選択   by(宰相 連改め)みなひ




ACT12

「バカなことしたねー」
 リンゴを剥きながら桧垣さんが言った。
「おまえほど力があれば、倒すのは無理だとしても逃げるくらいはできたでしょーに」
 ブツブツと桧垣さんは続ける。幾分怒りの混じった声音。ベッド上の俺は、おとなしく聞くしかない。
「全くやられ損だよ。そう言ったのに」
 最後の皮をぶちりと切り取り、桧垣さんはリンゴを切り出した。タンッ。タンタンッ。少し乱暴な手付き。リンゴに八つ当たりしている。
「はい、早く食べな。食わなきゃ回復しないよ。無理にでも詰め込め」
 言われてそろそろとリンゴに手を出した。しゃり。一口齧ると同時に、口内に甘酸っぱさが広がる。
「・・・・すみません」
「おれに謝ってもしょうがないだろ。謝るなら後で流に謝りな。あいつ、いよいよ合同練習だって張り切ってたから。おまえのことは風邪でダウンって言ってある。あいつが来たらおまえがゆっくり休めないからって、面会謝絶にもしている。今頃よけいな事できないよう、剛ちゃんにしごかれてんじゃない?」
 告げられ俺は項垂れるしかなかった。配慮に頭が下がる。あの後やっとのことで自室にたどり着いた俺を、桧垣さんは待ち受けていた。何があったかも知った様子で。あの時一目でも流に見つかっていたら、事実を隠せなかっただろう。
「ほら、さっさと食って眠っちまいな。回復にゃそれが一番。だらだら弱ってたら、襲ってくださいって言ってるようなもんよ」
 それは真実なのだろうと思った。自分の身は自分で守れ。受けた打撃に立ち上がれなかったら、そのままハイエナに食われるだけ。ただ俺の場合、問題は自分を守ろうと思うかどうかなのだが。
「ごちそうさまでした」
「よしよし。熱は・・・まだ少しあるな。これ飲んで」
 リンゴを詰め込んだ俺に頷き、桧垣さんは額に手を当て熱を計った。身につけたポーチよりなにか取り出す。小さな丸薬。
「滋養強壮剤。よく効くから、騙されたと思って飲んでみな」
 促されて俺は丸薬を手に取った。差し出された水と共に飲み込む。喉を通る水の冷たさが気持ちいい。 
「ありがとう・・・ございます」
「はいはい、もう横になって。おやすみの時間よ」
 言われてその通りにする。目を閉じようとして、ぐいと頭を掴まれた。間近に流と同じ、鳶色の大きな瞳。
「もうこんなこと、するなよ」
 真摯な瞳が告げていた。俺は申し訳なくなる。狭量だった。周りの事を考えず、安易に自分を諦めてしまった。
「・・・・はい」
「逃げるもよし。戦うもよし。割り切って金もらうもよし。だけど、自分を投げたりするな。一人でなんとかしなくていいのよ。わかる?」
 訊かれてこくりと俺は頷いた。今頃後悔。しかし、もう遅い。
「じゃあな。食事はここに運ぶから。あとはずっと寝てんのよ」
 いつもの口調に戻り、桧垣さんは部屋を去って行った。俺は頭まで毛布をかぶる。襲う自己嫌悪。
 ほんとにバカだ。
 声を出さずに呟き、俺は瞼を閉じた。

