選択   by(宰相 連改め)みなひ




ACT3

 誰かに身体を供するということ。
 母がしていたそれを、俺も以前に経験していた。

「海姫様もたいしたものですな」
 学び舎最終学年の年、洲の国から来たという男は言った。
「国では幾多の民が彗の支配に苦しむと言うに、自らは早々に逃げだし、ついには和の国の男に取り入りましたか。さすがは美姫とよばれたお方だ」
 男は洲の国で父の側近だったという。告げた俺は己の短慮を後悔した。ただ同国の人と話したかったのだ。自分は洲の民だと、誰かに告げたかった。
「これでよい土産話が出来ました。洲の民に、愛された海姫様の末路を申しましょう」
 守りたかったのは母の名誉。死してなお、穢されたくなかった。
 俺はその男に身体を与えた。男は一月ほど俺を貪り続け、俺が限界を感じた頃不慮の事故で死んだ。本当は暗殺されたのかもしれない。だけど俺は何も感じなかった。怒りも安堵も。ただ、母があれ程までにして守った俺は、もうどこにもいないと思っただけで。

 俺は「守られる者」ではない。
 だから、せめて大切なものだけは守ろう。

 過去を封印すると共に、俺の守ろうとする気持ちは更に強くなった。「守ること」。かつての母がそうであったように、俺にはそれしかないと思った。


 早朝。
 社銀生の部屋を片付け、俺はやっと自室にたどり着いた。寝台に流れ込む。身体があちこち、ぎしぎし言っている。
 眠ろう。
 すべてを振り払うように目を閉じた。深く眠ってしまおう。眠れば今ある悪夢が、消えるかもしれないから・・・・・。
「海瑠、いるか?」
 夢みたいなことを考えていた時、入口で聞き慣れた声がした。流だ。流が、扉の向こうにいる。
「・・・・ああ」
「お前、遅いぞ。なにやってたんだよ」
 隣室の流は、俺を待っていたらしかった。きっとまた聞かせるつもりだったのだろう、最近流が夢中になってる、手練れの御影の話を。
「すっげーぜ!その人如月水木さんって言ってよ!一人で『御影』も『水鏡』もやれるんだってさ!きっと、御影宿舎でナンバーワンだぜ!」
 如月水木という名前は、記憶の片隅に残っていた。確か初めての新人顔見せの折、「御影」や「水鏡」達の一番前にいた人物の名前だ。
『そうねぇ、なかなかいいじゃない。ま、がんばってよね』
 ゆるくカーブを描いた金髪。よく回るうす茶色の瞳。細身で引き締まった身体。熱く注がれる視線は、俺達ではなく後ろの誰かに注がれてはいなかったか?
「海瑠!返事しろよ!なんでここ、鍵閉めてんだよ!」
 ガチャガチャと取ってを回しながら、流が叫んでいた。いけない。考え事をしていた。
「・・・・・二日酔いなんだ」
 嘘が流れ出た。「二日酔いだぁ?」と、流がすっとんきょうな声を出す。
「おまえっ、酒飲んだのかよ!」
「ああ。だから、頭が痛くて・・・・」
「当たり前だろ!おまえバカかよ!」
 流は更に大きな声で喚いた。ガチャガチャ、取っては更に回される。いい加減、煩わしくなってきた。
「聞いてんのかよ!おまえ、不真面目だぞ!」
「ああ不真面目だ!だから、昼まで眠らせてくれ!」
 堪え切れず身を乗り出して怒鳴ると、扉の外はおとなしくなった。珍しく考えているらしい。
「・・・・わかったよ」
 ぼそりと、流にしては素直な言葉が聞かれた。俺はホッと息をつく。今この姿を見られたら、いくら何でも隠しきれない。
「すまん」
「でも昼んなったら、叩き起こすからな!」
 言い捨て流は行ったらしい。ドタドタと遠ざかる靴音。消えた。
 やれやれ。
 大きく息を吐く。
 今のうち、眠っておこう。
 再び横になった。確かに俺は「取引」をした。でもあの銀生という男が、約束を守るかどうかわからない。完全に流に危害及ばないと確かめるまでは、油断はまだ出来ない。
 夜までには起きないと。
 目を閉じて眠ろうとした。「歓迎会」が行われるのは夜。御影長の目が光っている昼間は、さすがにそのたぐいのことは行われない。
 流のやつ、おとなしくしててくれればいいんだが。
 直情型の義弟を思う。短気でけんかっ早い流は、学び舎時代からいろいろとごたごたを起こしていた。成績がよくなければ、どうなっていたか分からない。
 だけど・・・・今は。
 頭に霞がかかってきた。実は昨夜殆ど眠っていないのだ。意識を失ってはいたが、睡眠とは違う気がする。
 休もう。
 自分自身に言い聞かせ、俺は眠りについた。

