呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT27

 知らねぇよ。
 今更、どのツラ下げて会えって言うんだ。
 言えねぇよ。
 やっぱり欲しいって駄々こねて、またあいつをもらえってか?


「い・・・・・ってぇ」
 赤黒く変色した両足を目に、オレは呟いた。足を這う紋様は既に、腿の近くまで伸びている。
 いくらなんでもこれはやばいよな。宮居さん、早く来てくれねぇかな。
 さすがにちょっと弱音が漏れた。オレの主治医である宮居医師は、明後日御影宿舎にくる予定になっている。
 この薬、あんま効かねぇンだよな。あの医者、今度とっちめてやる。
 ごそごそと薬を取り出し、じっとそれを見つめた。白い錠剤。代わりの医者から出されたこの薬は、痛みを十分に取り去ってはくれない。せいぜい、数時間が限度だ。けれど、それも最後の一つ。
 どーするかな。こんなモンでも、飲まないよりゃマシだし。
 しかめっつらで考えた。足の調子がどうだろうが、任務は変わらずふられている。もちろん、辞退するつもりもない。
 しゃーねぇ、できるだけ手っ取り早く、済ましちまうしかねぇよな。うん。
 そう思ったところで扉が鳴った。ひょこり。世話になりっぱなしの後輩が、戸口に顔を出す。
「流先輩。氷、持ってきました」
「お、助かる」
「バケツありますか?」
「ああ、そこ。確か洗濯用のがあったと思う」
「わかりました」
 千早は部屋の隅に行き、持ってきた氷をバケツに空けた。そこに水を張り、こちらに持ってくる。
「どうぞ」
「ありがとな。うっ、冷てぇ」
 じくじく疼く両足を、オレはバケツの氷水に漬けた。刺すように氷水は冷たい。だけどその分、痛みを鈍く感じることができる。
「どうですか?」
「うん。だいぶマシになったぜ。冷やして正解だな」
 覗き込む後輩に笑顔で答えた。けれど、千早の顔は曇ったままだ。じっと、オレの足に見入っている。
「千早?」
「・・・・やっぱり、誰かに見せた方がいいと思います」
 オレの足を見つめたまま、後輩はひどく固い声で言った。その様子が更に、オレの不安を煽る。
「なんだよ」
「おれは『水鏡』じゃないから、『呪』とかあまりよく知りません。でも、これはかなりまずい気がします。どうか、海瑠先輩に見てもらってください。ダメなら、桧垣さんか水木さんに・・・」
「大丈ー夫だって!」
 大声で遮った。 
「明後日、宮居さんに診せることんなってる。あの人がなんとかしてくれるよ」
「けれど先輩、今夜から任務入るじゃないですか」
 ざばり。オレはバケツから足を上げた。後輩の言葉は聞こえないフリで、明るく言う。
「もーいいわ。さんきゅ」 
「先輩」
「楽んなった。任務も楽勝だって!」
「流先輩!」
 千早が声を荒げた。必死な顔。心配してくれてるのはわかる。だけど、それだけはできない。なんかわけのわかんない印が足についちまった。だからそれをなんとかしてくれ。そんな虫のいいこと、頼めるわけがない。
「もうおれ、知りませんよ」
 足を拭うオレに、後輩は告げた。顔が半分怒っている。それでもオレは無視した。他に、どうすることもできない。
「これを、一緒に包帯に巻き込んでください」
 包帯を巻き始めるオレに、千早は何か差し出した。諦めたように溜息をつく。手には文字を記した、小さな紙が二枚。
「おれにはこれくらいしかできません。符術は、初歩をちょっとかじった位なんです。だから、たいして役に立たないかもしれませんが・・・・・」
「千早」
「一応、痛みを封印する符です」
「・・・悪い」
 千早の差し出した符を、オレは包帯に巻き込んだ。ほどなく、包帯を巻いた足がじんわり温かくなる。痛みが薄れて。
「どうですか?」
「うん!これ、すっごい効くよ。ありがとな」
 にっかりと笑って返した。千早が少し、ほっとした顔になる。
「できるだけ早く帰って来てくださいね。その符がいつまでもつか、おれにもわかりません」
「ああ」
「帰ってきたら、必ず医療棟に行ってくださいね。きちんとした人に、ちゃんと見てもらって・・・・」
「わかってる」
「海瑠先輩とも、もう一度、話し合ってください」
 千早の必死の乞いに、オレは唇を結んだ。沈黙を返す。できない。それだけは、絶対に。
「・・・・先輩?」
「いいんだ」
「流先輩!」
「海瑠のことはもういい。あいつは自分の道を決めた。決めたんだ」
 「御影」を辞めて、都に行く。ここから離れるとあいつは決めた。今更、オレ達が話してどーなる。
「だけど!」
「いいって言ってるだろ!お前、首突っ込むな!」
 投げ捨てるように叫んだ。千早が、ぐっとあごを引く。それきり、後輩は何も言わなかった。泣き出しそうな顔。罪悪感が湧き起こる。
「痛み封じの符、ありがとな。助かった」
「・・・・はい」
「任務はさっさと終わらせてくる。任せろ。オレはヘマなんかしない」
「深追い、しないでくださいね」
 千早の出した言葉が、あまりにもあいつが言いそうな言葉だったから、オレは苦笑いするしかなかった。でも素直に頷く。後輩の真っ黒な瞳が、心配そうにオレを見つめている。
「それじゃあおれ、これから短期任務なんで、もう行きます」
 大きく息を吐き出し、思い切ったような口調で千早が言った。
「ああ」
「帰ってくるのは先輩と同じ日です。予定どおりにいけば」
「おまえもがんばれよな」
「はい。それでは、失礼します」
 告げて、千早は去って行った。残されたオレは一人、黙ってもう片方の足の包帯を巻き続けた。ぐっと奥歯を噛みしめる。

 いいんだ。
 もう終わったんだ。
 あいつは、あいつの道をいく。

 暴れ出しそうな心を抑え込む。 
 そしてその日の深夜未明、オレはかねてから予定されていた、単独任務へと出発した。