「俺に用があるのって、お前?」
 御影宿舎の食堂で肩を叩かれた。黒髪黒眼の男。和の国では別段珍しくない目と髪の色。
「閃から聞いたよ。お前、渚海瑠(みぎわ かいる)でしょ?」
 怪訝に見上げる俺に、そいつはのんびりと訊いた。覗き込む瞳。面白いものを見つけた子供の様に輝いている。
「俺、社銀生っていうの。知ってるよね?」
 聞いた名前に覚えはあった。社銀生。それが俺の「取引」の相手。御影宿舎の裏事情を握る「水鏡」、桧垣閃さんが告げた名前。
「海瑠?どうしたんだよ」
 隣の相棒が言った。俺の義弟にして「対」の「御影」、上総流(かずさ りゅう)が。
「なんでもないんだ。水鏡間の打ち合わせがあって・・・」
「打ち合わせ?水鏡ってメンドーだな。オレ、御影でよかったぜ」
 笑んで告げれば、流はやれやれと言う感じで返した。茶色の大きな目を、食べていたコロッケ定食に向ける。
「じゃあ、俺は行くから・・・・」
「ああ、またな」
 流の言葉を背に、俺は銀生という人へ向き直った。目が合う。にやり。目の前の男が笑った。くるりと背を向ける。
「さ、行こうかー」
 鷹揚な調子で告げられ、俺は一歩を踏み出した。




選択   by(宰相 連改め)みなひ




ACT1

 今は亡き母が、ことあるごとに言っていた。
「私はどんな事をしても、あなただけは守りたかったの」
 もとは洲の国の貴族だったという、俺の母。洲が海を挟んだ隣国である慧に支配された折、彼女は夫を失った。母は幼い俺を連れ、洲の国から脱出した。いくつかの国を彷徨い、和の国の夏氏との国境近くの村に腰を落ち着けたのは、俺が九つの時だった。
「あなたはお父様の形見。私の大切な宝物。あなただけは、誰にも渡さない。その為だったら私、何でもできるわ」
 言葉の通り、生きてゆく為に彼女は何でもやった。自分のすべてを投げ捨てて、俺を守り育てた。女と子供が誰の助力もなく生きてゆくのである。母が払った犠牲の中には、自らの身体を男達に供することも含まれていた。
 俺の為に、ただ俺だけの為になりふり構わず進んでゆく母は、俺の誇りと言えた。たとえ物乞いをしようと、遊び女と蔑まれようとも。ひたむきに進む彼女は、悲痛なほど美しかった。
「海瑠、大切なものができたら、それを手放しちゃだめよ。必死で守るの。どんなことをしても。そうすれば、ずっと離れていかないわ」
 母の口癖。それは彼女自身に対する言葉だったかもしれない。母には俺しかいなかった。俺をなくさない為に、彼女は俺を守った。自己を犠牲にして。母は守り続けていれば、大切なものを失うことはないと思いたかったのかもしれない。だからやっと和の国に安住の地を得たとき、俺は心底ほっとした。
 俺は彼女に何もできなかった。ただお荷物になるばかりで。早く大きくなりたいと願い続けるだけで。彼女を守ることなど、当然出来もせず・・・・。
「海瑠、あなたを守りきれてよかった。あなただけが、私の最後の砦だった」
 村に落ちついて二年、母はその生涯を閉じた。村の人々にも受けいられ、流の父という新しい伴侶にも恵まれ、真に安堵した矢先に。
 母は全力で生きた。生き急ぐほどに。その母に何も返せなかったことが、俺の最大の悔いになっている。

