禍事・後日譚




 和の都の郊外にある社邸。
 そこには、軍務省情報部特務三課課長、社銀生と、同じく特務三課主任、桐野藍が暮らしていた。銀生いわく「愛の巣」である。
 その愛の巣では、今日も怒号が響き渡っていた。
「ここで喫煙するのはやめてくださいと、何度言ったらわかるんですかっ!!」
 声とともに、銀生がくわえていた煙草は雑巾バケツに沈められた。
「どんなバカ犬でも、一カ月も訓練すれば『待て』や『伏せ』を覚えるのに、どうしてあなたは……」
「藍さんが一カ月、つきっきりで『訓練』してくれたら覚えるかもしれませんよ〜」
 にんまりと笑って、三課課長の銀生は言った。そのときの状況を思い描き、ドリーム満載のうっとりとした顔で続ける。
「それだったら、俺、ニコ〇ットとかパ〇ポとか禁煙ガムとか買って、誠心誠意励むんだけどなー」
「しませんよ」
 言下に、藍。
「えーっ。どうしてですか。俺、藍さんのためなら犬にでもなりますよ」
「ならなくていいです」
 氷点下の視線を向けて、断ずる。
「それより、人として最低限の常識と礼儀をわきまえてください」
 藍はぴしっと居住まいを正した。場所は社邸の客間。床の間の横で、藍はおのが「対」であり上司であり同居人(いつになったら「同棲」と言ってもらえるのか)である男に対峙した。
「このお軸は、上人さまにいただいたものです」
「え、あ、はい」
 ちょこん、と正座して答える。
 それは銀生も知っていた。床の間に飾ってある軸に書かれた書は、藍が銀生の「対」となる前に護国寺で修業した折に、護国寺の大僧正、慧林上人から直々に賜ったものだった。
「それを不用意に汚されたくはありません」
「はあ、まあ、あの……すみません」
 じつのところ、銀生としてはそんなものはどうでもいいじゃないかと思っている。が、藍がそれに重きを置いているのなら、それはそれでよかった。
 最愛の人の大切なものを奪う悦び。アブナイ思考がむらむらと沸き起こる。
 もっともこの人の場合、やりすぎると返り討ちにあいそうだけど。


 ……それも、いいかもね。
 輪をかけて危ない欲望がとぐろを巻く。
 あーあ。どうしてかなー。
 銀生は思った。これってやっぱ、「愛」ってヤツかね。心の中で結論づける。
 そ。愛は魔物だよ。みんな、それに狂っていく。
 早々に追い出された前栽で、銀生は深く紫煙を吸い込んだ。
 もっともっと、狂っていこう。たとえ地獄に続く道だとしても。

 俺は、あんたを放しませんからね。


 (了)