呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT26

 どんどん足が重くなってゆく。
 まるで、頭の中を占めるこの感情みたいに。
 うるせえよ。
 言われなくてもわかってるって。
 だからって、認めてどうなるんだよ。


「えーっ?何で宮居さんいねぇんだよ!」
 目をつり上げながらオレは迫った。迫られた新米らしい医務棟の職員が、オロオロと言葉を返す。
「ですから、宮居医師は今日は休診です。御影研究所で実験があるとかで・・・」
「ちぇっ、折角来たのに」
「と、とにかく今日はぼくが診察してみます。傷は・・・・どこでしたっけ?」
 パラパラと職員がカルテをめくる。その焦った姿が更に大丈夫かよって気にさせた。
「えっと、右腕でしたね。いつごろから・・・」
「もーいいよ」
「へ?」
 口から言葉が飛びだしていた。腕の傷は治ってきてるし、今までの経過を説明するのもめんどくさい。ぶっちゃけ、今日は別のことがききたくて来たんだけど、こいつにきいても無駄そうだ。
「またにする。痛み止めだけくれ」
「あ、はい!少々お待ちくださいっ」
 ぼそりと継いだオレの言葉に、職員はあからさまにホッとした顔で答えた。カルテを確認して、バタバタと薬棚へと向かう。ガサガサと薬を探す音。程なくして、薬袋を手に帰って来た。
「どうぞ。三回分です」
「それだけかよ。ケチ」
「す、すみません。ぼくは臨時ですので・・・宮居医師は、明後日来られますから」
「わかったよ」
 びくびくと答える職員に、ケッとばかりに腰をあげた。薬を引ったくる。オレは医務室を出た。
 やっばいよな。
 とぼとぼと御影宿舎の廊下を歩く。とにかく足が重かった。鈍い痛みを伴う。だんだん強くなって。
 どーするかな。アテがはずれちまった。
 ぐしゃぐしゃと頭を掻く。少し前、任務時老いた「草」によってつけられた傷は、ひどく厄介なものになっていた。
 これって閃あんちゃんの言うとおり、印がカンケーしてんのかな。
 足を引きずりながら思う。両足の文様は日に日にくっきりと浮かび上がり、幾何学的な模様を体していた。見たこともない模様。
 ついてないよな。宮居さんなら知ってるかもって、医務室行ったのに。やっぱ、あんちゃんにきいた方がいいのかな。
「おい」
 ため息をついているところに声が掛かった。オレは振り向く。この声は。
「つまんねぇ顔してんな」
 目に映った顔に、ぐっとあごをひいた。唇を結び、身構える。
「あーあ、そんな睨むなよ。ちょっと、つきあってくれねぇか?」
 眉を寄せて尋ねてくる。警戒心ビシビシのオレの前には、羅垓という男が立っていた。


「聞いたぜ。あれからずっと、一人でやってるんだってな」
 御影宿舎の屋上。中央の物見櫓の上で、羅垓は風に吹かれていた。ごそごそ。ポケットの辺りをさぐっている。
「ほら」
「わっ、なんだよ」
「たいしたもんじゃねぇよ。食え」
 ぽいと投げられた包みには、何やらやわらかいものが入っていた。あーびっくりした。攻撃かと思っちまった。でもこれ、なんだろ。
「? 甘いにおい?」
包みの中からは白い、ふにふにとやわらかいものが出てきた。ん?菓子か?
「そいつはな、マシュマロっつーのよ。変わってるだろ?」
「あ?ああ」
「和の国よりな、ずっと西にある国の菓子だ」
「ふーん」
 言いながらマシュマロとか言うやつを睨み付ける。これ、変なもん入ってないだろうな。
「安心しろ。なんも入っちゃいねぇよ」
「わ、わかってる!」
 図星を刺されてビビりながら答えた。羅垓がにやりと笑う。あ、こいつ、バカにしてるな?
 食ってやるよ。食やあいいんだろ。
 覚悟を決めてそいつを口に放りこんだ。うわ、甘い。やーらかい。
「どうだ?」
「ああ!これうまいな!」
「そうか。よかったな」
 パクパクとマシュマロを食べるオレに、羅垓は目を細めて笑った。オレは不思議な気分になる。おいおい、何笑ってんだよ。ひょっとしてこれ、餌付けか?
「一人でやんのも悪くねぇだろ?」
 一本目のタバコをもみ消し、羅垓は言った。
「まあな。うるさく言われねーのは楽だ」
 マシュマロで懐柔されたわけではないが、いくらか好意的にオレは返す。
「お前、頭抑える奴ぁは殴るって感じだもんな。組む奴ぁ、大変だ」
「なんだよ」
「まさに狂犬注意ってやつだ。飼い主は、よっぽどじゃないとな」
「何が言いたいんだよ」
 ひどくもってまわった言い方に、オレはムッときながら返した。こいつ、喧嘩売ってんのか?
「言いたいことがあんなら、はっきり言えよ!」
 声を荒げるオレに、羅垓はじろりと赤銅色の目を向ける。二本目のタバコを指に、告げた。
「わかんねぇか?」
「はあ?」
「別に俺が言わなくても、お前がよく知ってるんじゃないのか?」
「だから、何をだよ!」
 マシュマロのことはふっ飛んで怒るオレに、羅垓はやれやれと苦笑を浮かべた。普段はつかみどころなく笑んでいる顔が、見たことのない精悍なものに変わる。
「あいつしかいないぞ」
「何のことだよ!」
「つまんねぇプライドなんか捨てろ。後悔するぞ」
「黙れよ!おまえにカンケーないだろ!」
「・・・・おいおい」
 威嚇して吠えるオレに、羅垓は深い溜息を漏らした。指のタバコに火を点けて、大きく吸い込む。ゆっくりと煙が吐かれた。
「知らねぇぞ」
 ぼそりと落とされた言葉。
「海瑠、『御影』を辞めるんだってよ。都の、軍務省に行っちまうらしい」
「!」
 一瞬、声が出なかった。やめる。あいつが?ここからいなくなるのか?
「・・・・本当かよ」
 かっこわるいと思ったけど訊いた。話が信じられない。いや、信じたくない。
「くだんねーこと、きくな」
 呆れかえった声で、羅垓が返した。
「お前騙して何になんだよ。そんなことするか」
 くるりと背中が向けられる。スタスタ歩いてゆく、後ろ姿。
「羅垓!」
「言うべきことは言ったからな。後は、好きにしろ」
 そのまま振り返ることもなく、羅垓は去ってしまった。残されたオレは、やり場のない気持ちを胸に、その場に立ち尽くす。

 いなくなる。
 海瑠が。
 オレの前から。

「・・・・畜生ッ!」
 渦巻くモノを吐き捨てる。屋上を吹き抜ける風が、それをかき消してしまった。