呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT17

 わかっていた。
 最初にこの方法を取った時に、この日が来ることを予測していた。
 プライドの高い流が、こんなことを許すはずがない。
 誰かの犠牲の上の、安寧など望むはずがないと、俺はわかっていたのに。
 わかっていながら、俺は・・・・・。


「ありゃりゃー。羅垓ちゃん、やってくれたねぇ」
 あーあと大きな溜め息をつき、閃さんが言った。
「流の奴、こりゃショックでかいよー。プライドズタボロだもん」
「そーなるとわかってて許してたんだろ?なら、バレなきゃいいってのは、甘いよな?」
 羅垓が返す。閃さんはガリガリと頭を掻いた。
「んー、痛いとこ突くねぇ。そりゃそうだけどさー。でも羅垓ちゃん銀生さんとのこと、知ってたのね」
「当たり前だろ。その位ちょっと気のつく奴なら感づいてるよ。なあ水木!」
 後ろを振り向き、羅垓は水木さんに話を振った。振られた水木さんはばさりと、長い髪をかき上げる。
「まーね。でもそれを言ってやるほど、アタシお人好しじゃないし」
「水木さんっ」
 けろりと言ってのける水木さんに、桐野が涙目で迫っていた。「なによ斎、迫んないでよ」と水木さんがうるさがっている。その様子を見つめ、俺は自分の顔が笑うのを感じた。自嘲だ。愚かだと、自分が自分を嘲っている。

 間違っていたのに。
 間違いだと分かっていたのに。
 「守る」ことの意味を俺は、はき違えていた。
 
「追わなくていいのか?」
 動けなくなっている俺に、羅垓が訊いた。俺は自分を取り戻す。
「羅垓さん・・・・」
「俺は謝らないぜ?いつかはあいつも知ることだし、これでダメならあいつはその程度ってことだ」 
 含みのある言葉。この人はすべて知っていて、俺と「取引」していたのだろうか。
「行けよ」
 声が響いた。
「行って、アイツとぶつかってこい。今まで甘やかしてきた、お前のツケを払え」
 羅垓の言葉が染みてくる。庇ったのは自分。流が傷つくところを見たくなかった、弱い自分。
「行け」
 声と共に身体が動いていた。俺は流をめざし、廊下を走っていた。

 間に合うのだろうか。
 二重に傷つけた俺を、義弟は許さないだろう。
 それでも・・・。


 程無くして、俺は自室の前にいた。扉に手をかける。それは容易く開いた。
「流」
 義弟は部屋のまん中に立っていた。戸口に背を向けている。握られた拳。ぴくりとも動かない。
「すまない。俺は・・・」
「さわんな」
「流」
「さわんじゃねぇ!」
 肩に置こうと伸ばした右手は、凄まじいスピードで叩き落とされていた。流がこちらを振り向く。怒りに燃えた瞳。胸を刺し貫いて。
「くそう!」
 瞬時に胸ぐらを引っ掴まれ、引き倒されていた。床に頭と肩を打つ。
「身代わりだと?いい加減にしろ!」
 バンッ。左耳を少しかすった。繰り出された流の拳が、床にめり込む。
「んなこと誰が頼んだよ!」
 血を吐くように義弟は叫んだ。痛々しい顔。あの時と同じ。俺はまた、流を傷つけている。
「・・・・すまない」
 そう言うしかなかった。
「俺が・・・・・勝手に考えてやった」
 流の意志は顧みずに。
「お前が、大切だった」
「わかんねぇよ!」
 二発め。凹んだ床板がばきりと折れた。結わえた紐が切れて、髪が床に散らばる。
「不安かよ」
「りゅう・・・」
「オレはそんなに頼んないかよ!お前が身体張んなきゃならねぇほど!」
 義弟の言葉を耳にして、俺は自らの過ちの深さを知った。同時に途方にくれる。どうすればいい?どうすれば、この傷を・・・・・。
「・・・・くそう」
 涙声で流が言った。注がれる視線。ゆっくりと右耳で止まる。
「こんなものの上に胡坐かいてた、自分が情けねぇよ」
 流の左手が伸びて、右耳の石に触れた。右手で組まれる手印。砕破印。
「畜生っ!」
 バシン。右耳に熱い痛みが走った。一瞬聞こえなくなる。キーンと耳鳴りの後、俺は反射的に瞑った目を開けた。
「終わりだ」
 覆い被さっていた流の身体が、ゆっくりと遠ざかってゆく。
「お前とはもう、組まねぇ」
 立ち上がった流の視線が、ふいと逸らされた。義弟が踵を返す。起き上がった俺に、背中を向けて。
「『対』を解消する」
 言い捨て流は戸口へと向かった。ばたり。無慈悲に扉が閉まる。落ちる静寂。

 いない。
 声も姿もない。
 流は行ってしまった。
 においだけが、微かに残って・・・・。

「海瑠さん!大丈夫ですかっ!」
 しばらくして、誰かが部屋の扉を叩いた。覚えのある声。桐野だ。
「海瑠さん、ここ、開けます!」
 ガチャリと扉が開いて、桐野斎が飛び込んできた。血相を変えた表情。俺は茫然と見上げる。
「今そこで上総くんに会って・・・・その耳、どうしたんですか!」
 指摘されてやっと気づく。埋められた石を砕かれた右耳。耳朶から血が流れていた。痛みは感じていなかった。感じる余裕など、なかった。
「桐野・・・」
「ああ、血がっ。早く手当てしないと・・・」
 ビリビリ。桐野が着ている服を破る。右の耳朶を圧迫された。血を止めているらしい。
「何があったんですか!」
「・・・・・わかっていたんだ」
「? 海瑠さん?」
「こうなると知ってて、俺は・・・・」
 込み上げる感情。桐野の顔を見た途端弾けた。流れてゆく後悔。止めどなく。
「・・・・自業自得だ」
 喉の奥から絞り出した。わかっていたのに、敢えて身を投げだした自分。守るという免罪符でもって。

 離したくなかったのだ。
 俺は自分を犠牲にすることで、流を繋ぎ止めようとした。
 母が俺を縛ったように、俺も流を縛ろうとしたのだ。
 その方法が間違っていると知っていながら。

「海瑠さん・・・」
 桐野が泣きそうな顔で見ている。その視線を受けながら、俺は悔いの涙を流し続けた。