呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT13

『好きだ』
 偽りのない目をして、流が言う。
『オレは、おまえが好きだ』
 流がこんな目をしている時は、その気持ちが真実で強固であることを、俺は知ってる。
 自らの目指すところへ、迷わず進んでゆく義弟。その強さが羨ましいと思った。共に進みたいとも。
 俺は前だけを見つめる流の、周りを見ようと心に決めた。背後を、足元を、全景を。
 あらゆる所に目を配り、流が止まることなく進んでゆけるように、していきたいと思ったのだ。
 その流が今、俺を見ている。


「・・・その・・・」
「オレが言いたいから言った。それだけだ」
 口ごもる俺に流は言った。おそらく言葉通りだろう。気持ちを伝えて駆け引きとか、自らの所業の免責とか、そんなことは義弟には考えられない。
「海瑠」
「えっ」
「ほら」
 いつの間に取り出したのか、流は小刀を持っていた。俺に差し出す。刃は自分に向けて。
「何だ、それは・・・」
「何だって、見たとおりじゃん。刺せよ。今のうちだぞ?」
「流!」
 驚く俺とは裏腹に、義弟は動じていなかった。背筋をぴんと伸ばし、俺を見つめている。
「お前、何を・・・」
「やっちまったもんは仕方ねぇだろ。好きにしろって」
「馬鹿なこと言うな!」
 思わず払いのけていた。かしゃん。小刀が壁にあたって落ちる。ぴりり。払った手に痛み。糸のように細い傷から、滲む赤い血。
「あーあ、あぶねぇことするから・・・」
「うるさい!」
 声を荒げないではいられなかった。何を言いだすんだ。やられたからやり返し。そんな、簡単に済むことじゃない。
「いい加減にしろ!」
「いい加減にしてねぇよ。全部本気だ。オレはおまえが好きだし、おまえが他の奴と寝るなんて我慢できねぇ。だからやった」
 淡々と流が告げる。俺は動揺を鎮められないでいた。好き。流がおれを。ああいう意味で。
「どうすんだ?」
 ため息混じりに流が訊いた。
「このままでおまえ、いいのか?いいなら、オレは好きにやるぞ」
 更に混乱する。言われたことが理解できない。いいって・・・・・流の好きにやるって?
「オレはおまえが好きだからな。また欲しくなったら、無理矢理ヤっちまうと思う。もちろん、他所なんか行かさねぇ。邪魔する奴は、叩き潰す!」
 なんだろう。頭がうまく動かない。俺はまだ飲み込めないでいた。流が俺を求めるのか?これからも?俺を独占すると、言ってるのか? 
「わかってんのか?」
茶色の瞳が見据える。
「嫌だったら死ぬ気で逃げるか、殺すつもりで抵抗しろ」
 殆ど脅迫みたいなことを、義弟は告げた。俺は茫然と見つめてしまう。
「どうなんだよ!」
 苛立ちながらの確認。そこでやっと俺は自分を取り戻した。流の言ったことを考える。流は俺を求めている。今後も俺を抱くと言う。嫌なら逃げるか拒めと言う。でも。

 いいのだろうか。
 「好きだ」という言葉を「理由」にして、流といていいのだろうか。
 流に求められていいのだろうか。けれど。
 俺には流から逃げることも、流を拒むこともできない。

「流」
「なんだよ」
「お前はいいのか?」
「はあ?」
「俺で」
 不安になって尋ねた。流の栗色の目が、みるみるつり上がっていく。
「何言ってんだよ!どうでもいい奴ゴーカンするか!」
 当たり前だと怒鳴られた。いつものように流が怒る。口をへの字に曲げて。
「お前がいいんだ!」
 幼い頃の姿が重なった。これは強い意志を示す顔。ビタ一文だって、譲るつもりはない顔。
「わかったよ」
 自然と言葉が出ていた。胸に何とも表現できない、複雑な気持ちが込み上げる。
「え?」
「いいって言ったんだ。流の、好きにすればいい」
「やった!」
 いきなり抱きしめられた。がしゃん。粥を入れてた土鍋が落ちる。床にひっくり返った。
「粥が・・・」
「いいって!んなもんほっとけ!後でオレが片付けとく!」
 回された腕の力が強くなる。流の熱が伝わる。流の息を感じる。その中で、思った。

 いいのかもしれない。
 俺はこれ以上、流を傷つけたくない。だから。
 流が求めるならば・・・・いいのかもしれない。

「もう離さねぇからな」
 義弟の囁き。心底嬉しそうなそれを、俺はぼんやりと聞いていた。