呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT8

 自分でも何をしてるのだと思う。だけど。
 俺はその方法以外、自分を追い込む方法を知らなかった。

「よかったぜ」
 節くれだった指が、俺の髪を一房掴む。口づけられて眉を顰めた。スイと顔を横に向ける。
「つれねぇな。終わった途端これかよ。お前、入れてる時とそうでない時、別人だな」
 困ったような声音。俺は横を向いたままでいた。うるさい。余計なことは言わずに、終わったのならさっさと行ってくれ。
「あーあ、はいはい。俺とはただの『取引』って言いたいんだろ?わかってるよ」
 ため息混じりに男は告げた。表向きは任務に必要な情報を得る為の『取引』。その実は、自分を追い詰めるための『手段』。御影宿舎東館でも上位に属するその男は、その意味では実に適任な男と言えた。
「しかし半月前、お前の方から声掛けてきたときはびっくりしたぜ。お前が誰かの『お手つき』だってことは、周知の事実ってやつだったからな」
 男は羅垓(らがい)といい、専属の「水鏡」は持たず常に単独で動いている。同じ単独ではあるが、この男はかつての水木さんのように外交などの表向きな任務はしない。羅垓は主に、遠方の国の情報収集の任務にあたっていた。
「まあ、どんないきさつかは知らねぇけど。ラッキーだったことには変わりない、か」
 髪を弄んでいた指が、右耳に触れた。俺はごろりと身体を返す。男に背を向けたまま敷布に手をつき、身体を起こそうとした。
「・・・く・・」
「もういいのか?結構、手加減なくやっちまったけど。明日響くんじゃねぇの?」
「大丈夫です」
 掛けられたいたわりの言葉。短く告げて切り捨てた。後ろで落胆した気配。
「全く、かわいくないねぇ。ああそうかい。なら、もっと堪能すりゃよかったな」
「すれば、いいじゃないですか」
 ぶちぶちと零す男に、ちらりと目をやり告げた。ごくり。男が唾を飲みこむ。
「・・・・いいのかよ」
 寝転がっていた男が肘を立てた。僅かに上体を起こしている。月明かりに照らされる赤銅の髪。同色の瞳に浅黒い肌。胸に脇腹に散らばる、無数の傷。
「いいですよ」
 俺は小首を傾げ、ゆるく笑んだ。いらない。俺は話がしたいんじゃない。俺が欲しいのは・・・。
「羅垓さんの御自由に。もちろん、それ相応のものは頂きます」
 先程までの情交で、身体は限界近くまできていた。更に情交を重ねれば、たぶん・・・・。
「どうされます?」
「聞くだけ野暮だな」
 ぐいと腕が引かれた。敷布の上に沈む。伸し掛かってくる男。熱い身体。
「じゃ、いただくぜ」
 耳元に落とし込まれた言葉。荒い息混じりのそれを聞きながら、俺はシミだらけの天井を見上げた。 


 羅垓と関係を結んでから、俺は比較的眠れるようになった。医務棟でもらった薬は飲んでいない。あの夢の後すぐ、俺は薬をくず入れに放り込んだ。悪夢より不眠の方がましだ。しかしこのままではいけない。切羽詰まった状態で俺は御影宿舎のまわりをうろつき、任務帰りだったあの男に出会ったのだ。

 誰でもいい。
 自分を壊してくれるなら、誰でも。

 選択肢のなかった俺は、羅垓を誘った。男は最初は訝しんでいたが、ついには俺との「取引」に応じた。
「どうしておれなんだ?」
 羅垓は俺に訊いた。だけど俺は答えなかった。答えられない。実は誰でもいいと思っていたはずなのに、気がつけば自分は御影宿舎の東館でも割きりがよく、後腐れなさそうなこの男を選んでいる。
 結局。こうやって計算しているところが、最低だな。
 自嘲せずにはいられなかった。心の中ではいつも、自分と取り巻く全部を壊したがってる。だけど自分では何もできない。常に自分に不利にならない選択をし、誰かに自分を壊させる。姑息で狡猾な自分。
 やはり・・・・これでは動けないな。 
 男が去った後、寝台の上で俺は苦笑した。数を重ねた情交は、手足の力を奪っている。隣は冷たい。きっと行為が終わった後、男はすぐにここを去ったのだろう。
 こういうところといい、さすがと言うべきだな。
 枕元に置かれた書きつけを見て、俺は苦笑した。洲の国の情報。きっちりと代価。羅垓も伊達に東館上位のものではない。執着はするが溺れない。無駄に縛れば俺が離れてゆくこともわかっている。その上で、とれるものはとってゆく。そんな羅垓は実に、俺にとって都合のよい存在と言えた。
 朝か。
 窓の方を見やって思った。薄く光のさす部屋。ここは御影宿舎から少し離れたところにある、小さな宿屋。
 宿舎に、帰らないとな。
 俺は顔を顰めながら、ゆっくりと起き上がった。そろそろと立ち上がり、衣服を身につける。
 払いは先に済ませてあるとか、言ってたよな。
 身なりを整え鏡を見た。薄く色づいた目の端。情事をなごりを残した顔。
 嫌な顔だ。 
 目を伏せ印を組んだ。忘れ物はない。長い口呪を開始して。
 方位。距離。高さを確認して、位置を定める。精神を集中して、その座標へ。
「向」
 言葉と同時にぐにゃりと視界が歪む。フッと身体が軽くなった。次の瞬間、重圧が伸し掛かってくる。酔ったようにぐらぐらとした視界。思わず膝をついた。まわりを見回す。
 自室だ。なんとか安定してきたな。
 転移の術。この術を会得するのに、ずいぶんとかかってしまった。ひどく神経が疲れてしまうし、今もごく短い距離しかできない。だけど誰にも見られず、御影宿舎に出入りできる。
 皮肉なものだな。あの男に教わったことが、こんなにも役にたっている。 
 この術は社銀生に教えてもらった術だった。急に呼び出された時などに、時間が惜しいから覚えろと、情事の床で印を覚えた。
 流は・・・・起きているようだな。
 気を探る。左手で印を結び、真一文字に右手を振った。ぴしんと小さく音がして、遮蔽結界と封印結界が解ける。流にこちらを見せない為の、カモフラージュの結界。
 これでよし。後は、少しでも寝ておくか。でないとまた、反応が遅れてしまう。
 大きく息を吐き、俺は寝台に横たわった。最近、反応の遅れで度々傷を負っている。頭では避けきれているのに、情事の後遺症が残る身体は、思ったようには動かない。
 かすり傷なのに流のやつ、うるさいしな。
 傷を負った時の、目尻をつり上げた義弟を思いだした。この頃流は、いつもにも増して苛立っている。そろそろ、下手は打てない。
 眠ろう。
 微睡みが降りてきた。身体の疲労と心の疲労。どちらも合さって眠りの世界へと誘う。眠りのみに支配された頭。それを心地好く思いながら、俺は瞼を閉じた。