呼ばない海 by(宰相 連改め)みなひ ACT32 波の中をただよう。母さんの声がする。 遠い声。でも、確かに聞こえる。 わかった。わかったよ、母さん。 夢を見ていた。 もう忘れ去ってしまっていた、遠い日の記憶を。 『ごめんね。海瑠』 とても静かな目をして、母は告げた。 『お母さん、今まであなたを縛りすぎてた。あなたしかいないって思って・・・。でもそれは、間違いだった』 いきなりそんなことを言い出すから、俺は戸惑うしかなかった。どうしたの母さん、間違いって何? 『ここに住んで、やっとわかったの。私、一人じゃないって。自分を閉じてはいけないって。あの人が、教えてくれたの』 満ち足りた表情。あれは祝言の前夜だった。二人だけで過ごす最後の夜に、母さんは言ったのだ。 『だからね、海瑠。これからはあなたもあなたの人生を生きて。私のことは大丈夫。自分のしたいことをして。自分の為に生きて』 母の心からの願い。どうして忘れていたのだろう。あれから俺は、自分の人生を生きてきただろうか?自分のやりたいことをやって、自分の為に生きてきただろうか。 ・・・・わからない。でも、これだけは胸を張って言える。 あいつのもとに行けてよかった。 あいつの死縛印を外せてよかった。 あいつに心を伝えることが出来て・・・・・よかった。 明るい光の中で、俺は目覚めた。目覚めたといっても俯せの姿勢で、光は人工の光らしいが。 「・・・つ」 身じろぎしようとして、背中に激痛が走った。じっと堪える。耳を澄ませば機械音。規則正しく響いている。気づけば手や足何カ所か、管らしきものに繋がれていた。 「起きたみたいですね」 覚えのある声。 「まだ安静にしてください。いくら止血したとはいえ、君は血液を失いすぎています」 それは宮居さんの声だった。俺は声の聞こえる方にそろそろと顔を向ける。視界の少し離れたところに、何か書き物をしているしている宮居さんが映った。この人がいると言うことは・・・・医務棟か? 「ここは御影研究所の集中治療室です。桐野くんが、君を運んできました」 俺の疑問に答えるように、宮居さんは言葉を継いだ。御影研究所。桐野が。それでは俺は、桐野に助けられたのだろうか。じゃあ、流は・・・。 「・・・く!」 「ああ、安静にと言ったでしょう。動いてはダメです」 起きようとして呻く俺に、駆け寄って宮居さんは告げた。ぐっと肩を押される。 「宮居さん」 「自覚はないかもしれませんが、君は結構重傷だったんですよ。桐野くんがここに連れてきた時には、意識もなかったし。傷が開いてしまいます。どうか、言うことを聞いてください」 困ったような表情。俺はおとなしく起き上がることを断念した。だけど質問を試みる。 「あの、宮居さん」 「なんですか?」 「その・・・・」 「上総くんですか?」 どう切り出そうか迷ってる間に、正解が飛び出してきた。俺は驚く。まさか、流に何か。 「彼なら大丈夫です」 尋ねるより先に言われた。 「上総くんは君の『対』だそうですね。如月さんから聞きました」 水木さんもここに・・・やはり、俺たちはあの二人に助けられたのだ。 「心配いりませんよ。彼はあちこち傷だらけですが、なめときゃ治る傷です」 眼鏡の奥の目が笑んだ。少し、いたずらっぽい感じに。俺は全身の力が抜ける。 「あいつは・・・」 「起こしますね」 「え?」 「ほら、起きなさい!」 驚いた。宮居さんはどうしたことか、床に向かって声を掛けている。流は、どこにいるんだ? 「上総くん、早く起きなさい!渚くんが目覚めましたよ!」 宮居さんが言ってる。けど、下からは何の反応もない。俺は痛みを堪えながらにじり寄り、ベッドの脇を覗き込んだ。 「もう!起こせと言ったのはそっちですよ!上総くん!」 俺の眠るベッド横の床では、流がぐっすりと眠っていた。