呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT11

 止まらなかった。
 そのことを知った途端、頭がぐちゃぐちゃになって。
 オレのものだと思っていた。
 信じて疑いもしなかった。
 その海瑠が、他の奴と寝ていた事が悔しくて。
 同時に、あの日の声を思いだした。


「・・・うそだろ」
 夜間訓練の後倒れ込むように眠って、不意にその眠りから目覚めた。何か聞こえる。
「うそだ」
 艶めかしい声。聞き間違えるはずがなかった。あれは,、海瑠の声。
「嘘だ!」
 信じられなくて耳を塞いだ。けれど微かに聞こえる。何かを揺する音。オレの水鏡の声。急きたてられるように続いて。
 どんなに否定しても、それらが何を示しているか明白だった。海瑠が誰かと寝ている。誰かを受け入れている。オレの知らない、誰かを。
「畜生っ!」
 毛布をひっかぶって耐えた。うるさいなら結界で音を封じればいい。でもそれができない。聞こえてくるのが、海瑠の声だったから。
「くそ・・・冗談じゃねぇぞ!」
 声はだんだんと変わっていった。最初は苦しげなものから、哀願のような声へ。認めたくなかった。何をしている。誰としている。なんでだ海瑠!
 声は日が沈むまで続いて、やがて聞こえなくなった。オレは暗くなる部屋の中で、ずっと毛布を被っていた。海瑠は隣にいる。確かめたいなら見にいけばいい。だけど身体が動かない。
 結局その日は一晩中、オレは部屋を出なかった。四日ほどして海瑠が自分から出てくるまで、海瑠の部屋へも入らなかった。 あれはオレ達が御影宿舎に入って、二ヶ月程過ぎた頃。あの頃の海瑠は度々ぼーっとしていて、よく体調を崩していた。風邪をこじらせ、一週間ほど寝込んだこともある。
 あの声は、そんな中で聞いたものだった。だから信じたくなかった。悪い夢だと。御影に入って間もなかったし、疲れから悪夢を見てしまったのだと思った。
 海瑠は何も言わなかった。あの夜の後も。身体が戻ってからは、普段と変わらずにいた。むしろなにかふっきれたような顔をしていたから、オレは全てが夢だったのだと更に思った。

 海瑠は何一つ変わらない。
 だから誰かにヤられて喘ぐなんてことは、あるわけがない。
 あれは自分の欲求が生み出した夢で、実際にあったことではないのだ。

 そう思いこんだオレはあの声を記憶の奥に沈め、遊郭に通ったりした。
 そして月日は過ぎ、オレ達は御影でもまあまあの位置に上がってきた。ちょっとやそっとじゃやられない自信もついた。常に身体だって鍛えているし、使える術だって増えた。そんなオレ達が誰かにいいようにされるなんて、あるはずがないと決めつけていた。けれど。
 閃あんちゃんからその話を聞いた時、あの声はオレの中に甦ってきた。海瑠の声。色めきを孕んだ。身体の奥が熱くなって疼いた。過去自分の中に湧き上がったものが、再び襲いかかってくる。
『な!やめっ!』
 部屋にいた海瑠は、伸し掛かるオレを拒んだ。両手を封じる。行かせるか。
『お前が何を聞いてきたのか知らないが・・・・それは誤解だ。何かの勘違いだ』
 あいつなら、羅垓という男ならいいのかと迫るオレに、海瑠は冷静に言った。誤解。勘違い。出された言葉に気持ちが揺らぐ。しかしすぐにそれらがうそだと気づいた。はだけた衣服の中から、真実が顔をのぞかせる。

 赤黒く色づいた、情交の跡。
 白い肌に無数に散らばる。

 嘘つき!
 心の底から叫んでいた。おまえはオレに言わない。何でもオレに隠そうとする。大切なことは、何でも。
『!・・・・よせ!』 
 いつも一緒にいたくせに、こんな時におまえはオレを拒む。一番近くにいたオレを。

