呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT10

 何が起こっている。
 どうしてそんなことを言う。
 流、お前は何を知ってる?

『行くなよ』
 流は言った。
『どこにも行くな!』
 渾身からの叫び。部屋に響き渡って。
 流の全身が細かく震えていた。必死な、今にも泣きそうな表情。幼い頃のそれに重なる。
『勝手に行くんじゃねぇ!』 
 一度だけその言葉を聞いた。母さんがなくなって、自分の居場所はないと思った時。村を去ろうとした俺を、流は涙でぐしゃぐしゃの顔で引き止めた。
 一瞬躊躇した俺は、殴りかかってきた流に押し倒された。ボロボロと泣きながら流が殴る。数回殴って流は俺にしがみついた。子供とは思えないほど強い力に、俺は自分が間違っていたと思った。自分はここにいていいのだ。たとえ血が繋がっていなくても、流の家族でいていいのだと思った。思って、俺は流にしがみつかれたまま泣いた。
「なんで離れんだよっ!」
 またたくまに流が移動してきた。間髪入れずに床へと叩きつけられる。背中を強打して、込み上げる痛みと咳に喘いだ。
「どこへも行かせるか!」
 流が馬乗りになってきた。両手を封じられる。すさまじい力。まるで、あの時みたいな・・・・。
「な!やめっ」
「拒むのかよ!」
「違がっ、どうして」
「奴ならいいのか!」
 聞こえた言葉に身体が凍った。流,、今、何を言った?
「羅垓ってやつなら、いいのかよ・・・・」
 流が覆い被さってきた。何かをかみ殺すような、苦しげな声。抑える手の力が更に強まる。
「・・・・く・・・・」
 痛みに顔を顰めながらも、俺は流を見上げた。義弟の泣きそうに歪んだ、痛々しい顔。何を知ったか察しがついた。
「流、落ち着け」 
「これが落ちつけることかよっ!どうやったらそんな涼しい顔できんだっ!」
「話をしよう。・・・・お前は、何か誤解している」
 なんとか宥めようと思った。宥める自信は、あった。
「お前が何を聞いてきたのか知らないが・・・・それは誤解だ。何かの勘違いだ」
「・・・・・海瑠」
 一瞬。揺れる流の瞳。そこから巻き返せる思った。しかし次の瞬間。
「しらばっくれんなよっ!」
 叫ぶ流の右手が、ゆるくまとった衣服を割いた。思わず俺は目を瞑る。
「おまえは嘘つきだ!」
 再び開いた瞼の奥に、悔しげな義弟の顔が飛び込んできた。大きく見開いた瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「いつもそうだ!おまえはオレに言わない!肝心なことは、何も言わない!」
 落ちた涙の先を見て、俺は自分の愚かさを知った。胸に落ちたそれの近くに、赤黒く色なす印。先の情交の跡。
「畜生!」
 声が聞こえる。涙混じりの声が。俺のよく知る、流の声が。
「なんで・・・・なんでだよ!」
 身を切るような叫び。それを上げさせているのが、他でもない自分だと知る。
「!・・・・よせ!」
 叫びを吐き出す唇が、ふいに首筋に落ちてきた。俺は身を捩って抵抗する。何をしている!
「流!」
「うるせぇ!」
 殴られて目の前に火花が散った。頭がぐらぐらする。口の中に鉄の味。
「・・・流」
「誰にもやらねぇ」
 腹から絞り出した声。
「おまえ行かせたりしねぇ」
 涙を湛えた焦茶の目。刺し貫くように見据えて。
「おまえは、オレのだ」
 ゆっくりと降りてきた唇が、俺の息を奪った。


 動けない。
 流の涙が、俺を縛る。
 違う。
 俺なんか求めちゃ、だめなのに。
 でも・・・・。

 
 無理矢理ねじ込まれて、力任せに動かれていた。流が貫く度に、視界がぐらぐらと揺れる。その部分には既に感覚がなく、腰から下がしびれたようになっていた。
「畜生、ちくしょうっ!なんでだよ!」
 呪文のように繰り返される言葉。低く叩きつけるような声。答える余裕はなかった。ただ、受け入れるだけで・・・・。
「海瑠っ・・・くそう!」
 怒りを打ちつけられてゆくうちに、頭の中が空白になってきた。その中で妙に納得している自分がいる。
 いいのだ。流ならいい。
 俺はこの義弟を裏切っていた。こんなに悲しませてしまった。だから、いいのだと。
「なんで・・・・どうしてなんだよ!」
 荒れ狂う流の怒りと涙の中で、俺は自分がまた間違っていたことを知った。俺は流が大切だった。どんなことをしてでも、流を守りたかった。流が流のままである為に、自分を投げ出す位、容易いことだと思っていた。 どうせ価値のないこの身でそれが守れるなら、安いものだと。だけど。
 あんなに守りたかった流を、俺は今、苦しめてる。
 こんなに泣かせてしまっている。
『本末転倒だ』
 ふとその言葉が浮かんでしまって、自嘲するしかなかった。俺は何をやっているのだろう。一人で勝手に考えて。流の気持ちを無視して。あの、村を去ろうとした時のように。

 怖れていたのだ。
 あんなにして母が守ろうとした自分は、あの時いなくなってしまった。
 守られる資格もない俺は、流の傍にいる資格もない。
 身体を投げ出し守ることで、俺は流といる資格を得ようとしていた。 

「海瑠ッ!」
 流が荒れ狂う。その激情を身に受けながら、俺は流され続けた。