傷だらけの身体。ボロボロの任務服。けれど安らかな寝顔。 「上総くん!」 「あの・・・寝かしておいてください」 「え?いいんですか?」 「はい」 微笑みながら答えた。流がいる。大きなケガもなく眠っている。それでいい。 「きっと、疲れているんだと思います。そのうち起きるでしょうから・・・・」 「そうですか?まあ、渚くんがいいならいいですけれど。邪魔ですがね」 やや不本意そうな表情だが、宮居さんは流を起こすことをやめてくれた。大きな溜息をつき、点滴や機械の数字を確認し出す。 「では、また来ますね」 記録を書き終えたのか、宮居さんが言った。 「何かあったらこのベルを鳴らしてください。それでは」 俺の手に呼び鈴を握らせて、宮居さんは部屋を去っていった。後には流と俺の二人が残る。 『起きたら、何を言い出すかな』 寝顔を見ながら、思う。 『俺も、何から言えばいいだろう』 伝えたいことはたくさんある。これから話し合わなくてはいけないことも。でも、今はいい。 『考える時間はありそうだ。流が起きるまで、ゆっくり考えよう』 子供のような寝息を聞きながら、俺は静かに目を閉じた。 〜エピローグ〜 「早く来いよー!」 青い空と碧い海。俺たちは淮の国にいた。 「うわ、水が冷てぇって!来いよ、海瑠!」 「わかった。ちょっと待て」 俺が御影研究所を退院する数日前、飛沫様が現れて言った。 『特務三課との折衝がある故、おぬしら少し、雲隠れしておれ』 御影長のくれた少し長い休暇。どうしようかと考える俺に、流は言った。 『んじゃさ、海見に行こうぜ』 意外だった。今までなら好んで海を見るのは俺で、その時流は不機嫌になることが多かったから。 『後はしゃあねぇ、親父の顔でも見に行くか』 それもいいかと思った。流の家に帰るのはもう、何年ぶりかのことだった。学び舎に入って以来、帰ってない気がする。 しかし、迷惑掛けてしまったな。 ぼんやりと海を眺めながら思う。今頃事後処理に追われているだろう、御影長と御影本部の人達に申し訳ないと思った。面接まで決まっていた特務三課への異動を蹴倒し、その上重傷を負って研究所に収容されていたのだ。任務に空けた大穴も、御影本部の対面も、繕うのは大変なことだろう。晴れて本部に帰れた折には、相当こき使われることが予測できた。だけどそれもいいと思う。流と一緒ならば。 「海瑠!おまえ、聞いてんのか?」 気づけば流がこっちにやってきていた。返事をする前にぐいと腕を取られる。どんどん海へと引っ張って。 「行こうぜ」 前を見据える流の横顔。 「おまえが行きたきゃ、行きゃあいいんだ」 真剣な表情。いつだったか、流は海でこんな顔をした。 「海なんて気にするな」 そうだ。確か俺に聞いたのだ。海が呼ぶのかと。 「行けっ!」 ばしゃり。ぶんと振り回されて、俺は海へと放り出された。海水がしみる。頭からびしょぬれになった。 「流!」 「冷てぇだろ。オレも入ろっと」 ざぶざぶと流が海に入ってくる。足を引っ掛けてやったら、俺の前でハデに転けた。流もびしょぬれになる。 「やったな!」 「当然だろう」 水しぶきが舞う。童心に返ったように、俺たちは水を掛け合った。濡れて重くなった衣服も、構わずに。 「ちっくしょー!」 悔しがって流が叫ぶ。俺はその声を聞きながら。海の向こうに目をやった。 洲。 俺の生まれた国。この海の先に、その国はある。でも。 俺は行かない。 俺が生きてゆくのは、ここだから。 あいつの隣で生きてゆくから。 行かない。 波が俺たちを襲う。二人、絡まり合って倒れながら、海へと沈んだ。 「わ!塩辛ぇ!ぺっ!」 「・・・・飲んだ」 「飲んじまったか!オレもだ!」 流が笑う。俺もその声につられて、声を上げて笑っていた。 何ヶ月振りかのことだった。 おわり |