| 自分が「昏」であるということ。 それは、流れ込んでくる人々の思考と知識で、わかり過ぎるほどわかっていた。けれど。 知識と実際に経験することは、あまりに違う。 初めて知った。自分が真に異なっていることを。 異端 by(宰相 連改め)みなひ ACT1 朧をまとう月が、ぼんやりと桜の巨木を照らしていた。 はらり。はらり。 雪のように、白い花びらが舞う。 どこだ。 俺は桜の木にほど近い、低木の茂みに隠れていた。感知した気配を頭で数える。一つ。二つ。全部で・・・・・五つ。 囮か。見分けろということだな。 一昨日の事を思いだす。あの時は初めて複数の囮の情報を与えられ、戸惑った瞬間をつかれた。 相手は銀生。透視や操作は効かない。それどころか、偽の情報をどんどん送ってくる。騙されてはいけない。 まずはどれが動くか、だな。 俺は息を殺して待った。与えられる気配は皆同じ。しかしそれらが動いた時、僅かなズレが生じるはず。 ザザッ。 二つの気配が動いた。右と左、別々の方向へと向かっている。 あれだ。 気配の濃い左を追った。桜の木へと飛び上がる。枝を駆け上がっていった。ばしん。足元の枝が次々と砕破される。 もう少し。頂上まで追い詰めれば。 一気に行こうと大きく飛び上がった。その時。 「甘いねぇ」 頭上から声がした。 「逃げると誘うは違うでしょ?」 月の光に照らされ、冴えて光る蒼眼。 「だから、お仕置き」 小太刀が振り下ろされた。なんとか小刀で受ける。次の瞬間に、銀生の膝が腹にめり込んだ。 「ぐっ」 息が止まる。逆流する胃液。身体のバランスを見事に崩した。ぐらり。重力が身体を絡めとる。 『まずい』 思った時には落下していた。みるみる地面が近づいてくる。なんとかしなくては・・・あれだ。 ガッ。 なんとか小刀を桜の枝に突きたてた。俺を受け止めた反動で枝がしなる。ばきり。桜の枝が折れた。再び地面へと向かう。 ザッ。 今度はなんなく着地できた。地面からそう高くない場所だったのだ。 ふう。 地面に叩きつけられなかったことに安堵する。全身から汗が噴き出した。ふっと、気を緩める。 「だめだよ〜」 いきなりがしりと首に腕が回った。 「落下を免れたからって、気を抜いちゃダメじゃない〜。まだまだ、敵はいるのよ」 楽しそうな声とはうらはらに、ぐいぐいと締めあげる銀生の腕。なんとか逃れようともがく。気を失いそうになったとき、腕はスッと首から離れた。 「はーい、今日もペケ!二回死んじゃったねぇ〜」 むせかえる俺を目の前に、銀生はにっこりと嬉しげに笑った。 遥が死んで、四ヶ月程が経過した。 最初の一ヶ月ほどで俺は拒食状態になり、栄養失調と脱水で倒れてしまった。その時養育者として怠慢だと、銀生は御影研究所の研究員にこっぴどくしかられたらしい。そのせいか、最近では二日に一回、訓練と称してやってくる。重ねて言えばそれも決まった時間ではなく、夕方くるかと思えば深夜や早朝だったりした。 銀生が言ったとおり、俺の生活は春から一転して忙しくなった。俺はエージェントを目指す者が入る教育施設、学び舎へと入学させられたのだ。 『いいじゃない。オトナになったら、つまんないことばーっかりなのよ。だから、お前には楽しいスクールライフを経験させようって親心よ』 学び舎入学について抗議すると、銀生はへらりとそう言った。奴がつまらないことばかりしてるとは、到底思えないのだが。 銀生は学び舎には行かずに、十才でいきなり御影本部に配属されたと言う。そして初任務で瀕死の俺を見つけた。学び舎に入る前、俺は遥から一通りの術は学んでいた。一般レベルのあらゆる知識も。事実学び舎で教える知識は既知のものが多かったし、体術や術などの実習は他の生徒に危険が及ぶとの名目で、別行動になっていた。 『心配しなくても大丈夫よ。半年ほど俺がみーっちり仕込んだら、現役『御影』として任務をこなしてもらうから。もちろん、俺の部下として』 銀生はそう言ったが、俺は心配などしていなかった。生まれてからずっとその存在を隠されてきた「昏」。生きてゆけるのは、裏の役割を持つ「御影」くらいしかない。 『まだまだご機嫌ナナメねー。昏、もうムズカシイ年頃なの?わかった!学び舎にかわいい子がいないんでしょ?』 わがままねーと笑われた。馬鹿にするなと口を結ぶ。異性。それが何になる。それ以前に、「昏」とまともにつきあう奴などいるものか。皆、怖れて近寄りもしないのに。 学び舎で経験している、周りの者たちの反応を思いだした。同じ学生も教師も、目の端に怖れが見えている。俺の名を聞いただけで。「銀鬼」ではない、「昏」の名だけで。 あいつなら、どうだっただろうか。 ふと碧を思いだした。 否。このままでいい。 すぐに打ち消した。俺と接点を持ってしまったら、あいつに危害が及んでしまう。遠い過去の日を思いだした。俺と出会った為、碧は研究所で記憶を封印された。今、あいつは幸せに暮らしているのだ。その日々を奪うわけにはいかない。 碧は無事学び舎に入学していたが、同じ学び舎でも俺とは違う場所に通っていた。最初の適性検査で、「水鏡」に適性があると判断されたらしい。俺は「御影」になることが決定されている。とりあえずは別々の場所で学ぶことになって、俺はホッと胸を撫で下ろしていた。 そろそろ、藤食堂へ行く時間だ。 空を見上げて思った。傾き去ろうとしている月。遠くに登ろうとしている朝日。夜が、明ける。 藤食堂はおかみ一人で切り盛りしている。朝は仕込みに開店準備と特に忙しい。開店準備だけでも手伝わなければ。 行くか。 走り出す。深夜銀生の「訓練」に引っ張り出された為に、水分補給が出来ないままに身体を動かした。喉がカラカラに乾いている。温かい茶を一杯もらえればと、俺は藤食堂を目指した。 |