呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT7

 おかしい。
 いくらオレでもそれくらいわかる。
 海瑠が、違う。

「まったく、何やってんだよ」
 ぶちぶちとぼやきながら腰の装備を探った。救急キットを取り出し、止血パッドの包装を開く。
「わかってんのかよ。あんな破片、よけろって!」
 ぐいと海瑠の手首を引き、傷口に止血パッドを押しつけた。相棒が顔を顰める。うるさい。ちょっとくらい我慢しろ!
「お前らしくないぞ。またボーッとしてたんだろ!」
「・・・・すまない」
 イライラと感情のまま吐き出すオレに、海瑠が困ったように笑った。その笑みが、更にオレの苛立ちを煽る。
「お前が謝ることじゃねぇだろ!あの岩砕破したのは、オレだ!」
 ついに怒りは頂点に達した。叫んで奥歯を噛み締める。自分が放った術が、あいつを傷つけたことが悔しくて。
「しかし・・・避けきれなかったのは俺だ。いつもは結界でガードするか、避けていた」
「そうだよ!だけど、違う」
「流?」
「違うって言ってんだよ!」
 八つ当たりは十分承知だった。もどかしくてしょうがない。砕破。障害物を砕く為に繰り出した術。飛び散る破片達を、海瑠は確かに避けきれなかった。けれどそれだけ大きな術を放ったのは自分。もっと小さな規模でも、目的には事足りたのだ。
「次は、気をつける」
「当たり前だろ!」
 やり場のない気持ちをぶつけた。言い過ぎだと思う。でもいつだってあいつは、飛んでくる破片くらい軽々と避けていた。
「最近多いぞ。たるんでるんだよ!」
 言ってて虚しくなる。海瑠に当たっても仕方がない。どうせこいつはオレの砕破のことなど微塵も出さすに、ただ殊勝に反省してみせるだけなのだ。
「・・・・・そうだな」
 海瑠がぽつりと呟いた。オレは苛立ちがどうしようもなくなって、海瑠が見えなくなるように顔を背ける。
 こんなことが度々、起こるようになっていた。
 少し前まで眠れないと言っていた海瑠は、その後それなりに眠れるようになったらしい。確かに部屋で寝ていることが多いし、目の下の隈も薄くなった気がする。しかし。
 どうしてだかわからないが、オレの「水鏡」は反応が鈍くなった。もともと体術が好きではないのは知ってる。でも十分、オレと互角にやってきたのだ。なのに。
 任務中で訓練中で、海瑠の反応は度々遅れた。
「血は止まったな。もういい」
「お前、他んところは?」
「いらない。宿舎に帰って自分でする」
 止血パッドをはずして、海瑠はすっくと立ち上がった。外した装備をつけている。
「大丈夫かよ」
「ああ」
「もっと休んでもいいんだぞ」
「休んでどうなるものでもないだろう。宿舎に帰って手当てする方が、よほどいい」
「・・・・・なら、いいけど」
 淡々と言葉を返され、オレも渋々立ち上がった。相棒が後ろも見ずに駆けだす。オレは大きなため息をつき、思いっきり地面を蹴った。