 守ろう。
 今度は守るんだ。
 母さんが守ってくれたように。 
 守れなかった、母さんの代わりに。

 母の墓前で俺は誓った。母のように全力で大切なものを守ろう。それが母に繋がると、そう信じて誓ったのだ。
 あれから六年。肉親を全て失ってしまった俺だが、その後も生きてゆくことはできた。流の父は義理堅い人で、俺を引き取り育ててくれた。彼は自分の子供達と俺をわけ隔てなく扱い、流とその兄弟たちも他所者の俺に家族として接してくれた。とりわけ流は俺が一つ年上の俺に対して、常に対等に向き合おうとした。
 一緒に遊び、学び、笑い、ケンカして俺たちは育ってきた。流と流の家族。いつしか彼らは、俺にとって何よりも大切なものになっていた。だから流が学び舎を受けると言った時、俺は迷わず流と学び舎を受けた。自分が年上であるということにもかかわらず、俺は一つ下の者たちと「水鏡」を目指した。「御影」に適性が見とめられた流の、補佐になりかったのだ。
 俺には疑問すらなかった。流がなるなら俺もなろう。大切な流を守るんだ。自分にエージェントの適正があるかどうかは分からない。特に興味があったわけではない。でも、流がなるなら一緒にと思ったのだ。
 思えば俺には自分の為の選択など必要なかった。自分の大切なものを守る。選択の条件になるのはそれだけで、他のことなどどうでもよかったのだ。
 そして年月は過ぎ、順調に学び舎を卒業して「御影」と「水鏡」になった俺たちに、その試練は訪れた。新人の「歓迎会」である。
 かねてからそれに対する噂は聞いていた。「御影」に配属になった者が、避けて通れぬ見定めの儀式。見定められる方法には、数種類あると聞いた。
「おまえ達見目がいいからねぇ、たぶんあっちの方法だと思うな。経験ある?」
 御影宿舎に入ってすぐ、そう言って声を掛けてきたのは手練れの「水鏡」、桧垣閃。彼は流の知り合いだと言う。俺は少なからず動揺した。知っていたこととはいえ、自分が欲望の対象として見られる事実。そして何より、自分だけではなく義弟の流も。
「どうせやな思いすんならさ、なんかメリットある方がいいじゃない?早めにパトロン見つけるってのも策だね。なんなら斡旋するから。なんかあったら、おれに相談してね」
 そう言って桧垣さんは去っていった。パトロン。斡旋。その必要があるのだろうかと考えているうちに、俺はある出来事に出くわした。
「桐野!」
 その時廊下で見かけた同期の者は、いきなり崩れるように倒れた。駆けつけて気づく。蒼白な顔。切れた唇に多数の打撲傷。任務服で隠れた中にも、青あざが顔をのぞかせている。
「どうしたんだ!」
「なんでも・・・ないです」
 抱き起こそうとして、尋常じゃない痛がり方に直感した。こいつ、どこか骨折している。
「なんでもないってことはないだろ。桐野、何かあったのか?」
「ほんとに・・・何も」
 桐野斎は流と同級生だった。学び舎時代「御影」コースで常にトップだった流を、桐野斎は一度だけ模擬戦で打ち負かした。それ以来、流は斎を目の敵にしている。俺から見れば彼はおとなしいだけの奴で、そんな実力のあるタイプには見えなかったのだが。確か、「御影」へも補欠で入ったと聞いた。
「すいません。渚・・・海瑠さんですよね?医務棟は、どこですか?」
「ああ、それならこっちだ。俺も行こう」
「大丈夫・・・です。おれ、歩いて・・・」
「馬鹿を言うな。ほら、腕よこせ」
 桐野に肩を貸しながら、俺は医務棟へと急いだ。程なくたどり着き、治療を受ける桐野に付きそう。彼の肋骨二本には、それとわかるヒビが入っていた。
 「歓迎会」だ。
 桐野の打撲傷だらけの身体を見て、俺は確信した。彼は「歓迎」されたのだ。その結果、こうなっていると。
「海瑠さん」
 傷の手当てを終えた桐野が、こちらに来た。俺は握りしめていた拳をゆるめる。
「ご迷惑かけてすみませんでした」
「いや・・・・俺が勝手について来ただけだ」
「いいえ、助かりました。それとあの、お願いがあるんです」
 黒目がちの目を向け、桐野斎は言った。真摯な表情。
「なんだ?」
「今日のこと、誰にも言わないでください」
「何故だ」
 即答で返してしまった。お前、こんなめに遭っているのに。
「どうしても迷惑を掛けたくない人がいるんです。このことをきっかけに、あの人に危害が及んだら・・・・・お願いです」
 すがるような瞳に押されて、思わず頷いてしまった。必死な眼差し。母さんがしていたような。
「ありがとございます」
 一礼して、桐野斎は自室へと帰った。後ろ姿を見つめる。ゆっくりとおぼつかない足取り。それでも前に進んで。
 思ったより、芯の強い奴なんだな。
 感心した俺は翌日、小耳に挟んだ話に更に驚かされた。
 あの後桐野斎は早朝、初任務に出たというのだ。ヒビの入ったままの、肋骨を抱えた上で。
『ありがとございます』
 桐野の、弱々しい笑みが思いだされる。ほっそりとした後ろ姿も。俺は奥歯を噛み締めた。
 これが現実なのだ。
 新人の「歓迎会」は実際にあるし、内容も桐野斎の身体が物語ってる。
 早く、手を打たなければならない。
 ひしひしと危機感を感じた。自分のことはいい。流がああなるのは、いやだ。
「おっはよー、なんかコワイ顔してるねぇ。どしたの?」
 ポンと肩を叩かれた。振り向くとそこには、桧垣閃さん。
「・・・・・・お話があります」
 固く拳を握り、俺は口を開いた。