呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT16

 毎日が充実している。
 好きなやつと一緒にいて、お互い求め合って。
 このご機嫌な日々がずっと、続くと思っていた。


「楽勝だよ」
 その日もオレ達は任務を早々に片付け、御影宿舎に帰還していた。御影長に報告を済ませて、食堂へと向かう。
「ほんと、カンタンだったよな!あー絶好調!」
 上機嫌なオレに、海瑠は渋い顔だ。
「おい、浮かれていてはだめだ。今日の任務で、一回防御結界破られただろ。もっと二重に張るとか、工夫しないと・・・」
「だいじょーぶだよ!お前がいるじゃん!現に、攻撃はお前の結界に弾かれたわけだし。いいんじゃねぇの?」
 すべてがうまくいっていた。任務。海瑠との関係。その他諸々。
 時々オレが調子に乗りすぎて、海瑠が起きられないことがあったが、そんなのはうまくいってることの結果であって、気にするまでもなかった。
「流、そういうわけにはいかない。最低限、自分を守れるようにしておかないと。いつか必要な時が・・・・」
「いーって!あ、ついた。今日の夕飯何にすっかなー」
「流!」
 テンション高いオレに、慎重な海瑠が言う。けれどいちいちうるさい。誤魔化して食堂へと入り、きょろきょろと見渡した。あ、水木さんと斎だ。
「水木さん!」
「あら、早いわねー。めずらしー」
「へへへ、実力っすよ」
「なまいきー!ケダモノのくせにねー」
 軽口を叩きあう。水木さんは相変わらずオレをケダモノ扱いした。
「最近のオレ、すごいでしょ?」
「ばーか、図に乗るんじゃないわよっ」
 ぺしり。頭に一発くらった。だけど気にしない。だって任務こなしたし。
「あんたねぇ、浮かれてばっかじゃそのうち、泣きみるわよ」
「あー、水木さんジェラシーっすか?オレって優秀だもんなー」
「ほーう、いい根性してんじゃない。こ、の!」
「いてててて」
 ぐりぐりとこめかみに拳骨くらってるオレの隣で、海瑠が斎と話している。 
「桐野、この間は助かった」
「いえ、大したことしてないです。海瑠さんおかえりなさい。ご無事でなによりです」
 最近二人は仲がいい。何かにつけてひそひそ言ってる。
「これ、よかったら食べてくれ」
「かに新上ですか。こんな高価なものを・・・・ありがとございます」
「いや、俺こそいつも世話になっている」
「そんな、おれこそ・・・・」
「海瑠ー!」
 焦れて相棒を呼んだ。そうでもしないと、この遠慮と謙遜だらけの会話は終わらない。まったく何が楽しいんだか。
「早く飯食お。腹減った」
「ああ」
「今日は洋風定食がお薦めらしいです。ハンバーグのソースが本格的とかで・・・」
 微笑みながら斎が言う。
「ふーん、んじゃそれにしよ。行こうぜ」
 オレは海瑠の腕を引っ張り、食堂のカウンターへと歩いていった。さあ、飯だ飯だ。
「おっちゃーん!洋風定食いっこ!」
 元気よく声を張り上げ、オレは本日のお薦めメニューを注文した。


