呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT4

「よお閃、なんかサワガシイのね」
 水木さんが御影研究所に走り去った後、あの人が御影宿舎に来た。
「水木いないの?残念〜。実は飛沫じーさんにお話なの。ちょっと通してね」
 すれ違い様にやられた視線。目が告げていた。『ごめんねー。今日は構ってあげらんないのよ』 と。
 何かが起こっているとは知っていた。
 何かが起こりそうな兆しも見つけていた。
 何かが起こるだろうと、予感もしていた。
 だけど・・・・。


「おしまい・・・ですか?」
 思わず聞き返してしまった。目の前の人が、すいと杯を上げる。慌てて酒を注いだ。
「そうなのよ。今までありがとね。今日は『お別れ会』。堪能してね」
 目の前には本式の会席料理と洲国の酒が並べられている。どれも素人の俺が見たって、極上の一品。
『明日、“吉膳”に来てよ』
 あれから数日。桧垣さんが西央の砦でしたという単独任務から帰って、土産話を聞いていた時、その遠話は俺の耳に入った。 
『お腹空かして来てね。いっぱい、ごちそうするから』
 告げられた言葉に疑問がないではなかった。確かにあの人との逢瀬の時、外で食事したことはある。思えばこの五年間、様々な場所に連れて行ってもらった。でも。
 あの人は俺が空腹かどうかにはこだわらなかったし。出された料理を食べられなくても、別段気にしていなかった。
 どうしたのだろう。
 疑問を抱きながらも翌日、「吉膳」についた俺は更に驚いた。通された部屋がいつもと違う。一国の大臣が使うような、絢爛豪華な部屋。奥の間らしい部屋もない。
「実はね、お前とは今日でおしまいにするのよ」
 いつもと何も変わらない笑顔で、社銀生は言った。俺は耳を疑う。
 聞き返した言葉にも、決定された言葉が返ってきた。俺は奥歯を噛み締める。目を閉じて。
 そうなのだ。
 もう、「おしまい」なのだ。
 言葉の意味を噛み締める。やけに早くなってくる鼓動を、俺は必死で抑え込んだ。

 
「俺もね、ついに身を固めたのよ」
 洲の酒を味わいながら、社銀生が言った。酒が勧められる。俺は杯を差しだし、目の前の人の酒を受けた。
「すーっごいラッキーだったんだけどね。他にはない人が手に入ったから・・・・」
 機嫌よく社銀生は飲み続ける。俺も酒を口に含んだ。舌に広がる、まろやかな味。
「あの人ね、結構タイヘンなのよ。だから、おしまい」
 断片的な言葉。それらが全てを告げていた。この人にこれだけさせる人。この人が選んだ人は、そういう人なのだ。
「お前さ、今部屋どこ?」
「東館です」
「そうなの。じゃあ、もう大丈夫じゃない。よかったねぇ」
 この人と関わったきっかけ。それは義弟の身を守る為の「取引」だった。その「取引」も一年ほどで、必要のないものになっている。
「んじゃ『晴れて自由』ってわけね。楽しんでちょうだい」
 にっこりと告げられる。俺は今までの日々を拘束されていたとは思っていない。むしろ必要としていた。注がれる心はないとしても、自分を壊してくれるこの人を。
 熱いな。
 妙に身体が熱く感じた。首筋に手をやる。右耳に指が触れた。思いだす。耳朶に埋められた石を。
 それは濃い藍色の石だった。社銀生と知り合ってまだ間もない頃、俺は「歓迎会」を経験した。「取引」で守られていたのは流、自分は例に漏れないと思っていたから。
『ちょーっとおイタが過ぎたから、これ、つけててね』
 「歓迎会」の事実を知って、社銀生は俺に「お仕置き」をした。この石はその時俺に埋め込まれている。右耳の小さな石。
『もう悪さしないでね。それ、術で俺に繋がってるから』 
 監視目的の石。この石を通して社銀生と俺は続いている。ふと気づいた。これを・・・自分は持っていていいのだろうか。
「銀生さん」
「ん?なに?」
「あの・・・・これは・・・」
 右耳を見せて尋ねようとした。すぐにそれが間違いだと気づく。この人が、この石に執着するはずがない。
「すみません」
 言われる前に謝った。そして悔やむ。「最後」なのに、愚かなことをして・・・。
「いいのよ」
 刺し身を一切れ食べながら、社銀生は答えた。
「それはお前に合うと思ったからつけたの。だからお前の。わかるよね」
「はい・・・」
「わかればいいのよ。早く食べてね。料理の味が落ちちゃうよ」
 社銀生の用意した料理には、ありとあらゆる魚類が使われていた。肉より魚好きな俺の好みを反映した料理。これがこの人の気持ちなのだと思った。
「いただきます」
 頷き、俺は箸を手にとった。社銀生が酒を注ぐ。俺も酒を注ぎ返した。
 最後の宴は、ひっそりと過ぎていった。心を残して。説明できない思いを残して。
「じゃあね」
 いつもと同じ言葉で、社銀生は最後を締めくくった。「吉膳」の店の前、くるりと背が向けられる。
「ありがとう・・・ございました」
 胸の奥から声を絞り出した。唇が震える。きゅっと拳を握り、礼をする。
 頭を上げた時、社銀生の姿はなかった。ただ賑やかな町の灯が、煌めいているだけ。

 
 「晴れて自由」、か・・・。
 町を歩く。御影宿舎を目指して。
 なぜだろう、なんだか重いな。
 苦笑を落としながら、俺は色めく町を歩いた。