 悔しかった。
 こいつを縛りつけたかった。 
 オレに縛りつけて、誰にも渡したくなかった。
 
『流!』
 止める気はなかった。
 悔し涙が流れる。手段など選ぶ余裕はなかった。自らの憤りをぶつける。怒りで貫く。動けないように。

 声が聞こえた。
 苦しげな海瑠の声。あの時の声に重なる。過去に封印した自分が、抑えようもなく暴れ出して。
 全てを出し切るその瞬間まで、オレは己の嵐を荒れ狂った。


 
 ようやく頭が冷えて、やっとものが見え出す。見えた事実に焦った。これはひょっとしなくてもやばい。海瑠が、やばすぎる。
「くっそー、なんかいいもんないのかよー」
 深夜の医療室。ごそごそと薬品を探るオレがいた。暗くてよく見えない薬品庫を、手元の小さな灯一つで探してゆく。
「あーもう!何つけていいのかわかんねぇよ!任務で受ける傷とは違うだろうし・・・・どうすりゃいいんだ」
 怒りで暴走した後、我に返ったオレは目の前の事実に青くなった。傷だらけの海瑠が横たわっている。意識は、ない。
『おい!海瑠!』
 海瑠は気絶しているようだった。身体を揺すると顔だけを顰める。寝具に色なす赤に、心臓が飛び出そうな位、ぎょっとした。

 まずいぞ。
 はやく手当てしなきゃ。

 とりあえず海瑠に毛布だけ掛けて、医務室までやってきた。幸か不幸か、医療担当員はいない。ここで、なにかいい薬を拝借するつもりでいた。
「困ったなあ・・・・・って、誰だ!」
 不意に感じた気配に、薬瓶を投げた。ぱしり。薬瓶が割れることなく、空中で制止する。
「上総くん!」
 聞き覚えのある声。
「どうしたんですか?こんな夜中に・・・・」
 医療室の入口近くには、オレの元同級生にして同僚、桐野斎が立っていた。 
「おまえこそ、どーしたんだよっ」
「食堂の後片づけが終わって帰る途中に、ここに胃薬を忘れたことを思いだしたんです」
 少しはにかみながら斎は言った。なんでもその日は水木さんが胃痛で、医療室に厄介になったらしい。(食い過ぎだ。あんな甘いもんばっかり食べてるからだ)
「上総くんはどうしたんですか?」
 小首を傾げて同僚に聞かれ、オレははたと思い出した。そうだ。薬だ!
「教えてくれ!」
 がしりと斎の両肩を掴み、オレは迫った。斎が大きな目を、更に大きく開く。
「なあ、どの薬がいいんだ?」
「え・・・上総くん?」
「オレ、海瑠をゴーカンしちまった!」
 殆ど半泣きに近い状態で、オレは斎に告げた。


「これでいいのか?」 
「はい。それで少し楽になると思います。熱がでるかもしれませんから、水分は大目に。それとこれ、海瑠さんが起きたらどうぞ」
 土鍋を置いた盆を差し出し、斎が言った。土鍋の横には匙がついてる。粥か何からしい。
「それでは・・・その、お大事に」
「さんきゅ。助かった」
 対処がわからず泣きついたオレに、斎は快く手を貸してくれた。てきぱきとオレに指示をだし、自分はどこから持ってきたのか、いろいろな物品を用意してきた。おまけに食堂で食べ物を作って来たらしい。さすがに手際がいいというか、これは経験がものを言うってことなのか。
「では、おやすみなさい」
 斎は部屋へと帰っていった。オレは戸口から見送る。角を曲がったのを見計らって、静かに扉を閉めた。室内を振り向く。寝台の方へ歩いて。
「・・・・怒るかな」
 ぼそりと心が漏れた。眠る海瑠を見つめる。少し前は蒼白だった顔。今は少し、赤みがさしてる。
「怒るだろうな・・・・・当然か・・・・」
 大きく息を吐き出す。でも後悔はしていない。むしろわかったことがある。こいつを失うかもしれないと思って、はっきりと自覚した。

 好きなのだ。
 オレは海瑠を。
 怒りで何も見えなくなるくらい、離したくないのだ。

 口を真一文字に結び、オレは海瑠の目覚めを待った。