禍事〜まがごと〜 




ACT13

 旧独身寮の二階。スプリングの傷んだ寝台の上で、銀生は藍の「本気」を堪能していた。
 極上の果実は触れるだけで匂い立ち、ひとくち含めば脳天まで甘い痺れが駆け上がる。予想していた通りのそれに、銀生は酔った。
 ふたつの場所で繋がっている体。どちらも熱く互いの情炎を燃え立たせている。唇の動きと舌のわななきは、そのまま腰へと下りていき、なんの用意もせずに貫いたにも関わらず、深く銀生を取り込んだ。
「ん……っ……ふ……う…」
 苦しげな息遣い。わずかに唇をずらして、なんとか呼吸を確保する。潤んだ瞳が余裕のなさを訴えている。
 そろそろ、こっちは解放してあげますかね。銀生は藍の舌に軽く歯をたててから、唇を放した。
 あらら、もしかして、ちょっと切っちゃったかな。口の中に鉄の味が広がる。藍は眉根を寄せてこちらを睨んでいた。
「すみません。でも……藍さんも悪いんですよ」
「な……なにが……」
「だって、急にあごを引くから」
「それはあなたが……」
「噛み切られるとか、思っちゃいました? やだなあ。そんなこと、するわけないじゃないですか」
 指を脇に滑らせる。吸い付くような感覚を味わいながら、さらに中心をするりと撫で上げて、
「やっーと、こういう関係になれたのに」
 藍の上体が小さく震えた。自身の変化を敏感に感じているらしい。
「それに、俺、屍体愛好のシュミはないですから」
 ほかは、まあ、けっこうイロイロありますけどね。
 腰に添えていた手をすっと引く。ひじをつくような格好で愛しい人を見上げ、要求を口にした。
「え……」
 藍の両目が見開かれる。不安定な体勢で結合していた体が、後ろに倒れそうになった。
「あー、ダメですよ」
 ふたたび、腰に手を伸ばす。
「言ったでしょ。このまま、いかせてって」
 同じ要求を告げる。
「あんたの手で、最後まで」
 厳密に言うと、手じゃなくて……。
 ひざを上げて下半身を固定する。ほら、これでどんな動きにも対応できますよ。だから、ね? 藍さん。早く、してくださいよ。
 全部が視えていた。体と心の葛藤。おそらくいままで経験したことのない極限の選択。それを越えて。
 藍は銀生の言葉に応えはじめた。
 欲情を引き出し、かき回し、飲み込む。銀生の上で、均整のとれたなめらかな体がざわめいている。過日、目にしたときよりいくらか華奢な印象の体。このひと月、かなり自分を追い込んでいたのだろう。その果てに、ここまで来た。
 うれしいねえ。
 渦巻く波に身をまかせながら、銀生は思った。こんなにも、なにもかも向けてくれるなんて。
 マジで、あした殺されてもいいよ。
 あ、でも、ひとりでイクのはヤだから、この人も道連れね〜。
 交歓を表わす音が次第に湿り気を帯びてくる。それとともに、声も。
 じんじんとした快感が全身に行き渡る。銀生は藍によって、悦楽の彼岸を越えた。


 外はすでに、闇のベールを下ろしていた。風の音が古くなった窓枠を揺らしている。
「藍さん。お水ですよ」
 ぐったりと寝台に伏した背中に、声をかける。眠ってはいなかったのだろう。ぴくりと反応があり、やがてゆるゆると身を返した。
「……すみません」
 思いのほか素直に、藍は手を伸ばした。湯呑みを受け取り、息をつく。
「いいえ。いいんですよ。すごーく、がんばってもらいましたから」
 自分はほとんど、なにもしていない。体を馴染ませることも、高めることも。それでもこの人は、自分を最後まで導いたのだ。
「今度は、俺の番ですね」
「え?」
「今度は、俺が藍さんを……」
 発した言葉に、反応は早かった。ばしゃり。湯呑みの水が、顔に降りかかる。
「うわ……なにするんですかー。新手の女王さまプレイですか?」
「冗談はやめてください! おれがいま、そんな状況かどうか……っ……」
 大声を出したためか、とある箇所に影響があったらしい。
 それはそうか。いきなり最終的な状態になって、しかもいちばん深いカタチで事を進めたのだ。それなりに経験があったとしても、ダメージは大きいかも。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ」
 ひっそりと囁いて、銀生は左手で印を組んだ。藍の額に印を封じる。
「イタイ思いは、させませんから」
 銀生は藍に重なった。
「……!」
 ひとつひとつ、辿っていく。それこそ、つま先から髪のひとふさまで。味わって、感じて、喰らい尽くして。
 下肢を開いて、奥を目指す。ただ単に押し進めるのではなく、応えのある場所を探して。
「あ……っ……ん……」
 藍がかぶりを振る。先刻とは明らかに違う表情に、銀生は自分の目測が誤っていないことを実感した。
「いいですか?」
 ゆっくりと確かめる。少し引いて。腰がそれを追った。ああ、やっぱり。
「いい、ですよね」
 強く擦り付けた。瞬時に反応が返ってくる。
「……は……っ……あ、んんっ!!」
 声が証明している。同時に、体が自らの欲するところへと動き始めた。
「じゃ……いきましょうね」
 もう逃がさない。もらうよ。全部。
 内部の熱は、制御のきかない状態だった。奥へ。奥へ。どこまでも熱いマグマが吹き上げる。
 その瞬間、音にならない声が漏れた。意識が彼方へ飛んでいく。薄く開いた唇が自分の名の形に動いた気がして。
 この人の砦を、やっと崩せたと銀生は思った。





〜エピローグ〜

 その日。銀生は移動の術を使って、藍を郊外の家に運んだ。そのままの状態で、旧独身寮の部屋に置いておくわけにはいかなかったのだ。
 交わりの色濃い体は、そこに存在するだけで情欲をかきたてるほどで、うっかりすると朝までその行為に没頭しそうだったから。
 もっとも、それはかえって薮蛇で………。
 結局。その後、藍は銀生の家に住まうことになる。


「おはようございます、藍さん」
 特務三課課長、社銀生は言う。
「おはようございます。朝餉の用意、できてますよ」
 特務三課主任、桐野藍が言う。
 座敷には、少し固めに炊けたごはんと、白葱とワカメの味噌汁。薄味のだし巻きと海南産のアジの干物。さらには「壺ノ屋」の沢庵と、もずくとキュウリの酢の物が並んでいる。
「うわあ、今日も朝からごちそうですねえ」
「朝食は、一日の活力源ですから」
「そーですねー。んじゃ、いっただきまーす」
 ちょこんと卓袱台の前に座ると、
「ねぶり箸はやめてくださいね」
 間髪入れずに、チェックが入る。
 はいはい。わかりましたよ。あんたが心を込めて(どーゆー「心」かはともかくとして)作ってくれたんだから、こっちもちゃーんと礼儀を尽くさないとね。
 銀生は箸を持ち直した。
「これで、いいですか?」
「……ええ。けっこうです」
 ちらりと見遣ってそう言うと、藍もきっちりと手を合わせて、食卓についた。


 軍務省情報部特務三課。
 その船出は傍目には、必ずしも順風満帆とは言い難かった。が、そこに属する者たちは。
 その場所に在ることを、自ら選んだのだ。
 様々な障壁を越えて。


(了)


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