呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT30

 空を仰ぐ。
 もうお手上げ状態だから、空を仰ぎ続ける。
 青いな。
 けど、どっちかっていうと、海の青がいいよな。
 だって海の青っていったら、あいつの・・・・。


 やばいなぁ。
 よく茂った枝の間から、オレは辺りを窺った。遠くに複数の敵の気配。じりじりと包囲する結界網が、狭くなってきている。
 うん、これはすげぇやばい。
 ほとんど動かせなくなってしまった、両足を眺めながら思った。任務に入って二日目の夜、千早の痛み封じの符は焼き切れた。足を蝕む呪いの力に、押し切られるように。
 観念、するっきゃねぇかな。
 殆ど他人事みたいに考えていた。足は自分のモノじゃないみたいに重く、動かない。おまけにずくずくと耐え難い痛みを放ってくれる。
 ここは天角の砦近くの森。敵地で機動力を失ったオレは、それも調子に乗って最前線の奥地まで入り込んじまったオレは、しっぽを巻いて逃げるしかなかった。ここは七面倒くさい術者の巣窟、宗の国なのだ。オレの拙い防御結界(それも一重の)なんて、ないに等しい状態だった。
 あーあ、かっこわりい。
 心の中で漏らす。情けないけど事実だった。結界力も未熟なくせに、宗の任務引き受けたマヌケ。それも単独。慎重にやりゃあちょっとはもったろうに、オレは後先構わず突っ込んだ。
 ああー、もう!どうせオレはバカだよ!救いようのない、大バカだよ!
 心でヤケになって叫んでいた。自分で自分に逆ギレする。こんな自分がイヤになる。いっそすっぱり消し去りたい。
「・・・・そーだよ。消しゃあいいんだ」
 オレはぼそりと呟いた。ホントにそうだ。力のない、不甲斐ない自分。あいつを犠牲にしちまった自分。みんな消しちまえ。そしたら、あいつだって・・・・。
『流っ!』
 図書室の奥で聞いた、海瑠の声が耳に甦ってきた。せっぱ詰まった叫び。悲鳴みたいな。
「・・・海瑠」
 そっとあいつの名を呼ぶ。胸の奥が軋んだ。どうしてあんなふうにしか、できなかったんだろう。オレは海瑠が好きだった。ずっと子供のころから。そして今も。なのに。
『流っ!』
 本当はいつか、あいつに返したかった。借りを。もっと強い「御影」になって、倍返ししてやるつもりだった。でも、それももう・・・・。
「ちっくしょうーーーっ!」
 気持ちのやりどころがなくて、オレは立ち上がった。もういい。ここに隠れてたって、外に出たって、結果は変わらない。
 「ちんたら待つなんてごめんだ!どうせ死ぬなら、バーッと散ってやらぁ!」
 どす黒く変色した足を、無理矢理動かした。痛いなんてモンじゃない。冗談じゃねぇ。それでも、意地と根性で木々を渡って走る。敵を引き連れ森を抜けた。崖が見えてくる。
 よっし、あそこが死に場所だ。
 覚悟を決めて木から降り立った。敵の気配が迫る。印を組み、片手に刀を握って。
「おらぁぁぁぁーーーーっ!」
 ドッガーンッ!
 姿を現した敵に向かっていこうとした所で、足下が爆砕された。落ちる。崖の下へと。真っ逆さまに。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
 ガラガラガラ。岩と共に落ちてゆく。土も降り注いで。こらもう、だめだな。
「ってー・・・・」
 身体にでかい衝撃を食らった後、オレは崖の下で目を覚ました。うわ、まだ生きてるよ。でも痛い所が増えた。左腕が、折れたか?
 なんつーか、もーお手上げだよな。
 観念しながら思った。
 やりようがねぇ。右手一本、何ができんだって。
 空を仰いで思う。人間諦めが肝心だ。
 来たな。
 徐々に気配が近づいてくる。上では敵の奴らがオレの生存に気づいたらしい。空の中から現れる。影が複数。一二・・・・八人か。
 
『流』
 ふいに海瑠の顔が浮かんだ。悲しそうな表情。
 おいおい、なんて顔思い出すんだよ。
 自分に舌打ちする。
 せっかくこういう時なんだぞ? もっと、笑ってる顔思い出せよ。

「流ッ!」
 あいつの声が響いた。ふいに視界に何かが現れる。黒い影。
 ずばり。
 いきなり目の前が真っ暗になって、鈍い音がした。まるで、肉が切られるような・・・・。
「! なっ!」
 急にオレは不安になって、慌てて身体をよじった。だけど身体は動かない。何者かがしっかりと抑え込んでいる。次いで、それが抱きしめられているのだと気づいた。覚えのあるにおい。頬にさわる黒髪。まさか。
「おまえ・・・・」
 左腕の痛みを忘れた。目の前にいるのは、海瑠。
「なにしてんだよ!」
 思わず叫んでいた。
「うる・・・さい」
「何でおまえが来んだよ!」
「喚くな・・・・今、結界を・・・・」
 身体を離した海瑠が、素早く口呪を唱えた。ぱしんと防御結界が張られる。またたく間に、三重の結界が張られた。
「足、見せろ」
 海瑠が言った。
「海瑠」
「黙って足見せろ!・・・くっ」
 激しく怒鳴って海瑠は、苦しそうに身を丸めた。ちらりとあいつの背中が見えて、オレは氷水を浴びせられたようになる。海瑠の背中・・・・・血で真っ赤だ。
「おまえっ、それ!」
「動くな。今、死縛印を解除す・・・る」
 苦痛に顔を歪めながら、海瑠が印を組む。背中から抜け落ちる血。白い肌が更に白くなって。
「やめろよ!オレなんか放っとけ!」
「黙・・・れ・・」
「聞いてんのか?捨てろって!」
「・・・・んなこと・・・できるか・・・」
「海瑠!」
 ひやり。
 冷たいのに汗ばんだ海瑠の手が、オレの両足に当てられた。びくりとする。足に手を置いたまま、海瑠がオレを見つめた。
「俺は、お前が好きだ」
 真摯な瞳。
「だから・・・・できない」
 微かに笑った。
 ぴぃん・・・。
 あいつの手が青く光って、足の呪縛が取り除かれてゆく。痛みが薄れて。自由を取り戻して。呪印が消えてゆく。
「海瑠・・・・」
「・・・・よし。もう大丈夫だ。さ、早く、ここから離れよう」
 いつもと同じ笑みで、海瑠が告げた。胸に何かがこみ上げてくる。
「うん!そうだな!」
 オレも笑って返した。確かに聞いた。あいつが、オレを好きだと。
「よーし!いくぞ!」
 意気込んで言うオレに、海瑠は笑みを深くした。次の瞬間。
 力をなくしたあいつの身体は、オレの目の前で崩れていった。