 
 結局俺は丸二日、自室のベッドの上にいた。その間桧垣さんは部屋を訪れ、必要なことをして行ってくれた。
「よっと・・・・あ、つ・・・」
 痛みがありながらも身体を起こせるようになった三日目の早朝、俺はシャワーを浴びた。過日の後遺症はあちこちに残っている。でも、なんとかいける。
 まずは隣室に、流に謝らなくては。
 桧垣さんの言いつけを守ってか、この二日間、流は俺の部屋を訪れなかった。あの性格だからさぞ苛ついただろうに。しっかり詫びと礼を言わなければと思った。
「流、いるか?」
 身仕度を整え隣室の戸を叩く。中からいらえはなかった。流の気も感じない。
 いないのか。
 食堂かな。
 少し考え俺は、流を探すことにした。食堂へと向かう。少しでも早く謝りたかった。
 流、いるだろうか。 
 ・・・・・それにしても、騒がしいな。
 食堂についた俺は、その様子に少なからず驚いた。任務の時間が不定期な「御影」とはいえ、今は早朝だ。いつもなら人もまばらなはず。しかし、その時の食堂は夕食時と同じくらいの人間でひしめき合っていた。
 どうしてだろう。
 何かあったのか?
「もういいのか?」
 声と共に誰かが近づいてきた。流だ。予想通り、むっつりとしている。
「ああ、すまない。迷惑を掛けた」
「自己管理が足りねぇんだよ。風邪なんて。熱とかないのか?」
「大丈夫。下がった」
「ほんとかよ」
 いきなり流の手がのびて、額の熱を計った。俺はおとなしく目を瞑る。どんな言い訳より、流には事実が一番だ。
「よし、ないな」
「だろう?」
「油断するなよ。風邪は治り際が大切なんだから」
 じろりと釘を差すように見られて、俺は思わず苦笑した。流のやつ、すっかり疑り深くなっている。
「それにしても人が多いな。何があったんだ?」
「脱走だって」
「脱走?」
「ああ」
 流の言葉に、俺は大きく目を開いた。脱走。この御影宿舎を、誰かが逃げだしたというのか。
「『御影』が二人、いなくなったんだってよ。皆逃げたって言ってる。でもおかしいんだぜ?そいつら部屋に貴重品残したまんまだし、翌日にゃ自分達バラバラに任務入れてたんだって」
「それは変だな」
 俺は眉を顰める。逃げるならそれなりの用意をするはず。そんな余裕もなく、慌てて逃げなければならなかったのか?
「だろ?で、更には三日前の夕食時以降、そいつらを誰も見てないんだ。部屋に帰った痕跡もない。どうなってんだろうな」
 三日前。それも夕食後以降。何か嫌な予感がする。
「誰なんだ?」
「え?」
「その、いなくなった奴ら、誰だ?」
 驚く流に詰め寄り、俺はそいつらの名前を訊いた。なんだという顔のまま、流が問いに答える。
「どっちも西館の『御影』らしいぜ。一人は牟(ぼう)って奴。もう一人はあいつ。あの、食堂でオレをのけもんにしておまえと話した奴!」
 言われて背筋が凍った。あいつが。ならばもう一人の牟って奴は・・・・まさか、あのいかつい黒眼の男?
「やめてくれよぅ!」
 動揺する俺の耳に、聞いたことのある声が聞こえた。キィキィと悲鳴のように聞こえる。これは、あの水鏡の男。
「オレは何も知らねぇよ!もう勘弁してくれよ!」
 声は食堂中央部の人だかりから聞こえてきた。そちらを向く。思った通りあの目ばかり大きな男が、もう一人の男に詰め寄られている。
「お前が知らないわけねぇだろ!牟は、お前の御影に連れられてったんだ!どうしてくれるんだよ!おれたち、今夜任務なんだぞ!」
 水鏡の男に詰め寄っている男は、牟という男の「対」の水鏡らしかった。相棒がいなくなったのを不審に思い、手がかりになるあの目ばかり大きい水鏡の男を問い詰めているらしい。
「何にも知らねぇ!知らねぇんだよーー!」
 必死で叫び、男は詰め寄る男の腕を逃れた。こっちに逃げてくる。
「ひ!」
 男は俺を見つけた。目の前で立ち止まる。恐怖に歪む顔。俺を見ている。
「・・・・・・」
「か、勘弁してくれよぅ!オレは、何にもしてねぇ!」
「・・・・・・あの」
「わああああああっ!」
 男は錯乱していた。小刀を抜き襲いかかってくる。刃が俺に刺さる直前。
「何やってんだよ!」
 カキンと小刀が弾かれて、かしゃりと音を立てて床に刺さった。流が俺の前に立っている。男を睨み付けて。戦闘態勢だ。
「流!」
「オレの水鏡にさわんな!」
 流に一喝されて、男はへたへたとその場に座り込んだ。追い詰められた顔をしている。いきなり男は落ちた小刀を拾い、自らに突きたてた。噴き出る鮮血。赤く床を汚す。
「うわ!」
「おいやっちまったぞ!医務棟運べ!」
 わらわらと男たちが集まってくる。あっという間に水鏡の男は医務棟へと運ばれた。とにかく出血が多い。あれでは助かるかどうか。
「・・・・なんなんだよ」
 騒ぎを目の当たりにして、流がぼそりと呟いた。訳がわからないとでも言いたげな表情。どう言えばいいかと考えていたその時。
「なんか、ノイローゼかね」
 ポンと肩が叩かれ、桧垣さんが後ろにいた。俺達は後ろを振り向く。
「時々いるのよねー、任務やらなんやらで狂ったり逃げ出したりする奴。まあ、人それぞれだから仕方ないねー。おまえ達大丈夫?」
「もちろん」
 桧垣さんに問われて、流の疑問はうまく打ち消されていた。俺は内心ホッとする。あの自分を刺した男との関係を訊かれたら、返す言葉に詰まってしまっただろう。
「さーて、なんか興醒めって感じね。元なおししよっか。なんか食べよ。あ、剛ちゃんが来た」
 こっちこっちと榊さんを招き入れ、桧垣さんは俺達を食堂の奥へと連れていった。それぞれに早めの朝食を摂る。今後の訓練内容の説明を受けて。
「海瑠くんの身体が本調子になったら、四人で初任務いくねー」
「いいのかよあんちゃん。合同練習、してないぞ」
「いいんじゃない?仲良し義兄弟ペアだもの。息が合わないってことはないでしょ?」
「そりゃそうだけどさ。いい加減〜」
 明るい会話が続いてゆく。久しぶりのそれを心地好く感じながら、俺は朝食を口に運んだ。


「じゃあな。まだ寝とけよ」
 自室の扉の前で振り向き、流は俺に告げた。
「オレ、朝まで夜間訓練だったんだ。だから、寝る」
 大きなあくびを一つして、自室の扉を開ける。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
 ぱたりと扉が閉められた。俺は大きく息を吐き出し、隣にある自分の部屋の扉を開ける。部屋に入って。
「おかえり」
 声に身体が震えた。全身から汗がふきだす。声が、出ない。
「『ただいま』くらい言わなきゃだめでしょー?まだまだ、しつけが足りないねぇ」
 にやりとおもしろそうに笑う。自室の寝台の上には、社銀生がいた。