呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT14

 遠い昔の記憶をたぐる。
 今ならはっきり言える。
 あの時から、「好き」だったんだ。


「やってみないとわからないだろ」
 まるきり馬鹿にしていたオレに、そいつは言い返した。一見黒に見える藍色の髪に、女みたいな顔。おまけに細い手足。だけど、強い光を持った藍色の目が、オレを見ている。
「無理だよ」
「見もしないで言うな!」
 怒りに燃えた瞳。もっと見たくて挑発した。見かけ通りではなかった中身も、おもしろいと思った。
「じゃあここで見ててやるよ。ほら、登ってみろ」
「・・・・わかった」
 そいつは木に登り始めた。意外だった。恐がることなくそいつは登ってゆく。初めてにしては筋がいい。ちゃんと考えて枝を選んでいる。思わず、自分も登っていた。
「わっ」
「バカ。ほら、掴まれ」
 いつしか足を滑らせたそいつを、助けることさえしていた。たぶん、すでに気に入ってたんだと思う。けっこうやるじゃねえかと。
「うまいか?」
「うん、おいしい!」
 汗とすり傷だらけになりながら、そいつは柿の木に登った。自分で取った柿を齧って、輝くように笑う。今まで見たことないくらい、奇麗な顔で。
「こんなの初めてだ。すごく甘い」
 そいつの笑顔を見て、オレはすごくいい気持ちになった。それが決定的だった。オレは強く思った。ほんの一週間前オレの村にやってきたこいつが、村に留まればいいのに。ずっとこいつといられればいいのにと。特定の誰かといることを、生まれて初めて強く望んだ。それが海瑠だった。
 オレの願いが天に届いたのか、海瑠は母親と村に住み着くようになった。同じく海瑠の母親を気に入ったのだろう、親父が毎日二人の暮らす小屋へと出かけてゆく。海瑠の母親が親父の相手をしている時だけ、海瑠は外に出てきていた。オレは海瑠を自分たちの中へと引き込んだ。初めての時みたいに挑発したり、時には強引にあいつの腕を引いたりして。あいつはいつも困った顔をしていたが、それでもオレたちの中に入ってきた。自然と遊べるようになった頃、親父の努力の甲斐あってか、海瑠の母親も笑顔を見せるようになった。二人が祝言をあげたのは、それから半年後だったと思う。
 幸せな時間。海瑠と親父と海瑠の母親(母ちゃんと呼ぶには抵抗があった)と兄弟達。皆で暮らす日々は短かった。一年半が過ぎ、日照り続きの不作と襲った流行病により、海瑠の母親はあっけなく逝ってしまった。オレは忘れることができない。死出の母親の枕元に座り、声一つなく泣き続ける海瑠を。
「勝手に行くんじゃねぇ!」
 怒りに腹の底から絞り出して言った。母親の葬儀後しばらくして、突然海瑠は姿を消した。親父もオレ達も必死で探した。村の中も外も探して、探して。ついに村から少し離れた、海沿いの街道で海瑠を見つけた。海瑠は海を見ていた。オレは無性に腹が立って、悔しくて泣きながら海瑠を殴った。殴ってしがみついた。離さない。どこにも行かせやしない。おまえは、オレといるんだ。
 海瑠は黙って殴られていた。オレにしがみつかれたまま、じっと空を見つめていた。空を見つめながら、静かに涙を流していた。

 オレは強くなりたかった。
 強くなれば、誰にもあいつを奪われることはない。
 強くなれば、あいつも泣かなくてすむ。
 強くなれば、ずっと一緒にいられる。

 あれから数年、海瑠は常にオレといた。
 「学び舎」も「御影」も一緒に入った。「対」も組んだ。
 オレはなんの疑問もなく、あいつは自分のものだと思いこんでいた。
 当然だと思う独占欲。
 それこそが好きだという気持ちの、変わり身だと気づかずに。
 ずっとオレは、海瑠が好きだったんだ。


 ガツガツとカツ丼を食べる。いっきに空腹が埋まっていった。今日も飯がうまい。やっぱ運動の後の食事って、たまんないよな。
 すがすがしい朝の食堂で、オレは朝食を平らげていた。気分は上々。身体の調子もいい。
 今日は楽しいオフだし、何しよっかな。何ってやっぱり、アレだよな。
 ニヤニヤと顔が緩む。まるきりゴーカンで始まったオレ達だったが、その後は結構上手くいっていた。調子に乗ったオレは海瑠を求めずにはいられなかったし、その都度海瑠は拒まなかった。求めれば求めるほど身体は馴染む。正直、夢中になっていた。
 うーん、あいつ昼まで寝てるだろうしな。起こしちゃおうかな。いくらなんでもこれから再開ってのは、やりすぎってやつかな。
 行為の後の、気だるげな海瑠を思いだす。肌に残る紅も、染まる目の縁も。ゆっくりと吐き出される息さえも、ムラムラと情欲をそそる。はっきり言って今部屋に帰ったら、眠る相棒に襲いかかってしまうだろう。
 どうしようかと迷っているうちに、張りのある高めの声が響いた。
「あーら、ケダモノが食ってるわよ。なまいきー」
 いきなりぺしりと頭をはたかれる。目の前に誰かが仁王立ちしていた。揺れる金髪。水木さんだ。
「ケダモノのくせにカツ丼なんか食うんじゃないわよっ!このゴーカン魔!」
 斎がつくっただろうプリン片手に、水木さんが言う。初めて海瑠をヤっちまった一件より、水木さんはオレをケダモノと呼んだ。どうも斎から聞いたらしい。
「水木さーん、痛いっすよー」
「ニヤニヤしちゃってやーよねぇ。どーせやらしーこと考えてんのよ。このスケベ!」
 二発め。ぱしりと後頭部を襲った。オレはどんぶりを持ったまま、反論を試みる。
「えー? オレ、そんなスケベじゃないっすよ?」
「へーえ。だったらあんたの相棒、なんで一緒にいないのよ」
「え?あいつ寝てるし。起きないし」
「起きられないのよ!それは!」
 びしりと水木さんが突っ込んだ。オレはへへへと照れ笑いする。ちょっと、がんばりすぎたもんな。
「もー、どうしてあんたみたいなのがいいかしらねー!あの海瑠って子の気が知れないわよ!」
「知らなくていいですもーん。オレが知ってりゃ」
「まー、大きく出たわよっ。ヤキが必要だわね」
「ヤキ入れてくれるんスか?やったー!」
「水木さん上総くん!やめてください〜」
 どこから聞きつけたのか、斎が駆けつけてくる。(たぶん、食堂を手伝っていたのだろう)
 わいわいと掛け合いながら、楽しくオレは時間を過ごした。
 海瑠を独占できる喜び。
 このたとえようもない喜びを、オレは満喫していた。