凍結   
by(宰相 連改め)みなひ




ACT2

 どうしてだったのだろう。
 家に帰ってから、俺は今日あった出来事を考えていた。女はどうして俺の手を取ったのだろう。何故自分の食堂に俺を連れてきて、飯を食わせたのだろう。しかも無料で。理解できなかった。顔色がどうとか言っていたが、俺はそんなに悪い顔色をしていたのだろうか。
 全部食べられたのも、意外だったな。
 日々摂取していた簡易栄養食は、いつも半分程で吐き気を覚えていた。もともと味を優先したものではないから、仕方がないと思っていたのだが。
 銀生が来たら、金をもらおう。
 ふと思いついた。女は代金はいらないと言った。だけどそれでは申し訳ない気がする。食事は十分に量があったし、俺は出された全部を平らげた。女とてボランティアで食堂をしているわけではないと思う。俺は銀生に金を請求することを決心した。
 もう休むか。
 窓から空を見上げた。ぴんと冷えた空気に、冴え冴えとした白い月。その位置では、夕餉の時間はとうに過ぎていた。けれど、今からあの簡易栄養食を飲む気にはなれない。遥といる時と違い、今さら自分の為に何か作る気にもなれなかった。
 少しだけあいつを視て、眠ってしまおう。
 思って俺は毛布にくるまった。手と首を出して、印を組む。遠見の術を習って以来、眠る前はあいつを視て休むことにしていた。幼い頃、森で出会ったあいつ。わがままでうるさくて、よく笑った金髪碧眼の少年。俺の本当の姿を見ても、怖がらなかったあいつ。故あって引き離されてしまった。あいつはもう、俺のことなど覚えていないだろう。それでも。
 あいつの顔を視るだけで、俺はひどく和らいだ気持ちになることができた。
 よし。
 波長が整う。遠見の準備ができた。意識を飛ばして、俺はあいつの気を探した。あいつはすぐに見つかった。
『おれさ、裏山で一番高い木に登ったんだ!』
 遠見の術で視たあいつは、ごはんを頬張りながら話していた。相変わらずな大きい声。あいつは引き取られた家で、碧という名前をもらっていた。
『誠も一葉もムリだったんだよっ』
 胸を張ってあいつは言った。自慢げな顔。隣で黒髪の男が何か言ってる。口の中のものを飲み込んでからしゃべれということらしい。叱られて、あいつはぺろりと舌を出した。
『おれ、学び舎の試験頑張るっ。ぜったい受かってやるんだ!』
 元気よく宣言する。学び舎。エージェントを目指す者たちが、目指す教育機関。碧はそこを受けるのだ。
『おかわりっ』
 湯気のたつ食事。温かそうな部屋。笑い声と叱る声。澄んだあいつの声が、眠気を伴ってきた。目を閉じる。眠りの世界へ。
 俺は自らの熱で温まった毛布に包まり、碧の夢へと沈んだ。


 日々は過ぎていった。
 俺は森で一人、術の稽古を続けていた。それは遥といるときからの習慣だった。火術水術雷術。そして結界術。全部遥が教えてくれた。
「んー、ぼちぼちやってるじゃない」
 銀生が姿を見せたのは、食堂の女と出会って十日がすぎた頃だった。稽古中だった俺はむすりとする。今まで呼んでも来なかったくせに、必要のない時には来たか。
「術も完成度高いしね。これだとまあ、いけるかな」
 睨み付ける俺に、銀生はブツブツとなにやら言っていた。俺は憮然と右手を出す。
「なに?その手」
 ちらりと俺の手を見やり、銀生が言った。
「いるものがあれば言えと言った。金をくれ」
 当然の権利を主張した。遥がなくなった後すぐ、生活費が底をついた。幸い簡易食料があったから、食には困らなかったが。
「金ねぇ。で、いくら位欲しいの?」
 言われて少し考えた。あの日ご馳走になった食事、代金がどのくらいかわからない。
「・・・・・いくらでもいい。食事代を払わなければならない」
「ふうん。じゃ、これ」
 銀生は小さな巾着を放った。受けとった俺は中身を確認する。袋の中に、小さな金子が何まいか。
「それだけあったらいいでしょ。ついでになんか食べたら?お前、なーんも食べてないでしょ」
「食べている」
 何を言うかと返した。食事は簡易栄養食を食べている。もっとも最近は吐きもどしてしまうこともあり、今朝からは水も受けつけなくなっていたが。
「食べてる、ね。まあいいか。しっかり食べてちょうだいねー。死んだら俺の監督不行き届きになっちゃうから」
 言い捨て銀生は消えてしまった。いつものことだと俺は諦める。手の中の巾着を見つめた。
 とにかく金が手に入ったのだ。代金を払わなければ。
 思って歩き出した。何だかふらつく。少しドキドキと脈が早い気がしたが、構わず足を進めた。


「あれ、あんたかい。どうしたんだい?」
 食堂に現われた俺に、女は言った。女は食堂の奥の厨房らしき所から、顔を出している。食堂は準備中だった。
「また顔色が悪いね。なんか食ってくかい?」
 言われた言葉に俺は首を振った。そう何度も世話になるわけにはいかない。俺は代金を払いに来たのだ。
「・・・・これを」
 右手の巾着を差し出した。代金はいくらか分からないが、巾着ごと渡せば足りるだろう。
「なんだい?」
「これを、もらってほしい」
 絞り出した言葉に、女はこちらに歩いてきた。何故だろう。身体が熱い。差し出した右腕が重い。鼓動が、妙に早く打っている。
「何だか知らないけど、あんた顔が真っ青だよ。ちょっと、ここ座って・・・・・」
 女が何か言っていたが、最後まで聞くことはできなかった。意識が、闇へと墜ちてしまっていた。