選択   by(宰相 連改め)みなひ




ACT6

 その部屋の扉を開ける。
 中にいる男を警戒しながら。

「遅くなりました」
 後手に扉を閉めて告げれば、奥の影がゆらりと揺らいだ。
「ほーんと、待ちくたびれちゃったよー」
「すみません」
 一礼して前に進めば、にやにやと面白そうな目が待ちうけていた。相手は長椅子にだらしなく腰かけている。俺は唇を結び、目の前の男を見つめた。
「なーんかお前、全然すまなそうよ?それとも来ちゃダメだった?」
「そんなことは、ありません」
「そう?そのわりにはさえない顔ね」
「申し訳・・・・ありません」
 答えの決まっている問いを出されて、いささかうんざりしながら答えた。この男の来訪を、俺が拒めるわけがない。否も応もないのだ。
「約束を、守って頂いてありがとうございます」
 自ら進み出て、男の前に跪いた。男はゆるやかに笑っている。何を考えているのか、思考の見えない漆黒。
「約束?ああ、あの流って奴を俺の『お手つき』っていうアレね。これで安心した?」
「はい・・・・・とても」
「なんかそういう風に見えないねー。どちらかというと、かえってケーカイしてるみたいよ。まだアヤシイ奴とか思ってる?」
「・・・・・・」
 そんなつもりはない。答えに窮していると、長い腕が伸びてきた。逃げずに目を閉じる。髪に手が入り、項の辺りを掴まれた。
「お前は言葉と態度が逆だね。媚びたことを言うくせに、目が相手を蔑んでる」
 ぐいと引き寄せられ、耳元で囁かれた。目を見開いて俺は戸惑う。覚えのないことを言われても、どう対処していいかわからない。
「俺は・・・」
「そんなつもりはないんでしょ?全部無意識だものね。だからこそ、崩し甲斐があっていいのよ」
 笑んだままの唇が、ゆっくりと近づいてくる。微かに触れて。徐々に押しつけられて。
「お前も苦労するねぇ」
 繋いだ唇が離され、社銀生が言った。
「声も態度もああでかくちゃ、尻拭いがタイヘンでしょ」
 でかい態度に尻ぬぐい。まさか流のことを言ってる?
「それとも、ぜーんぶお前が身体で拭ってきたの?」
「なっ」
 投げられた言葉に逆流する血。敵意を向ける前に身を倒された。床に背中を打つ。二の腕が捕らえられて。
「いいねぇ。怒ると肌がさっと色づくんだ」
 馬乗りになった男が、惚れ惚れと俺を見下ろしている。俺は抵抗できない。腕はびくと動かない。
「それじゃ、イク時はどうかな」
 降りてきた唇が、ぺろりと首筋を舐めた。


『違う』
 痺れた頭に鞭打って、俺は必死に考えようとしていた。違う。今度は、前とは違う。
「は・・・・・あっ、・・・・・」
 前回この男を相手にした時、男は自分の欲望のままに進んできた。相手の状況を考えず、ただ力でぐいぐいと侵して。まるで、自分を刻むかのように。しかし、今回は違った。
「ここ?」
「・・・っ・・・」
「それともここ?」
「あっ!・・・・あ」
「ふーん。ここなんだ」
 まだ最終的な段階には遠い。一つ一つ確かめるような、執拗とも言える愛撫。あらゆる場所に伸びてきて・・・・。
「それじゃあ、ここなんてどーかな?」
「ああう!・・・・・く・・・」
「大当たりー。結構、敏感なのね」
 前とは比べ物にならない緩やかさで、銀生という男の掌が動いてゆく。なぞる舌に肌が震え、落とされる歯に身体が波打つ。
「んん!・・・う!」
 駆け抜けるものの行き場がなくて、首を振るしかなかった。早く終わればいい。なのに、行き着く先が見えない。
「我慢強いねぇ」
 奴が喉の奥で笑った。
「まだまだ、いけるかな?」
 更に追い詰められる。頭が動かなくなって。ただ一つのことしかみえなくなって。
『快楽だ』
 溺れそうな意識が答えを出す。
『快楽を刻みつけられている』
 苦痛ならまだいい。屈辱や羞恥ならまだましだ。だけど。快楽だけは、手に負えない。
「そろそろ限界?どうしよっかなー」
 のんびりと他人事のように言われて、自然と足が開いた。せがむように手が伸びる。もはや自分の意志ではない。
「ちょっと素直になったかな?んじゃご褒美」
 それを受け入れた瞬間、勝手に背筋が震えた。認めるも何もない。もう俺の身体じゃない。
『知ったのだ』
 嫌でも自覚する。
『これは、快楽を覚えた身体だ』
 好き放題に揺らされながら、ついに俺は考えることを放棄した。あとは与えられるものに身体が応える。
 何かが崩れてゆくのを感じながら、俺は深い海に沈んだ。


 血の巡る音だけが聞こえる。
 ザアザアと聞こえるその音は、波の響きに似ている。
 穏やかではない荒れた海。いつだっただろう、母が荒れ狂う海を見ていた。
『どこまでいくのかしらね。でも、もう・・・・かえれない』
 かえるのは故郷の国だったのろうか。それともかつての日々なのか。母はそれきり何も言わなかった。ただ、吹きつける風に立ち続けたままで・・・・。
「いい感じになってきたねぇ」
 耳元に言葉を落とされ、びくりと身体が震えた。これは既に反射。この男の息を、声を。この身が覚えている。
「仕込めばもっといけそうだね。当分楽しめそうだし」
 言葉を返す余裕はなかった。それは確定。けれど俺にとっては「保証」となる。
「閃に言っとくから。ここ好きに使っていいよ」
 言い捨て男は姿を消した。俺は力の入らない身体を見つめながら、母と同じ事を思っていた。

 どこまでいくのだろうか。
 でももう・・・・・かえれない。