選択   by(宰相 連改め)みなひ




ACT7

「おい、何してんだよ」
 鮭雑炊が冷えるのを待っていたら、上から声が降ってきた。はっと顔を上げる。流だ。
「またぼーっとしてんのかよ。『水鏡』の特訓って楽勝だな。そんなんでつとまるんだから」
 半ば嫌味に聞こえる言葉に、ムッとして唇を結んだ。睨み返す。
「お前こそあちこちぼろぼろだな。榊さんにのされてんじゃないのか?」
「うるせぇ」
 嫌味を投げれば、速攻で返事が返ってきた。への字型の口が更にひん曲がる。図星だったようだ。
 御影長に「対」宣言してから三日。俺達は桧垣閃さんとその「対」で御影宿舎でも古参の「御影」、榊剛さんにそれぞれ「御影」と「水鏡」の訓練を受けていた。
「しごかれてる様だな」
「あのおっさん、人間じゃねぇよ」
 ごとりと丼を食卓に置き、流は隣に座った。ぱきりとわりばしを折る。ガツガツとカツ丼をかきこみだした。
「強いのか?」
「強いなんてもんじゃねぇよ。『力』が違い過ぎるってーの!」
 箸をとめ、流は吐き捨てた。自信家な流にそこまで言わせるとは・・・。
「『力』か。確かに、腕力はありそうだな」
「それだけじゃねぇよ。腕っぷしも破壊力も。そのくせ、気配の消すのすげぇ上手くてさ。手加減しねぇし、ちょーっとずつ嬲られるし。おまけに、事あるごとに首しめやがんの」
 憮然と答え、流は丼の飯を口に運んだ。食べることで悔しさを紛らわせている。それを横目に、俺はおそらく冷めただろう、鮭雑炊に匙をつけた。
「まあ、伊達じゃないってことだな」
「おまえはどうだよ。『水鏡』の訓練、閃あんちゃんにうけてんだろう?」
 ため息混じりに呟けば、ヤブヘビとも思える言葉が帰ってきた。丼を手に、じろりと流が睨んでいる。
「ゾースイだもんな。実はハードで食べられねんじゃねぇか?あんちゃん、やさしそーな顔してて、結構えぐいから」
「・・・・そうだな」
 際どい問い。一瞬息を詰めてしまい、絞り出すように答えた。桧垣閃。確かに彼は、表向きだけの優しくて親切な人物ではない。
『おまえ、結界術も他の術も申し分ないよ。さすが、“水鏡”クラスのトップだねー』
 最初に俺の「術」を確認して、桧垣さんは言った。
『おまけに遮蔽結界もはれるし。なら、シュミレーションで十分。後は流をコントロールするだけだけど、そいつはおれの教えられることじゃないからね』
 桧垣さんの「訓練」は主に、各国の情勢と任務の種類と進め方など、講義が殆どを占めていた。いささか実地に対する不安は残るが、それだけならばまだよかった。体力を温存したまま、正式な「初任務」へと臨めたのだから。しかし。
 俺を待っていたものは、それだけではなかった。
『“水鏡”はね、ホントは解術系も使えたほうがいいのよ。そっちはね、特別に教えてくれるって人がいるから』
 何かのついでのように、桧垣さんは言った。
『ま、ちょーっと厳しいかもしんないけど、たぶん早く身につくだろうし。がんばってね』
 にっこりと告げられた言葉。この言葉を軽く考えていた俺は、訓練室の扉を開けて凍りついた。
『こんばんは』
 扉の向こうには、社銀生がいた。
『どうしたの?なんでお前がって顔よ?』
 切れ長の目が笑む。途端に息苦しさを感じた。こいつは昨日、俺を屈伏させた。暴力ではなく快楽で。
『いやー、閃が“水鏡”の術教えるっていうじゃない?それでさ、俺もお手伝いしよっかなって』
 確定。この男が解術を教えるのだ。俺は唇を噛み締め、目の前の男を見上げる。
