異端
   by(宰相 連改め)みなひ




ACT2

「いってらっしゃい。はい、これ。今日は昏ちゃんの好きな、高野豆腐が入ってるからね。残さず食べるんだよ」
 藤食堂のおかみが小さな風呂敷包みを差し出した。これは俺の弁当。学び舎に通う俺の為に、おかみが持たせてくれる。
「その、おかみ」
「なんだい?」
「今月の飯代を受け取って欲しい」
 俺は握った右手を差し出した。中には銀生からもらった金が入っている。銀生はあの拒食の一件より、毎月決まった金を置いてゆくようになった。それで俺は食事代と、生活に必要な物を賄っている。
「いやだねぇ、昏ちゃん。いらないって言ってんのに。ただでもあんたにゃ、店の開店準備手伝ってもらってるんだから」
「しかし、弁当も作ってもらっているし、全部無料では俺の気が済まない」
「しかたないねぇ。じゃあ、半分だけもらうよ。後は昏ちゃんの欲しいもん買うんだよ」 
 困った顔でおかみは、手のひらの金の半分を受けとった。俺は何か言おうとしたが、黙って残りの金をポケットに入れた。
「・・・・すまない」
「何言ってんだよ。さ、時間だ。行っといで」
 ポンと肩を叩かれた。俺はこくりと頷き、藤食堂を後にした。

 学び舎。
 同じ年頃の少年少女達が通っているのに、ひどく違和感のある場所に、俺は足を踏み入れる。
「おはよう」
「おっす」
 皆が挨拶を交わす中を、俺は一人で進んでゆく。声を掛ける者はいない。だけど感じる。背中に視線。向けられる思念。
『昏だ』
『あれが昏くんよ』
『へえ』
 入学して一ヶ月になろうかと言うのに、学生達は俺に慣れない。自分達と違うものを指差しては、口々に勝手な言葉を吐きあう。遮蔽していてもそれは、俺の頭に潜り込んできた。
『あいつってさ、本当に“昏”なのかな』
『どうして?』
『だって、“昏”って和の国では最強で、幻の一族だろ?あいつっておれ達と変わりないじゃん。身体もでかくないし。やせっぽちだし。顔だけは、みとめてやるけどよ』
『じゃあおまえしゃべってきたら?中身がどうか、確かめてこいよ』
『やだよー、おっかねぇし。あいつしゃべらないし。なんか性格悪そうじゃん』
 疑いと怖れ。根拠のない偏見。次々と突き刺さってくる。怖れるならばこっちを向くな。俺は何もしない。ただ一つ、そっとしておいて欲しいだけだ。
「おはようごさいます!」
 いきなりの大声に驚いた。なんのマネだと見つめる。目の前には黒髪黒眼の、真面目を絵に描いたような顔が存在していた。こいつは確か、錦織誠(にしきおり まこと)とか言ったか。
「・・・・・」
「昏くん。この間歴史学の日、休みましたよね!」
 元気よく言われ、つられて頷いた。あの日は確か、早朝にした銀生との訓練が長引いた。昼までかかってしまった為、学び舎を休んだのだ。おまけに足を捻じていた。無理して動かしては、次の日の訓練に差し控えると思ったのだ。
「あの日、漆原先生が中間テストの範囲を発表したんです。それで、ぼくたちメモにとったんです。昏くん、もしかしたら知らないのではと思って・・・」
 何を言っているのだと思った。俺は昏だ。知りたい情報があれば、自分から視にいけばいい。それに、現在学び舎で学んでいることなど、既に知っている知識ではないか。
「必要ない」
 一言。切って捨てた。錦織という奴が固まるのが、はっきりとわかる。
「そ・・・・そうですか。それは、すみませんでした」
「別に、そっちが謝ることじゃない。俺が必要ないからそう言った。それだけだ」
「そうですね。ぼく、おせっかいでした。よく言われるんです。桐野の家では皆でたすけあっていたものですから、つい」
 思いだした。こいつはある時期まで、碧と共に暮らしていた。ということは、桐野孤児院の出身者か。ならば、俺に話しかけるのもうなずける。
 碧の養い親である桐野玄舟は、孤児を引き取って養育していた。その中には碧のような異端児や、明らかに他国人との混血である子供もいた。しかし彼はわけ隔てなく子供たちに接し、互いに協力して生きてゆくことを教えていた。あの環境の中だからこそ、碧は碧として受け入れられたのだ。
「俺の方こそ言い方が悪かった。しかし、今のところ助力は必要としていない。だから、いい」
「わかりました。何かあったらどうぞ。お役に立てないかもしれないけど」
 そう言って、錦織誠は立ち去っていった。俺はまた歩きだす。 
 たくさんの学生の中で、俺に話しかけて来る奴は何人かいた。しかし、大抵はすげなく俺に返答され、退いてゆく奴が大半だった。だけど、中には諦めない奴もいた。
 今の錦織誠の他に、もう一人。

 
 昼休み。
 静かな所で食事したくて、俺は学び舎の食堂を使わなかった。かといって、教室も騒がしい。自然と学び舎の裏山で食べることが多かった。
 ここらでいいか。
 とりわけ枝振りのしっかりしている木を選び、弁当を手に飛び上がる。枝に腰かけ、そっと手を合わした。風呂敷包みを開く。
 世話をかけているな。
 弁当箱の中には、俺が比較的食べやすいものばかりがならんでした。和風のものが多い。高野豆腐に煮物。焼き魚に和え物。細かく刻んだ具を混ぜこんだ、握り飯が三つ。
 俺が倒れて以来、藤食堂のおかみは食生活には特に細かく気を使ってくれる。最初はあらゆるメニューを食べさせられた。どうしても油ものが胃腸に合わないと知ってからは、薄味で消化のいいおかずを作ってくれている。
 残したら、また心配を掛けてしまう。
 箸を手にとり、鰆の西京焼きを食べようとした。その時、邪魔が入る。
「おい昏一族!降りてこいっ!」
 足元で誰かが怒鳴っていた。顔を見てうんざりする。またあいつか。
「今日こそ勝負するのだ!この春日是清とな!」
 何人かのとりまきを引き連れ、木の下で宣言している。春日伯爵家だか何だか知らないが、こいつは入学以来、俺を目の敵にしていた。
 怖れたりしないのはいいが、こいつは関わったら面倒だ。
 判断して俺は弁当を手に木を駆け上がった。追ってこられたらゆっくり食べられない。頂上近くの、一人分ギリギリ支えられるぐらいの枝に腰かける。
「貴様、卑怯だぞっ!この春日是清と、尋常に勝負するのだー!」
 下ではまだ何か言っている。早くどこかへ行けと思いながら、俺は弁当の続きを食べた。
 確かに大勢集まれば、いろんな奴がいるな。
 空になった弁当箱のふたを閉め、しみじみと思った。森で遥と暮らしていた時、流れ込んでくる思念は皆、知識として伝わるだけだった。怖れでも敵対でも羨望でも、直接俺に向けられるものではない。その生々しさに、最初はそこにいるだけで疲れてしまっていた。けれどもようやく、それらにも慣れ始めてきたらしい。
 いろんな人と関わる・・・・か。
 銀生の言葉を思いだした。それで何が変わるのか。無駄だと思いながらも、俺はその厄介な日々を過ごしていた。