今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT36

 気は緩められない。
 もし、ちょっとでも緩めてしまったら、やっと張った結界が粉々に砕けてしまうだろう。でも。
 胸に込み上げてくるもので、心ははちきれそうになっている。
 知ってる。
 おれは知ってるんだ。
 何度も会った。
 いつでもつきまとってた。
 夢にだって出てきてたんだ。
 目の前にいる、こいつは。
 

「あっ!」
 つい気がそちらに行ってしまった。途端に封印結界が乱れる。薄くなった場所から漏れでるあいつの気を引き戻そうとして、腕に痛みが襲った。
「!」
「馬鹿、先に結界を戻せ。力技では無理だ」
 言われてすぐに結界を立て直した。ほどなく安定する。ほっと胸を撫で下ろした。
 昏の力を受け止め封じ込めること。それは、想像以上に力を要することだった。
「ご、ごめん」
「気をつけろ。少しでも漏らしたら、結界自体のコントロールができなくなるぞ。俺の補佐はいい。おまえは結界の維持に全力を注げ」
 言われてちょっとくやしかった。おれは「水鏡」だ。「御影」の補佐も出来るようになりたい。でも、今のおれには遮蔽結界と封印結界の維持で精一杯だ。かろうじて張れている砦の防御結界も、いつ不安定になるかわからない。
「わかった」
 項垂れながら返事をした。くやしくても仕方がない。ぐっと噛み締める。
「碧」
 呼ばれて顔を上げた。昏がこっちを見ている。
「お前は今、『昏』の力を受け止めている。これは他の奴にはできない。力は今後、徐々にあげてゆけばいい」
 真摯な眼差し。端的だが、あいつの心が見えた。少し泣きそうになる。不十分な自分の力。察してくれるあいつ。応えたいと思った。あいつが信じてくれる。だから、いつか応えられるようになりたいと。
「うん」
 力強く返した。できることから確実にやろう。焦る必要はない。
『ネズミを集める』
 あいつが告げた。おれは目で頷く。昏はそれを確認し、左手で印を組み始めた。
 キィ・・ン。
 金属音がする。研ぎ澄まされてゆく昏の気。ピリピリとしたものが肌を伝った。覚えのある感覚。初めてあいつに頭の中を視られた、あの時と同じ。
 キッ、キキッ。
 しばらくして、小さな鳴き声と共に黒い影が食料貯蔵庫に入ってきた。ぞろぞろと集まってくる。たちまち食料貯蔵庫は、ネズミで一杯になった。
 こうウジャウジャいると、さすがに気持ち悪いな。
 溢れかえるネズミ達に、おれが退いていた時。
『動きを止める』
 昏が言った。同時にキィキィと煩かった鳴き声が止まる。ぴたり。何百というネズミが動きを止めた。
 すげぇ。
 高まった重圧。結界を乱さないように気をつけながらも、目が外せなかった。石のように固まるネズミ達。まるで、一匹一匹が緊縛術にかかったように。
 これが、あいつの力なんだ。
 再確認した。これが「昏」の力。ネズミだろうが人間だろうが、頭の中に入り込み操ってしまえるほどの力。 
「・・・あれだな」
 ぼそりと呟きながら、昏が右手を出した。その先を見る。どれも同じようなネズミの大群に、腹が異様に膨れたやつが数十匹。
 低く口呪が流れた。知らない言葉。早くて何を言っているかわからない。
「!」
 再度集中が解けそうになった。慌てて踏みとどまる。前方、膨れたネズミの腹に、紅い文字のようなモノが浮かびあがっていた。
「あ、あれ・・・」
「ああ。印だ」
 興奮気味に尋ねるおれに、昏は頷いて返した。印。あれが、この砦を脅かしていたもの。
『今からあの印より、中継物を介して逆送する』
「うん!」
 気合を交えて返事した。いよいよだ。印を逆送したあいつが、術者を捕まえて倒す。
『始めるぞ』
 短く告げた昏が、両手印に組み替えた。数瞬後。
 ゆらり。
 渦巻く気の中で、昏の銀髪が靡き始めた。その中から覗く双眸。更に蒼くなってゆく。
「うっ・・・・」
 それまで以上に高まった重圧に、よろけそうになった。歯を食い縛って立ちつづける。あいつを受け止めるんだ。これくらいで、へこたれたりしない。 
 ちっくしょう!
 必死でふん張った。感じていた金属音が耳鳴りになる。さらに強く。吐き気を催す程に。 
『中継物を通過した。これから、術者を掴まえる』
 昏の告げる内容に、頷く余裕はなかった。目だけを向ける。あいつはそれを一瞥し、まっすぐ自分の前方を見据えた。
 遠い目。
 瞬き一つなく、ただ一点を見つめている。
 視えてるんだ。
 大きく見開かれた目に、そう思わずにはいられなかった。おれ達みたいに形のあるものだけを見ているんじゃない。昏は視ているんだ。姿のないものを。想像もつかないものを。
 沈黙の時間が流れた。昏は静止したまま動かない。おれも動くことはできない。ネズミ達も全て。その中で、昏の気だけが大きく渦巻いている。
「・・・っ」
 あいつが顔を顰めた。びくりと身体を震わせる。まるで、電流か何かが流れたように。
「どうしたんだよっ」
 声を張り上げた。
「何でもない。攻撃を受けただけだ」
「ええっ」
「相手も馬鹿ではないということだな。障壁が張られて・・・・碧っ!」
 あいつがこっちに飛び込んできた。目の前に蒼眼。抱きしめる腕。声を出す前に爆音が響いた。
「結界を解くな!」
 怒鳴られて必死に維持した。状況を把握しようと首を伸ばす。見えた。昏の肩ごし、あいつのはっただろう防御結界の向こう。もくもくと湧き上がる黒煙。
「昏っ」
「慌てるな。敵が直接攻撃に出てきただけだ」
 身体を離しながら、昏が言った。
「じゃあ、爆発は・・・」
「ネズミだ。直接印を発動させたのだろう。どうやら、敵がこの砦の近くに来ているらしい。それと・・・」
「それと?」
「『中継物』が、始末された」
 上がり始めた炎を背に、昏が淡々と告げた。