 あいつ、どこ行ったんだろうな。
 食べ終わった皿をぼんやりと見つめ、オレは思った。夕食を食べようと隣室を覗いたけど、海瑠は部屋にいなかった。
 いつのまに出てったんだろ。
 口を結んで考える。任務から帰って部屋でひと息ついて、隣室の戸が開いた気配はなかった。それだからたぶん、あいつは部屋で寝ているだろうと思ったのに。
 寝てるかいないか、どっちかだよな。
 すっかり乾いてしまったハンバーグのケチャップに、そろそろ食器を返さないとまずいなと思ったところで、ぺしりと頭をはたかれた。驚いて顔を上げる。
「なによ、またシケた顔してるわね」
 見上げた先には御影宿舎でもナンバーワンの人、如月水木さんがいた。
「あんたうるさいトコがヤだけど、クライのはもっとイヤだわよ。閃っ!閃ー!」
 目の前に仁王立ちしながら、水木さんは声を張り上げた。わいわい。人だかりの中から、閃あんちゃんが現れる。
「なによ水木?今、『謎屋』の新作カタログ配ってんのよ。いる?」
「モチよ。それよりあんた、ちょっとこのコなんとかしなさいよ」 
「え?なんでおれが?」
 かくりと首を傾げながら、閃あんちゃんが返した。 
「こいつ、あんたの弟子でしょ?ほら、こっちきてちゃんとシツケなさい!」
「えー?そいつもう東館だよ?それに、流は剛ちゃんの管轄よん。だって『御影』だし」
「なに言ってんのよ!アタシ知ってんだから。あんた、あの事バラしても・・・・」
「あー!わかったわかった!いくいく!」
 ばたばたと慌てながら、閃あんちゃんはこちらにやってきた。水木さんがふふんと鼻を鳴らす。
「わかりゃいいのよ」
「もー水木ちゃんたら、いじわるなんだから」
「アタシをなめないことね」
「なめてなんかないよー。おれ、いい子だもん」
「そうよねー。じゃ、そいつ、たのんだわよ」
 ぴらぴらと手を振りながら、水木さんは閃あんちゃんのいた人だかりへと進んだ。あっという間に誰かからカタログをひったくり、わいわいと見ている。
「んで?どーしたのよ」
 水木さんの姿を追ってたオレの、目の前に茶色が広がった。閃あんちゃんが覗きこんでいる。
「・・・・なんでもねぇ」
「なんでもないってことはないでしょ?お前が煮えきらないこと言ってる事自体、なんかあるって感じだけど?」
「だってよくわかんねぇんだもん。なんか、おかしいって気がするんだけど、何がおかしいのか・・・」
「おかしいって?」
「海瑠だよ!」
 心にあるモヤモヤを吐き出した。言ってからすっとする。そうだ、海瑠がおかしい。
「海瑠くんねぇ。どこがおかしいの?」
「それがよくわかんねぇんだ!」
「どうしておかしいの?」
「それも知らねぇ!」
「じゃ、訊けば?」
「言わねぇんだよ!いつも『なんでもない』ばっかで!」
いったん出してしまったら、モヤモヤは次々と噴き出てきた。あんちゃんは、驚く様子もなく聞いている。
「『なんでもない』、か。そりゃあ、一番厄介だねぇ」
「普段のあいつじゃないんだ。この頃いつもじゃないけど、時々一瞬の反応が遅れる。ケガしてる風じゃないし、以前みたいに眠れないってこともないみたいだ。むしろ、今は部屋で寝てるほうが多いのに・・・。たまに黙ってどっかいっちまうけど、それ以外は食事だってちゃんと摂ってる。だから、なんでかわかんないんだっ」
 一気に全部を吐き出した。自分でもバランスが取れなくなっていた。どうしておかしいと思ってしまうのか。なぜこんなに苛つくのか。
「ふうん。とにかく反応が遅れるってのは、あいつらしくないねぇ」
 うーんと腕を組みながら、閃あんちゃんが言った。
「だろ?海瑠はいつも、余裕をもって動いてるんだ。オレが少々無茶やっても、十分カバーできるように・・・・」
「そら、いけねぇな」
「おっさん!」
 ぼそりと出された声に振り向けば、榊のおっさんがいた。任務帰りなのか、服についた血が生々しい。
「あら剛ちゃん。宗の間者、もう吐いちゃったの?」
「きたねぇジジィだったからよ。さっさと吐かせた」
 榊のおっさんは「御影」の他に、拷問係の役目を持っている。そのせいか首締めとかやたら上手い。新入りの頃、意識を失うか失わないかぐらいのところで締められ、よく遊ばれてしまった。
「おい流。お前、情けねぇぞ」
「え?」
「自分の尻くらい、自分で拭え」
「おー!剛ちゃんかっこいいー!」
 パチパチと手を叩きながら、閃あんちゃんが言った。オレはおっさんに言われた言葉に顎を引く。
「剛ちゃんたら人に自慢できないシュミ持ってるけど、やっちゃったことの責任はとるものねぇ〜。今まで何人の奴に、命狙われたか・・・・」
「うるせぇ」
「あ、こわーい。でも流、お前、甘え過ぎだよん」
 さらりと閃あんちゃんにも言われて、オレは項垂れてしまった。師匠二人が追い打ちを掛ける。
「海瑠くんのフォローあてにやる攻撃なら、やらないほうがマシだね」
「ただぶっこわすだけが『御影』じゃねぇ」
「うわ今日の剛ちゃん、別人さんだよ!」
「閃」
「はーい!黙りまーす」
 冗談の中に込められた言葉を、オレは黙って聞くしかなかった。確かにそうだ。あいつのフォローをあてにして動いていた事実が、今見え始めている。
「ま、でもあいつ、最近おかしいっちゃおかしいよね」
 くるりと目をまわしながら、閃あんちゃんが言った。
「あいつって、あいつか?」
「そ、海瑠くん。剛ちゃんも気づいてた?」
 あんちゃんの言葉に、榊のおっさんも頷く。気づいていたのがおれだけではなかったと安心した。
「まあさ、おれのほうでもいろいろ気になってるから、ちょっと情報入れてみるよ。だから待ってな。な?」
 微笑みと共にポンポンと肩が叩かれる。オレは晴れない胸を抱え、ただ頷くしかなかった。