呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT28

 進もう。
 とにかく一歩を踏みだそう。
 どこに進むかわからない。あいつと道が交わることは、もうないかもしれない。だけど。
 ここで蹲るよりは、ましだと思うから。


「海瑠くーん、大丈夫?」
 明るい声に顔を上げた。目の前で、流と同じ茶色の瞳が見つめている。桧垣さんだ。
「あ、はい」
「蕎麦、全然減ってないよ?お腹、減ってないの?」
 言われて自分の前を見る。そこには、のびきった蕎麦が冷えていた。 
「まあキンチョーしてるのはわかるけどねー、何か食べとかなきゃダメよ。これから面接でしょ?」
 どうして知っているのかと言いかけて、すぐに言葉を飲み込んだ。御影宿舎一の情報通であるこの人が、俺の動向を知らないわけがない。
「聞いたよ。特務三課、行くんだって?」
「はい」
「内定済み?」
「いいえ。今日の面接で決まるそうです。特務三課で主任予定になっている人が、来られるとかで・・・」
「ふーん、自ら確認ってやつ?なんか疑り深い奴だねぇ。海瑠くんなら、どこでもオッケーだろうに」
 フンフンと鼻歌を歌いながら、桧垣さんは丼を乗せたトレイを食卓に置いた。向かいの席に座るらしい。
「いつからなの?」
「あと一時ほどです。向こうが到着された時点で、御影長が連絡くださるとか」
「で、今はそれを待ってると」
「はい」
「なるほどねー」
 言いながら桧垣さんは、割り箸をぱきりと二つに割った。丼をかき込み始める。カツ丼だ。流もよく食べてたな。
「欲しいの?」
 かき込む手を止めてきかれ、俺は慌てて首を振った。こら、何をじろじろ見てるんだ。桧垣さんに失礼じゃないか。
「すみません」
「いいのよー、流ちゃん、カツ丼好きだったものね。思い出しちゃった?」
「いえ、その・・・」
「あいつも意地っ張りで困るよねー。早く素直になった方がいーのに」
 言いながら桧垣さんは、またカツ丼をかき込み始めた。俺は自分の思っていたことを言い当てられて、言葉に詰まってしまう。
「でも海瑠くんも変わってるよね。特務三課ってさ、イロイロやばそーな噂があるところなのよ。そこに、わざわざ行くってね。おれとしては羅垓ちゃんのプロポーズ、受けた方がいいと思ったんだけど」
「ひ、桧垣さん!」 
 いきなりとんでもない事を言われ、俺は慌ててしまった。そんなことも知ってるのか?この人は。
「あらら、びっくりした?ごめんごめん〜。でも羅垓ちゃんも思いきったよね。普段地味そーでいるのに、コトを起こせば大胆って。やるときゃやるよね」
「ほうー?あのトーヘンボク頑張ったのねぇ〜」
「水木さんっ」
 ひょいと現れた金の頭に、俺は更に慌てた。水木さんだ。桐野もいる。
「おや水木ちゃん、任務明けたの?」
「もちよ」
「斎ちゃんもおかえりー」
「ただいま帰りました」
 桐野がにこりと微笑んだ。水木さんが桧垣さんの隣に座り、手に持つ紙袋から何か取り出した。焼き菓子だ。鳥の形をしている
「ま、頑張ってもフラられちゃったんだから、アイツも運ないわよね。カワイソー」
 菓子を片手に水木さんはフルフルと首を振った。次いで、ぱくりとかぶりつく。
「うーん、おいしっ。鳩サブレ最高!」
「おれ、お茶入れてきます」
「お願ーい」
 桐野が厨房へと消える。見送る俺に、桧垣さんが言った。
「でもさ海瑠くん、羅垓ちゃんて結構いい人よ?お買い得だと思うよん」
「なに言ってるのよ閃、なんか企んでるの?」
 俺が答えるより先に、水木さんが茶々を入れる。桧垣さんが笑顔で返した。
「企んでないってー。おれ、親切心から言ってるもん」
「あっやしー、また賭けてんじゃないの?ならアタシも混ぜなさいよ」
「賭けてないもーん」
「あの・・・」
 勝手に話が進んでいく二人に、俺はどういったらいいかわからなかった。確かに桧垣さんの言うとおり、羅垓はいい人だと思う。俺にはもったいないくらいに。しかし、俺は彼に応えることはできない。俺には・・・・。
 だめだな。
 ふと流の顔が浮かんでしまって、俺は慌ててそれを打ち消した。いい加減にしなくてはいけない。求めてはいけないのだ。流に俺は、必要ない。
「まー仕方ないよね。海瑠くん、流ちゃん一途だもん」
 軽く両手を挙げながら、桧垣さんが言った。
「桧垣さん・・・」
「でしょ?今も自分のことより、流ちゃんのことで頭いっぱいって感じだもん」
 にっこりと畳みかけられ、俺は桧垣さんの顔が見られなかった。下を向いて口を結ぶ。
「・・・ふーん」
 声に顔を上げれば、見下ろす水木さんと目が合ってしまった。ふいと顔が逸らされる。かさりと紙袋が音を立てた。
「あーあ、たいくつー!ねえあんた達っ、付き合いなさいよ!」
 水木さんは少し離れた所にいた男達のもとへ行き、賭を始めてしまった。わいわいとすぐに場が盛り上がる。
「水木ちゃんたら、短気ねぇ」
 向かいの桧垣さんがぽつりと漏らした。俺は疑問の目を向ける。
「ん?なんでもないのよ」
「・・・はい」
「さーて、おれも任務行くかなー」
 ぐぐっとのびをしながら、桧垣さんが言った。
「これからですか?」
「そう。現地で剛ちゃんと待ち合わせてるの。早くいかないと、剛ちゃん好き勝手やっちゃうからねー」
 流と同じ栗色の目が、くるりといたずらっぽく回る。
「お茶が入りました。あれ?水木さんは・・・・」
 桐野が茶を運んできた。水木さんの不在に戸惑っている。向こうだと伝えようとしたその時、食堂の入り口が騒がしくなった。誰かの走ってきた音。
「海瑠先輩っ!大変です!」
 荒い息と共に食堂に入ってきたのは、後輩の土岐津千早だった。
「流先輩が任務から帰ってきてないんですっ!助けてくださいっ!」
 蒼白な顔で千早が詰め寄る。詰め寄られた俺は言葉もなく、後輩の顔を見つめていた。