今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT7

 まっくらになってしまった家路を歩く。
 ぎしぎし。ぎしぎし。体中の関節が鳴る。
 あちこち痛む身体で、おれは今日も桐野家の戸を開けた。


「おかえり。遅かったな」
 玄関入ってすぐ声。藍兄ちゃんだった。ここ数日、同じ顔で向かえてくれる。心配そうな顔で。
「・・・・・ただいま」
「夕飯、取ってあるぞ。おまえの好きなハンバーグだ」
 言いながら踵を返す。奥の間へ行くのだろう。きっとそこで、おれの夕飯を温めてくれる気だ。
「どうした?先に風呂にするのか?」
 少しばかり進んで、藍兄ちゃんが振り向いた。首を傾げて訊く。玄関から動かないおれを、窺ってくれている。ふいに顔色が変わった。
「まさかおまえ、どこかケガでも・・・・」
「違うよ〜」
 ばたり。靴も脱がないまま、おれは玄関に倒れ込んだ。バタバタ、藍兄ちゃんが駆け寄ってくる。
「碧!大丈夫かっ」
「もう限界。おれ寝る〜」
 言葉もそこそこに瞼を閉じた。藍兄ちゃんが何か言ってる。それに構うことなく、おれの意識は沈んでいった。深い深い、眠りの底へと。

 
 この半月程、おれは同じ毎日を辿っている。
 朝七時に起きて、八時半に軍務省の片隅にある独身寮の集会室に出頭。そこで二人の男と行動を共にする。
「遅い。八時三十二分だ」
 一人はこいつ。まっくろな目と髪。殆ど無表情。おれの「御影」予定。昏。
「たった二分だろー?建物に入ったのは八時三十分だったぞ」
「八時半集合というのは、八時半には集合場所にいるということだ。ましてや俺達は配属さえ決まっていない研修生。五分前行動が基本だ」
「あー、ごちゃごちゃうるせえの。銀生さんは?」
「まだ来てない」
 銀生というのはもう一人、おれ達の指導教官。おれ達が一対の「御影」と「水鏡」になれるか、見極める人だ。
「ええーっ、またかよ。あの人、けっこういい加減だよな」
「別にいなくてもいい。結果は既に出ている。いくぞ」
 言い捨て、昏が表に出た。演習場へ行くのだろう。もう訓練を始めるらしい。

 「結果が出てる」なんて、やな奴だな。
 どうせ、おれには無理なんて思ってるんだろう。

「けっ、そうはいかないからな」
 ぼそりと呟き、おれは昏の後を追った。演習場へと急ぐ。また遅れたら、何を言われるかわからなかった。
「始めるぞ」
 演習場についてすぐ、あいつはおれに宣言した。おれは構えを取る。昏が地面を蹴った。
 だいたい八時四十分頃から、おれ達は二人だけで訓練を開始する。自らを監督役と称した銀生という人は、いつも遅れてやってきた。
「反応が遅い」
「わかってる!」
 訓練の内容は「体術」。朝から晩まで組手をやってる。息つく暇なく襲ってくる突きや蹴り。半分は避けきれなかった。当たっても衝撃が半分程で、わざと寸止めされているのが気に障った。
「手加減すんなよ!」
「そういうことは、全部避けられるようになってから言え」
 どうして「体術」なのか、よくわからない。普通、一対のものになるための訓練ならば、二人の気を合わせる訓練をするはずだ。なのに毎日「体術」ばかりで、他のことをする気配はなかった。
 結局さ、おれが気に入らないんだろう。
 あいつは「昏」一族だと聞いた。どういったわけであいつ一人になったのかは知らないけど、かつては和の国最強と言われた一族。プライドだかなんだか知らないけど、和の国で嫌われる容姿のおれとは、どうも組みたくないらしい。
「もらったぁ!」
「甘い」
 両手を振り下ろそうとして、鳩尾に衝撃。モロに拳が入った。逆流する胃液。込み上げる吐き気。堪えながら回し蹴りした。ぱしりと片手で受け止められる。首に手刀が打ち込まれた。

