呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT18

 悔しい。
 己の無力が悔しい。 
 あいつを犠牲にしてきた自分が悔しい。
 犠牲になってたあいつを手に入れ、有頂天になっていた自分が悔しい。
 こんなに悔しいとこばかりのオレはもう、あいつとはいられない。


「上総流です。入ります!」
 扉の前で大声を張り上げ、有無を言わせず中に入った。奥の机で、隻眼の老人が見ている。
「入れとは言っておらぬぞ」
「もう入ってしまいました。時間をください。すぐ終わります」
「終わるかどうかは内容次第じゃな。上総流、何か?」
 ため息をつきながら、御影長の老人は言った。オレは、大きく息を吸いこむ。
「オレに、単独任務を回してください」
「ほう。変わったことを言いよる。『対』はどうする?」
「解消します」
「それは思い切ったの。して、何故か?」
「理由なんてないです。オレは一人でやりたい。それだけです」
 短く言うと御影長はまた一つ、ため息をついた。机に置かれていた急須より、湯のみに茶を注ぐ。ズズズと啜り始めた。
「真面目に聞いてくださいよ。オレは一人でやります。やりたいんです」
「そいつはおぬしの自由じゃが、えらく勝手を言いおるのう。『対』の相手はどうする。どうしてもあやつがいいと言った一件、儂は忘れておらぬぞ」
「海瑠にも『対』の解消は宣言しました。後はあいつの好きにすればいい。あいつなら誰とでも、うまくやっていける」
「答えになっておらぬな」
 隻眼の老人は、ぼそりと呟きを落とした。ごくりと茶を飲む。湯のみをかたりと置いて。
「蔑ろにされたことが、それほど腹立たしいか」
 問いかけは先の海瑠とのことを示唆していた。「水鏡」に私生活をも守ってもらっていた「御影」。プライドを傷つけられたのが「対」を解消する原因。そう解釈されたらしい。
「違います」
「ふむ。では何かの」
「悔しいんです。オレは自分の力のなさが悔しい。それだけです」
「ほう。それだけ、の」
 老人はしばらく考えて、ガサリ、机の引き出しから何やら書類を取り出した。見たところ任務予定表だ。
「やってみるがよい」
 筆を手に執り、老人は何やら書き直していた。いくつか任務が変更になる。
「但し命の保証はせぬぞ。おぬし個人の実力は、今のところ定かではないからな」
 それとなく海瑠あってのものだと言われる。唇を結んで耐えた。確かにそれは事実。今は、言い返せない。
「一つ訊くが。おぬしの『水鏡』、本人が望めば、別の者と『対』を組んでもいいのじゃな」
 確認。念を押すように投げられた。最後通告のように。
「構いません」
 背筋を伸ばしてオレは返した。無理矢理でも一歩を踏み出さなければ、何も変わらない。悔しい自分のままだ。
「おぬしほどだだを捏ねる輩は、他にはおらぬな」
 サラサラと何か書きつけ、御影長は一葉の紙を手渡した。辞令らしい。
「任務受付に渡しておけ。皆が混乱するからな」
「ありがとうございます。あと一つ、いいですか?」
「何じゃ?」
「部屋替えていいですか?北館でも、開いてるとこならどこでも構いません」
「好きにしろ。個人で交渉するなりして探すがよい。行け」
 手渡された紙を手に、オレは御影長室を辞した。扉を開けて外に出る。  
「あーら。ヒドイ顔ねぇ」
 外には水木さんがいた。
「仏頂面もいいトコね。そんなじゃうまくいくことも、いかなくなっちゃうわよ」
 揶揄うように投げられた言葉。今はうまく躱すこともできない。裸の心に突き刺さる。
「いいんです」
「ふーん」
「人にゲタ履かせてもらって渡る川なら、落ちた方がすっきりします」
 睨み据えて答える。水木さんの薄茶色の瞳が、すっと薄く細められた。
「そう。それも一興よね」
「はい」
 一礼してオレはその場を離れた。感じる視線。水木さんが見ている。
「飛沫ー、入るわよー」
 ガチャリと扉の開く音がして、水木さんは御影長室に消えた。オレ足を止めることなく、任務受付へと進んだ。


 しばらくして。
「上総くん、考え直してもらえませんか?」
 どこから聞きつけたのか(たぶん水木さんだ)、斎が部屋に来た。オレは斎が持参してきたサブレを齧りながら、荷物をまとめる。
「海瑠さん、あの日からすっかり元気がなくなってしまって・・・・・風邪もひいていますし、食欲も落ちているんです」
 心配そうに斎は言う。こいつのことだからきっと、なんやかんやと世話を焼きに行っているのだろう。普段は呆れて見ていることでも、今回ばかりはありがたい。あいつが体調を崩しているのは気になったが、見に行くわけにはいかなかった。
「上総くんの気持ちはわかります。けれど、もう一度やり直すことはできないんでしょうか?せっかく、ここまで二人でやってきたのに・・・・」
 斎はどこまでもお人好しだ。だけど譲れないことはある。斎、おまえだって水木さん譲れないだろ?
「おれから見たら、二人とも息が合ってて羨ましかったです」
「違う。息など合ってない」
 悔しくて否定した。事実を突きつけられる。自分がどれだけ、あいつに甘えていたかを。
「あいつが合わせていたから、息が合ってるように見えただけだ。いつでもオレがやりたい放題やって、あいつがうまく整えていた。オレは、あいつの上に乗ってただけだ」
「上総くん・・・・・」
 今までの人生のうち、多くの時間を二人で過ごしていながら、あいつはオレに何を話しただろう。あいつの中身を、オレはどれだけ知っているだろう。
 見えない。
 あいつは見せなかった。辛い部分も悲しい部分も。核心になるものは全て、一人で抱え込んでいた。
 なにもない。
 オレも見ていなかった。あいつが何を考え、何を求めているのか。自分に都合のいい部分しか、オレは見ようとしなかった。

 結局オレは、「自分」しか見ていなかったのだ。
 だから、「自分以外」を海瑠に押しつけた。

「斎」
「はい」
「あいつのこと、頼むな」
「上総くん!」
「おまえの方がたぶん、オレよりあいつを知ってる」
 海瑠とオレは何もかも違う。視点も考え方も、食べ物の好みさえも。
「だめです、上総くんっ!」
「じゃあな。任務内容変わったから、これからそんなに会わねーと思う。この部屋も出るから」
 まとめた荷物を背負いながら、オレは立ち上がった。北館に部屋を確保した。いつまでもここには、海瑠の隣にはいられない。
「上総くん、考え直してください。これでいいはずが・・・」
「いいんだ」
 立ち上がった斎に言葉を返した。泣きそうな顔で斎が迫る。
「いいえっ」
「いいんだよ!邪魔するな!」
 迫る斎を睨み付けて言った。斎が大きく目を見張る。まるで今からオレが手放すのは、自分であるかの様に。
「頼んだからな」
 言い捨て部屋を出た。後手に扉を閉める。
「上総くん!待ってくださいっ」
 呼び止める斎は無視した。待っても何にもならない。
 海瑠の部屋の前を通る。中の気配は、動かない。
『じゃあな』
 心に小さく落として、オレは北館へと向かった。

 翌日。
 御影長の出した辞令は正式に受理され、オレには単独任務が振られることになった。