 洋風定食のハンバーグは、お薦めにふさわしくうまかった。まったりとしたなんとかいうソースを堪能する。
「うまい!」
 口内に広がる肉の味。幸せを感じてしまった。やっぱ、食うっていいよな。
「うん、これサイコーだぞ。って、え?」
 隣を見やると、海瑠がソバを食っていた。なんだよそのソバ、豆腐と白菜とねぎばっかで、玉子一つ入ってない。
「おい、しみったれたモン食うなよ」
「・・・・・食欲がないんだ」
 疲れた顔で海瑠は答える。あのなあ、そんなもんばっか食ってるから、余計元気がなくなるんだよ。食欲なくても食え。
「しゃあねーなー」
 ふと思いついてオレは箸を動かす。三分の一ほど残っていたハンバーグを摘まんだ。ぼちゃん。隣の丼に放り込む。
「ほれ」
「何するんだ」 
「食えよ」
「あのなあっ」
 海瑠が抗議の声を上げる。その声を軽く無視して、オレは語を続けた。
「肉食って精力つけとけ。そんなじゃ、オレが困るんだよ」
「流!」
「今日、やるからな。ごっそーさん!」
 さっさと食い終え手を合わせた。やり逃げとばかりに立ち上がる。
「食器返してくるわ」
 放り込んだハンバーグが帰ってこないうちにと、オレは食器返却口へと急いだ。ちらりと後ろを振り返る。海瑠はハンバーグ入りのソバを少しの間見つめていたが、一つため息をこぼし、諦めたように再度ソバに箸をつけ始めた。オレはその様子に満足して、食器返却口に向きなおった。
「おっちゃん、うまかったぜ」
「そうかい、よかった」
 トレイを受けとりながら、食堂のおやじが答える。その時ざわざわとにぎやかになってきた。皆、帰ってきたようだ。
「ああ、おかえりだな。こりゃ忙しくなる」
「おっちゃん今度ミンチカツ作ってくれよな。オレ、好きなんだ」
「ああいいよ。メニューに入れとく」
「サンキュ」
 やったぜと思って踵を返した。相棒のいた席を見る。あれ、いない。
「海瑠?」
 相棒は食べかけのソバを残して、席から消えてしまっていた。きょろきょろと見渡す。あ、いた。
 なんだよ。
 海瑠と一緒にいる男を見た途端、急にムカムカと気分が悪くなってきた。腹に黒い塊が生まれる。おい、なんでそいつと話してんだよ。
 つかつかそいつの元に歩み寄った。海瑠が気づいてこちらを見る。戸惑う表情。何故だ。
「何話してんだよ」
 自然と声に険が入った。
「そいつ、もうカンケーないだろ」
「流。俺は、けじめにと・・・・」
「何をけじめんだよ!」
「まあまあ、そう怒んなって」
 血の上がった頭にポンと手を置かれる。海瑠と話していた男、羅垓はオレを見てにやりと笑った。
「さわんな!」
「いてて、気が立ってるなこりゃ。ヤキモチか?」
「うるせぇ!」
 頭の手を叩き落としたオレに、羅垓は大げさに手を庇って見せた。戯けた表情の中で、目だけは笑っていない。その奥に挑戦的な光を感じて、オレは更に苛立ってしまった。
「おいおい、お前は気にしなくていいんだよ。海瑠は挨拶にきただけだ」
「海瑠って呼ぶな!」
「流」
「海瑠はオレのだ!」
 思いっきり宣言する。けれど全然安心できなかった。過去にこいつは海瑠を抱いた。数年前のあの声だって、こいつが上げさせたかもしれないんだ。
「そーだよ。その通りだ」
 意外とあっさり、羅垓はオレの言い分を認めた。
「だから手を出したりしねぇよ。安心しな、おぼっちゃん」
「ぼっちゃんじゃねぇ!」
「流!何をムキになってる!」
 言われたとおりムキになっているオレに、海瑠が声を荒げた。
「いーじゃねぇか。それだけこいつは、お前に惚れてるってことだ」
 オレを止めようとする海瑠に、更に笑みを濃くしながら羅垓が言った。余裕の表情。それが殊更、神経を逆なでする。
「よかったなぁ、海瑠。やったじゃねえか。新人の頃から、身体張って守ってきた甲斐あったよな」
 それは酷く機械的に聞こえた。身体を張る?守る?海瑠が?
「羅垓さん!あんた・・・」
「びっくりした顔するなよ。皆知ってることじゃねぇか。お前が身代わりになって、こいつ守ってもらってたんだろ?社銀生によ」
 記憶の中を探る。その名前を何度か聞いたことはあった。遠く感じるものだったが。
 ヤシロ、ギンセイ。
 めったに御影宿舎に姿を見せない男。オレも一、二度しか見ていない。だけど噂は知っている。御影内に数々の業績と、悪評を残す伝説の男。
 その社銀生が・・・・・だって? 
「羅垓ちゃーん!どうしたっていうのよー。その口の軽さは、らしくないんじゃない?」
 戯けて介入してきたのは、閃あんちゃんだった。どこから聞きつけたのか。さっきまで食堂にいなかったのに。
「あ?いいじゃねぇかよ。海瑠はあいつのもんなんだろ?だったら、それくらい知っとかなきゃな」
「だからってねー、そりゃとーとつ過ぎだってー。ちゃんと順番追って・・・・」
「順番もくそもあるかよ。あれだけの口を叩くんだ。それだけの度量を見せろってもんだろ?ましてや、あいつは一番面倒な部分を、海瑠に守ってもらってたんだぜ?」
「羅垓ちゃん!」
 あんちゃんと羅垓の野郎が話している。だけど膜がかかったように聞こえる。頭の中では、一つの疑問が渦巻いて。
「・・・・流」
「身代わりってなんだよ!」
 海瑠の声が引き金になった。亀裂が入る。隙間から感情が吹き出して。
「オレを守るってなんだよ。どういうことだよ!」
「それは・・・・」
「おかしいとは思わなかったのか?」
 海瑠を問い詰めるオレに、追い打ちを掛けるように羅垓の声。
「そう海瑠を責めんなよ。全部教えてやるから。おまえだけなかっただろう?『新人歓迎会』。それとも、他の奴がやられてんの気づかなかったか?だったら、おめでたいやつだよな」
 呆れたように告げられる。必死で記憶をたぐった。「新人歓迎会」。何人かやられたのは知ってる。だけど自分に呼びだしはなかったから、気にも止めていなかった。
「お前態度でかかったからな、一部じゃ結構不評かってたんだぞ。でも、誰も手出しできなかった。なんせ、あの社銀生の『お手つき』だったからな」
 信じられない真実。信じたくない真実。今、男の口から紡ぎだされる。
「俺もおかしいとは思ってたんだよ。社銀生の『お手つき』の割にゃ、お前態度変わらなかったし。普通誰かの『お手つき』になりゃ、少しはおとなしくなるってもんだ。で、海瑠の耳見てわかったよ。ああ、ホントの『お手つき』はお前じゃねぇ、こいつだってな」
 海瑠の右耳に、いつからかはめ込まれた藍色の石。それには気づいていた。だけど。
 それが何を表すのか、ずっと聞けないでいた。
「お前もちょっとはあるだろ?心辺りがよ」
 本当は否定したかった。だけど全てが繋がってしまう。大した妨害もなく進んできた事実。定期的な海瑠の外泊。そして、あの日のあの声。
「・・・・・そうかよ」
 一縷の望みを託して訊いた。相棒を見る。真っ青な顔の海瑠が立っている。
「こいつの言うこと、全部本当なのかよ!」
 否定して欲しかった。あんまりな事実だったから。その通りだったら、あまりに情けなさ過ぎる。

