選択   by(宰相 連改め)みなひ




ACT2

「ここそんなに使ってないのよ〜、埃っぽかったらごめーん」
 御影宿舎南館の、最奥の部屋を開けて男は言った。
「どうぞ。扉は自分で閉めてね」
「・・・・はい」
 俺は唇を結び、部屋の中へと進む。
 ぱたり。
 大きく息を吸い込み、後ろ手に扉を閉めた。


「おれもいろんな奴見てるけど、おまえみたいなこという奴も珍しいね」
 御影宿舎でも一目置かれている「水鏡」、桧垣閃さんが言った。
「大抵どうしたら『歓迎会』を免れるかとか、自分の代わりを金で斡旋してくれとか言う奴は多いんだけど。自分が誰かの『お手つき』になるから他の奴を保護しろなんて言ったの、おまえだけだよ」
 呆れてるのか面白がっているのか、判別できない顔で言った。かたりと湯のみが前に置かれる。
「ほいどーぞ」
 置かれた湯のみの中には、温かいほうじ茶が入っている。
「だいじょーぶ。なーんにもアヤシイもの入れてないよ。おれはいつでも、信用第一で商売してるんだから」
 じっと湯のみを見つめていたら、苦笑と共につけ足された。別に疑ってたわけじゃない。ただ、こんなことがまかり通るのだろうかと、言い出していながら考えていただけで。
「しっかし、流と義理の兄弟とはね。おれがいない間、あの村も変わったんだねぇ。ま、今さら帰っても家さえないけど」
 俺達と同じ村の出身だったという、檜垣さんは言った。なんでも家が貧しくて、苦労して「御影」になったらしい。そのせいかこの水鏡は、本来の任務以外に賭け事や人や物資の斡旋で金を稼いでいる。
「金さえあればおまえもこんなことしないで済んだのにねー。まあ、そこんとこは諦めてちょうだい」
 鳶色の目をくるりとまわして、先輩水鏡は言った。俺は唇を結ぶ。
 仕方がないのだ。
 十分な金など、俺にはない。
 あるものは、この身体一つ。
「しっかし、流を御影全部の奴に手出しさせない、さらに流は自分の本当の『手付き』じゃないってわけでしょ?いくらおまえっていう特典がついたって、この面倒くさい条件をのむとなると、かなり限定されるんだよねー」
 腕を組み、うんうんと水鏡は考えていた。ちらり。こちらを確かめるような視線。
「一人、いないことはないんだけどさ。ちょっと、クセのある人になっちゃうんだ」
「構いません」
 即答を返した。俺の相手なんかどうでもいい。その人が牽制することで、流を守れるならば。
「それより、その方なら条件を飲んでいただけるのでしょうか?」
「たぶんね。細かいこと気にしない人だし。かえっておもしろがるかもね。本当はもう一人候補がいたんだけどね、そいつは今、別の新人にご執心だから・・・・」
「出した条件を飲んで頂けるのなら、その方でお願いします」
「そう?そこまで言うなら話しとくよ。まあ、考えようによっちゃあ楽かもよ。あの人は御影宿舎に住んでないし、ここにはめったに来ないから」
「それで・・・・大丈夫なんでしょうか?」
 不安になって訊いた。常時御影宿舎にいないのに、新旧様々な御影や水鏡達を抑えられるのだろうか。
「そっちは問題ないよー。なんせ、最古参の御影って言ってもおかしくないし。年期も実力も桁違いだから。あんなのに逆らう奴、ここにゃあいないと思うね。あ、かろうじて一人、いるかな」
 ころころと上機嫌に桧垣さんは告げた。自信に溢れた口調。それが真実味を感じさせる。
「とにかくさ、二人分おまえがサービスするって言っとくから。おまえ顔も身体もオッケーだし、喜ぶと思うよー」
 太鼓判を押され、複雑な気持ちになった。別に気に入られなくてもいい。取引きにさえ、応じてもらえれば。
「んじゃあさ、最後に訊くよ」
 真面目な顔に返って、桧垣さんが訊いた。
「流にはこのこと、いいんだな?」
「知らせたら、こんなことできません」
「だろうねー。おれとしては、あんまお薦めしないんだけど」
 桧垣さんが苦笑した。俺も苦笑を返す。わかっているのだ。こんな事実を知ったら、流は俺を許さないだろう。
「・・・・・すみません」
「ま、おまえの気持ちもわかるし、うまくやんなよ。二、三日したらその人来るって言ってたから。社銀生って人。宜しくね」
 先輩水鏡は言った。そしてきっちり三日後。銀生という男は現れたのだ。


