凍結 by(宰相 連改め)みなひ ACT3 目を覚ました俺は、そこがあの食堂でないことに気づいた。ここはどこだろう。見たことのある白い空間。 「気が付きましたか」 キィと扉が開いて、見覚えのある顔が中に入ってきた。答えがすぐに出る。ここは御影研究所だ。この男は確か研究員で、所長の助手だ。名前は、柊宮居(ひいらぎ みやい)といった。 「脱水と、栄養失調をおこしていました」 寝台脇の台にボトルのようなものを置き、柊という男は苦笑した。俺は自分の様子に気付く。腕から、点滴らしい管が出ている。俺は、倒れたのか? 「社さんにも言ったのですが、きちんと食事は摂ってください。主食と副食、それと君の場合は適度な間食。食物から摂取するのが一番なんです。簡易栄養食はあくまで、栄養の補助と考えてください」 いきなり言われてしまった。言い返す余地もない。俺は黙って聞いていた。 「とはいえ、本当は君ではなく、周りの大人が悪いんです。君はまだ子供だ。環境を整えるのは、大人の役割でした」 少し項垂れながら、柊という人が告げた。俺は目を見張る。 「ぼくも反省しています。簡易栄養食、補助と考えていたので栄養価が足りませんでした。それに、もっと食べ易くするためフレーバーなども考えるべきでした」 ぺこりと頭を下げられ、俺は身体を起こそうとした。すぐに肩を押さえられる。寝かされながら戸惑った。この人は何を言っている。倒れたのは俺の自己管理の不足で、柊という人のせいじゃない。 「簡易栄養食、温めて食べてみてください。少しはましな味になるんですよ。だけどもっとおいしくなるよう、研究を重ねます。固形物にも挑戦してみますね」 真摯に研究員は言った。俺はどう返していいかわからず、黙って聞いていた。 「そうだ。これをお返ししますね」 寝台脇の台に、何かが置かれた。見覚えのある巾着。これは、銀生にもらったものだ。 「よほど大切なものなんですね。しっかり握っていましたよ。処置をする際にお預かりしました」 小さく笑いながら、柊と言う人が告げた。俺はじっと巾着を見つめる。思いだした。 そうだ。代金。 食堂の女の顔が浮かんだ。巾着を渡す前に、俺は倒れてしまった。銀生あたりがここに運んだのだろうが、巾着がここにあるということは、まだ代金を支払っていないかもしれない。 「二、三日で家に帰れると思います。簡易栄養食はこれからもお送りしますから、いろいろ試してみてくださいね」 告げて、研究員は部屋を出ていった。俺は大きく息をつく。白い天井を見上げた。 倒れて、しまったんだな。 ぼんやりと思う。自分ではちゃんと生活していると思っていた。遥がいなくても、ちゃんと一人で生きていると。 遥の、言う通りになってしまった。 あのまま放って置いたのなら、命に危険が及んだのだろう。遥は言った。昏である俺も人だと。だから、一人では生きてゆけないと。それは、こういう意味だったのか。 だからといって、どうすればいいのだろう。 今のうまくまわらない頭では、答えは導き出せなかった。ただ、自分に何かが足りないことだけはわかる。その「何か」も、今はわからないけれど・・・・。 代金、払わなければ。 ともかくは、もう一度あの食堂へ行こうと俺は思った。食堂内で倒れてしまったから、きっとあの壮年の女にも迷惑が掛かってしまっただろう。そのことも詫びなければ。 俺は目を閉じた。早く回復するために、おとなしく眠ろうと思った。 「ああ!あんた!」 三度食堂を訪れた俺に、女は慌てて駆け寄ってきた。 「もう身体はいいのかい?あんたを連れてった男は、大丈夫大丈夫なんてのんきに言ってたけど・・・・」 言いながら女は手を伸ばした。荒れた白い手が、俺の方に近づいてくる。 「どれ。顔色は?ちゃんと食べているのかい?」 頬にあてられた掌の、温かさに動けなかった。肌を通して伝わる熱。身体の奥の何かを溶かして。俺は目を閉じた。 「座りなよ」 手を退き女は食堂の椅子を引いた。俺は言われた通りに椅子に座った。 「なんか食べていきなよ。あたしゃ藤ってんだ」 食堂の女は俺に告げた。俺は戸惑う。金を、まずはこの間の詫びをしなければ。 「遠慮なんかなしだよ。子供がすることじゃない。腹一杯食べて、しっかり遊ぶもんだ。食べられないんだったらうちにおいで。その代わり、店を手伝ってもらうよ」 肩に手が置かれ、染み込むような声が降りてきた。不意に、俺は泣きそうになる。顔を隠そうと頷いた。 「じゃあ何をだそうかね。また残りもんしかないんだけど。そうそう、今日は折に詰めるから、ちゃーんと家でも食べるんだよ」 言い捨て女は厨房へと消えた。煮物か何かを温める気配。空気が温まってゆく。心地よく感じられるその空間で、俺は女の出す料理を待った。 「おせっかいなおばさんだよね」 食堂から家に帰ると、そこには銀生が待っていた。俺はむすりと口を結ぶ。銀生は遠見で視ていたらしい。 「しかし、お前もやっかいな奴だよねぇ。勝手に弱っちゃだめだよー。お前のせいでさ、ちゃんと食事を摂らせろって、研究所の柊って研究員にすっごい怒られちゃったんだから」 また自分勝手なことを言っている。お前も俺の保護者なら、ちゃんとまめに様子を見にこい。それでも。 「お手数を、お掛けしました」 ぺこりと頭を下げた。こういう監視人だが、危ない状態を助けてくれたことは事実。 「なんか、かわいくないねー。ま、よしとしてやるよ。でも、よかったじゃない。これからは、あそこでしっかり食べてちょうだいね」 なにがよかったのかはわからない。しかし、銀生はあの食堂のと関わることを、反対していないようだ。 「今のうちに体力、取り戻しておいてね。春から忙しくなるから。お前には、もーっといろんな人に関わってもらうよ」 にやりと面白そうに笑いながら、銀生は印を組んだ。空気に溶け込む。 いろんな人に関わる、か。 一人ではいられそうにないな。 俺は銀生のいた空間を眺めながら、大きく息をついた。 あれから一つだけわかったこと。 凍結してしまっていたものが、温かく融けだした気がする。 俺はもう、冷えゆくばかりではないらしい。 凍ったものが何かは、わからないけれど。 終わり |