 
 夕食後。
「おまえ、そんだけかよ。ハラ壊したのか?」
 食卓に置かれたままの、半分ほど残されたうどんを見て流が言った。俺は曖昧に笑ってごまかす。
「食欲がないんだ」
「酒なんて飲むからだよ。ったく、どこで覚えたんだか・・・」
 ぶちぶちとぼやきながら、流は俺のうどんの鉢を手に取った。残りのうどんを口に運ぶ。
「冷めてるぞ」
「もったいないだろ!残したくせに文句言うな!」
 ずるずると音を立てて、流はうどんをすすった。俺達の育った村は貧しかった。そのためか、流は何でも残さず食べる。
「それで?うまかったのか?」
「え?」
「酒だよ。飲んだんだろ!」
 つり気味の目を更につり上げられて言われた。俺は苦笑する。ガキの延長みたいな流も立派に十六。少しは興味があるらしい。
「そうだな。うまかったと言えばそうだし、違うと言えばそうかもな」
「何だよそれ、結局どっちなんだよ!」
 つかみ所のない答えを返せば、口を尖らせ怒っている。それなら自分も試せばいいのに。流は変なところで意気地がない。
「ただ、少し胸が苦しくなって、頭がくらくらしたな。それよりも後の、二日酔いがたまらない。頭が割れそうで・・・・」
 事実を交えて話せば、流は「そうかー、そりゃやだな」とか言っている。これで流は当分酒を飲まないだろう。じつは恐がりで痛がりの義弟は。
「それよりも海瑠、変だと思わねぇ?」
 ちらちらと周りを見て、流が訊いた。俺は頷く。それには少し前から気づいていた。
「昼間からこうなんだ。気味悪いだろ?」
 俺達の周り半径二メートルには、誰も近づこうとしなかった。今まで新人であるが故、食事中でもいろんな奴らがからかいにやってきた。あるものは言葉で、またある者は流や俺の頭や肩を叩いて。その都度俺は短気な流を、暴れないよう宥め賺すのに大変だった。
「だな。でも、面倒がないのはいい」
 無難な答えを落とす。その裏でほっと胸をなで下ろした。あの人が取引に応じたことを。約束を守ってくれたことを。
「ま、そりゃそうだけどさ。なんか、たいくつだな。水木さんも今、任務でいないんだ」
 どこから聞いてきたのか流の情報に苦笑しようとした時、にわかに御影宿舎の食堂がざわめいた。任務から帰ってきたばかりの者がいる。その男が何か言ったか。
「そりゃ、まずいんじゃない?」
「というか、もう駄目だろうな。新入りだけだろ?」
「組んだ奴も災難だねぇ」 
 口々に男達は話していた。俺達は気になり、男達の輪へと進む。
「何かあったんですか?」
「げっ!そいつはパス。お前にだけ言うよ。こっちきな」
 男は流を毛嫌いし、俺を手招きした。むくれる流を目でなだめ、俺は男の傍に行く。すいと、肩が抱かれた。
「お前、きれいな髪してんな」
「ありがとうございます。それで、何があったのですか?」
 なめるような視線を、気づかないふりで返す。男は小さく舌打ちした後、口を開いた。
「お前達と一緒に入った新人。ほら補欠の。あいつと『対』の奴が任務入ったの知ってるか?」
「はい」
「あいつらな、宗の国で連絡つかなくなったのよ。んで、新入りと組んでた水鏡は国境線でくたばってたってよ」
「!」
 桐野が、敵地で一人。
 男が何か言っている。けれど聞こえない。言葉も出せないまま、茫然と俺は立ち続けた。