「ま、立ち話もなんだし、そこ座ってよ」
 古びた長椅子を指差し、銀生という男は言った。俺は周りを見渡す。さすが御影最古参の男。あてがわれた部屋も、広くて設備が整っている。
「何か飲む?って勧める所だけどね。この部屋、食いもんなーんにもないのよ」
 それは告げられなくてもわかった。埃にまみれた部屋。食卓らしき台にも、白く埃が積もっている。
「別に構いません」
 答えて服に手を掛けた。茶を飲みに来たんじゃない。どんな場所だろうが、やることは同じだ。まずは取り引きを成立させて、目的を達成したい。
「外見に似合わずせっかちなのね。座らないの?」
「・・・・・・・・」
 返事の代わりに上衣を脱いだ。目を閉じて肌をさらす。自分が蒔いた餌に、目の前の男が食いつくことを願って。
「大胆だねぇ。まあその方が話が早くていいかもね。じゃ確認。俺はお前じゃなくて、流って奴が自分の『お手付き』だって言えばいいのね?」
「はい」
「で、お代はお前が払うと」
「はい」
「オッケー、それじゃあまずは『お試し』からね。取り引きするかはその後決める。いい?」
 ニヤニヤと確認するように告げられ、俺は唇を噛んだ。感情を必死で押し殺す。鍵を握るのは向こう。俺に選択権はない。
「わかりました」
 返事を絞り出して、俺は目の前の男を睨み付けた。相手の切れ長の目が、すっと細くなる。
「素直でいいねぇ」
 笑んだままの目が命じた。俺は男の前へと進みでる。スイと頬に手が伸びて。
「素直なクセにその目。おもしろいねぇ」
 舐めるほど耳に口を近づけ、社銀生は言った。

 
 大切なものを守る為、自分を差し出すということ。
 自分で承知して言い出したこととはいえ、それは容易いことではなかった。
「っ!」
 有無を言わせずそこを侵され、首を振るしかなかった。敷布を握り締める。指先が、何も感じない。
「なーんだ」
 背中越しに、声がした。
「えらく落ち着いてるから、百戦錬磨かと思ってたのに」
 さほど驚きもない声。
「だけど、全然ないってわけでもないかな」
 声に含み笑いが混じる。実は見透かしているくせに、わざと言ってる?
「誰としたの?」
 うるさい。
 振り向きにらみ返そうとした。言葉を出せるような余裕はない。せめて視線だけでも。
「いいねぇ」
 振り向いた先には、漆黒の目が待ち受けていた。弧を描く口元。整いすぎる笑み。
「髪といいその瞳といい、一見黒に見えて実は濃い藍色なんだ。洲の血が入ってるのかな?」
 図星を指されて唇を噛む。そんなこと、関係ない。
「そうだねぇ」
 笑んだままの唇が返した。
「確かにその通りよ。お前が誰とヤろうが、洲国の民だろうが、俺には関係ないものね」
 言葉と同時に深く突き入れられた。防御する暇などない。ただ声にならない声をあげて。背をのけぞらして。
「ほらー、逃げないの」
 退く腰を捕らえられた。逃れようにもびくともしない。
「ちゃーんと仕事しなくちゃ」 
 容赦なく動きが加えられた。息つく暇などない。次々と穿たれて。
「っ!・・・・・あ、ああ!」
 声が出る。噛み締めても歯列の間から、抑えきれずに零れてゆく。
「ほら、ちゃんと膝ついて。崩れたらだめでしょ?」
 喉の奥で笑っている。だけど見えない。だんだん見えなくなってゆく。思考も視界も、ゼロになって・・・・。
「寝たらダメよ〜」
 唯一聞こえる耳だけが、あの男の声を脳に送っていた。


「まあ、いいんじゃないの」
 泥に沈んだ意識の中、社銀生の声が聞こえた。
「今日はちょっと慣れてなかったから、これで終わりにしてあげるよ。次は、ちゃんと仕事してね」
 言い捨てられた言葉にぼんやりと思う。次があるって事は・・・・取引に応じたのか。
「じゃあ、後片付けよろしくー」
 声と共に気配が消えた。どんな術を使ったのか。目では確認していない。瞼を開ける力など、どこにも残っていない。
 これでいいのか?
 自分自身に問う。
 たぶん・・・・・これでいいんだ。
 絞り出すように答えて、俺は意識を手放した。