 効いたぁ。 
 でもこれ、手加減してないよな。

 ざまあみろと思いながら倒れた。目まいがする。おれは訓練を始めてもう何度目かになるだろう、落ちる意識に身を任せた。 


「気がついたー?」
 目が覚めた途端、面白そうな表情が飛び込んできた。銀生という人だ。
「・・・・銀生さん」
「ごめんねー。昏の奴、またやっちゃったみたい。今、昼飯買いに行ってるから。今日はあいつの驕りね」
「ふーん、いいの?」
 起き上がろうとして、ばさりと何かが額から落ちた。濡れた手拭い。もう温くなっている。首にも湿布らしきものが捲いてあった。
 あいつ、中途半端だよな。
 唇を噛み締めながら思った。イヤミばしばし言うかと思えば、バカにしてるのか手加減してくる。本気が出たかと思えば、留めを刺さない。それに手当てまでしてくれる。嫌いなら叩きつぶせばいいと思うのに、どうしてこう、手ぬるいのだろう。
 この外見だったから、今までいじめのたぐいはいろいろ経験した。その中のどいつも、あいつのように生易しくはなかった。もっと酷いことをしてくれた。もちろん藍兄ちゃんや一葉達の助力もあったし、自力でそれに打ち勝ったから、今のおれがあるのだが。
 
 まあいいや。
 おれだって簡単に引き下がる気、ないし。

「ほら、帰ってきたよ〜」
 昏の姿が見えた。本当に弁当買ってる。なんだかおかしくなった。
「食え」
 手さげのビニール袋のまま、昏が弁当を差し出した。
「これ何?」
「シャケ弁」
「ラッキー!おれ、シャケ好きなんだっ」
 言いながら弁当を受け取った。いいにおいがする。まだあったかい。
「ほら、昏。ゴメンなさいは?こう何度も相棒昏倒させちゃあ、だめだよー」
「いいよ。手加減する暇、なかったってことだろ?おれが強くなってる証拠じゃん」
 上機嫌で弁当箱のふたを開けた。焼きシャケだ。大きい。のりも入ってる。のりシャケ弁だ。
「のりシャケ弁か〜、豪華だねぇ。昏、俺の分は?」
 銀生さんが言った。あいつはそれを一瞥した後、「ない」と切って捨てた。
「昏〜。育ててやった恩はどこへいったの?もう、薄情なんだから」
 指導教官の訴えを、あいつはまる無視して弁当を食べ始めた。普通ののり弁だ。それって、おれ用にのりシャケ弁、買ってくれたってこと?
「昏ったら、冷たい〜」
「うるさい。研修生にたかるな。さっさどこかで食ってこい」
 ひょっとしたら食べ物で懐柔されてるかもしれない。それでも、おれは訓練がイヤだとは思っていなかった。


「藍兄ちゃん、おはよ〜」
「ああ。身体はどうだ?」
「うん、よく寝たからすっきり。兄ちゃん、はら減った」
「きのうのハンバーグ、温めておいたぞ」
「やった、いただきまーす」
 ぱちりと手を合わせた。出されたハンバーグに箸を刺す。ぱくりとかぶりついた。
「こら。刺し箸はやめろ。行儀悪いぞ」
「べ(へ)へっ、ぼ(ご)めーん」
 口に頬張ったまま謝れば、じろりと藍兄ちゃんに睨まれた。上目づかいでもぐもぐと噛む。ごっくんと飲み込んだ。
「訓練の方、どうだ?」
 ほうじ茶をことりと置きながら、藍兄ちゃんが言った。やっぱり、心配させてるらしい。
「うーん、ぼちぼちってとこかな」
「かなりキツいのか?」
「いや?おれの力が足んないだけ。あいつ、強くてさー。おかわり」
 茶わんを渡しながら言った。藍兄ちゃんが茶わんを受けとり、ご飯をよそっている。
「あいつって誰だ?」
「昏だよ」
 がちゃん。兄ちゃんが茶わんを落とした。ごはんがひっくり返っている。
「兄ちゃん〜、もったいないぜ。気をつけろよな」
「碧!昏ってあの『昏』か?!」
「昏は昏だろ?何言ってんの?」
「本当ーに、『昏』なんだな!」
「そうだよ。変なの」
 わなわな。わなわな。藍兄ちゃんの身体が震えている。ひょっとして、怒ってる?
「どうして言ってくれなかったんだっ」
「だって機密だもん。おれ達の配属予定の部署って、まだ創設してないんだってさ」
「特務三課か!」
「ああ、そういう名前なんだ。銀生さん、教えてくれなかったから」
「銀生!?それが上司の名前なんだな!」
 ずずいと藍兄ちゃんが詰め寄る。がしりと両肩を掴まれた。なんでだろう。兄ちゃん、必死な顔。
「あ、ごめんっ。時間だ。おれ、もう行くから」
 時間に気付いて兄ちゃんを引き剥がした。藍兄ちゃん、ブツブツ何か言っている。
「いってきまーす!」
 元気よく玄関へと向かった。後ろの兄ちゃんの返事がなかったが、構わず外へと走り出た。

 さ、がんばろっと。
 今日も訓練が始まった。