 海瑠の払う犠牲の上に、胡坐をかいていた自分。
 己の身すら守らないで、ふんぞりかえって。
 いい気になって、海瑠を従えていた。
 ついには、自ら海瑠を・・・。

「答えろよ!」
 泣きそうになって怒鳴っていた。両肩を掴み、縋る思いで迫る。
「何とか言えよ!海瑠!」
 海瑠の白い肌に、オレの爪が食い込んでいた。だけど力が抑えられない。不安と怒りが自分を制する。
「・・・・そうだ」
 顔を歪めながら、海瑠が告げた。
「羅垓の言ってることは、嘘じゃない。全部本当だ」
 肯定。海瑠は打ち消さなかった。伏せられた瞼。結ばれた唇。それらが間違いなく、事実なのだと告げた。
「冗談じゃねぇよ!」
 めり込む指を引き剥がすように、オレは海瑠を突き飛ばした。海瑠がよろける。がたりと食卓にあたって。
「馬鹿にすんじゃねぇ!そんなこと誰が頼んだ!」
 海瑠が見ている。大きく開かれた藍色の瞳。もう半泣きなオレが映って。
「畜生っ!」
 気がつけば駆けだしていた。怒りが身体中を暴れ回ってる。
 許せねぇ。 
 怒りは四方へ向けられた。全部に腹立たしくなる。そしてなにより。

 身を犠牲にしてまで、海瑠に守ってもらった自分。
 海瑠に「守ろう」と思わせてしまった自分。
 守ってもらっていた事実に、気づくことも出来なかった自分。

 そんな自分が一番、許せなかった。