配だったんです」
「桐野・・・」
「覚悟してここに来たんですが、おれ、正直不安で・・・・そんな時親切にして頂いて、とても嬉しかったです」
 湯気のたつ湯のみを手に、桐野はぽそぽそと話した。俺はじっと聞き入る。そうだ。新人誰もが不安だった。俺には流がいた。けれど、桐野は一人。
「あの件を黙っていてくださった事も、ありがとうございました。結局水木さんが助けにきてくださって、かえってあの人に迷惑かけてしまったんですけど・・・」
「そうか」
 思わず声が出た。桐野が迷惑をかけたくなかった相手は・・・・・そうだ。如月水木さんが見ていた俺達の後ろには、桐野が並んでいた。
「水木さん、だったのか」
「はい。まだおれにも信じられないんですけど。歓迎会の時と今回の任務、水木さんはおれを二回、助けて下さいました」
「・・・・・」
「あの人は緊急とかで、途中で別件の任務に入られましたが。帰ってこられた時には精一杯、恩返しをと思っています」
 幸せそうな顔。幸せそうな声。胸の中が、一段と重くなったような気がした。ドス黒いものに変わる。
「桐野」
「はい」
「お前は水木さんに恩返しをと言った」
「ええ。そうです」
「どんなことでも・・・・か?」
 下を向く。唇を通じ、胸の闇が漏れていた。桐野が少し驚いた気配。
「たとえば・・・・お前の身体」
 言った端から、罪悪感と後悔が湧いて来た。俺は何を言ってる。うらやんでいるのか?こいつを。
「・・・・はい」
 自己嫌悪に苛まれる俺の耳に、静かな声が聞こえた。顔を上げる。桐野が真摯に見ていた。
「あの人が望まれるのでしたら、おれはどんなことでも応えたいです」
 敗北感。そして自らへの嫌悪感。二つが身体を駆け巡る。俺は今、こいつを引きずり下ろそうとした。自分のいる所まで。
「すまない」 
 声を絞りだして言った。
「下世話なことを言ってしまった。申し訳ない。謝罪する」
「どうしてですか?海瑠さん、そんな、謝ることじゃないです」
「いいや、俺は・・・・・」
「十分ありえることだと思います。現に、それらしいことを水木さんも言っていましたし。だから、気にしないでください」
 項垂れる俺を、桐野が必死で宥めている。情けないと思った。如月水木はだからこそ選んだ。流でも俺でも他の新人たちでもない、こいつを。
「お願いです。どうか顔を上げてください。カワハギ、食べましょう。おれは海瑠さんとお話できて、とても嬉しいんです」
 
 何度も己の非礼を詫び、俺は桐野斎の部屋を早々に退出した。
 行きどころのない気持ちを抱えたまま、俺は長い廊下を歩き続けた。