『行こうか。しばらく詰めて来るから。まあ、何事も最初が肝心っていうでしょ?』
 のんびりと出た言葉が、俺の逃げ道を切り落としてゆく。安息などない。当分は。
『どうしたの?それともここでする?』
 動けない俺を覗きこみ、社銀生は悪戯っ子の笑みを浮かべた。かろうじて俺は首を振り、あの男の部屋へと進んだ。それが三日前。
 自ら宣言した通り、社銀生はあれから毎夜やってくる。毎夜俺に、「解術」を教える。
『取り敢えずこれ、自分で外してね』
 術で拘束された両手。うごかない。
 両手を封じたまま、社銀生は快楽の芽を植えつける。俺は拒まないし逃げられない。なのにどうしてこんなことをするのか。とにかく身悶える俺を笑みながら眺め、焦らして狂わしてゆく。
『ほら、もうこうなってるよ。感度いいねぇ』
 嬲る言葉。耳の奥で熱を生む。
『もしかして待ってたの?欲しくてもガマンしてたのかな?』
 そんなはずがあるわけない。こんなのただの「取引」。流を守る為に必要なだけ。この男を、待つ理由がない。 
 何故だ。
 自分自身に言う。
 たかが数回、身体を繋いだだけなのに。どうしてここまで支配される。
 感じる屈辱。自身への嫌悪。自ら望んだことであっても、気持ちは隠せなかった。あの男が触れる度に、俺の身体は反応する。俺は引きずり込まれてしまう。プライドも何もない、ただのあさましいものの世界へ。
『ほら、解いて。解かなきゃご褒美、あげないよ?』
 喉の奥で笑いながら、社銀生が告げる。その頃にはもう、俺には何も見えない。イヌと同じだ。目の前の快楽が欲しくて、必死で「芸」をこなしてゆく。
『いい子だねぇ。ホント、覚えがいいよ』
 さも満足した様に社銀生が誉める。だけど誉められても嬉しくない。自分がいかに卑しい者かを、思い知らされるだけで。
「大丈夫か?」
 声に我に返った。間近に流の茶色の瞳。奥に不安が見え隠れする。
「どっか・・・・痛いのかよ」
 その目は子供の頃によく見ていた。強気だけど根は優しい義弟。その優しさを、他人は見つけられないだけで。
「おい」
「すまない、考え事をしていた。午後からの訓練、しんどいだろうって・・・」
「なんだよ。弱音吐くなって」
 僅かに笑んで返せば、流はあからさまにホッとした顔をした。ついでしかめっ面で告げる。いつもの義弟が返ってきた。
「ちゃんとやれよな。オレはおまえ以外、誰とも組む気はないんだから」
「水木さんは?」
「水木さんは特別!それまでは、おまえと組むの!」
 なんだかひどいことを言われている気がする。しかし、気にはならない。どうせ水木さんが流と「対」を組む可能性は低そうだし、何よりも水木さんは他の誰かに執心している。俺が心の中で結論づけたその時。
「ホントかよ!」
 食堂にいた誰かが叫び、皆の視線が集まった。
「ホントにあの新入り、帰ってきたって?」
 叫んだ男が声を裏返らせる。そいつと話していただろう男が、こくりと首を縦に振った。
「ああ。確かにさっきすれ違ったぜ。医務棟へ向かっていた。負傷してるみたいだったから、先に手当てしてんじゃないかな。もうすぐくるんじゃないか?」
 男の言葉に食堂がザワめく。俺と流も顔を見あわせた。行方不明の知らせから四日程。みんな、もうだめだろうと思っていた。
「来たぜ!」
 誰かが叫ぶ。姿は見えない。だけど、覚えのある気が近づいてくる。もうすぐここへ・・・・見えた。
「ひゃっほう!」
 奇声が上がった。口笛が、指笛が鳴る。食堂の入口には、驚いた顔の桐野斎がいた。