今、ここに在ること by (宰相 連改め)みなひ ACT32 「俺は昏一族だ」 初めて出会った時、あいつが言った。 「知ってるよ」 おれはそう返した。「昏」が何であるかも、よく知らなかったくせに。 十八年前、「銀鬼」は都の人々を恐怖に陥れたという。そして。 「銀鬼」とは、昏一族の本来の姿を差した言葉だという。 「何かあったのか?」 気がつくと覗きこまれていた。目の前にある真っ黒な瞳。奥の見えない、深い深い色。砦を離れていた昏が、帰ってきていた。 「うわっ」 慌てて身体を退く。びっくりした。いやだなこいつ、気配くらい出せってんだ。 「どこ行ってたんだよっ」 「砦の外だ。莫の国との国境近くを探していた。またすぐに外に出る」 焦ってくってかかれば、あいつは端的に返した。答えてくれた事実にホッとする。ちゃんと言ってくれるってことは、相棒として信頼してるんだよな。 「何探ってんだよ」 「中継物だ」 「中継物って?」 問いを重ねるおれに、昏は小さく息をついた。でもまっすぐにおれを見つめ、きちんと答えてくれる。ちょっとうれしかった。 「俺達を襲った爆発の時、遠話を感じたことは話したな?」 「うん」 「あの遠話はかなり遠方から届いたものだった。普通、術者の能力にもよるが、一人の人が遠話を飛ばせる距離には限界がある。だから大抵の場合、遠隔地に遠話を飛ばす場合、中継物を置く必要がある」 「それって、何なの?」 「物や動物である場合もあるし、術者の配下の者である場合もある。今回は遠話自体が特殊な暗号で伝える内容が複雑であることから、人間である可能性が高い」 「ということは、国境のこっち側に、誰かが潜んでいるってこと?」 「そうとも言えるな」 平たく昏は返した。 「それってやばいんじゃないの?」 「まあな。しかし、どのみち国境全部を塀や結界で囲むわけにはいかないし、常に国境全部を見渡すことも不可能だ。昏一族が国境全部の防備に関わっていたという、十八年前までは別としてな」 「へえ。おまえの一族が守ってたんだ」 知らなかった。じゃあ昏一族って、和の国の守りの要だったってこと? 「とにかく俺は、その中継物を探し出し、更なる情報攪乱を狙う。そして、相手が対応に追われているうちにネズミ通じて気の流れを逆行し、術者自身の意識を潰すつもりでいる。そしてその為には、俺の力を受け止めて外に出さない為の、お前の結界が必要となる」 視線を逸らさず昏が言った。おれも頷く。おまえの守りと補佐になること、それが『水鏡』であるおれの役割。 「それより、何かあったのか?」 同じことを再度訊かれた。苦笑する。そんなにおれ、変だったのか? 「もしかして・・・・読んだ?」 「いいや。もうそんなことはしない」 ひどくバツの悪そうな顔をして、昏は首を左右に振った。いつぞやの前科を思いだしているのだろう。やっちゃたもんは仕方がないと思うんだけど、こいつはこだわっているらしい。まあ、性分なのだろう。 「お前が浮かない顔をしていたから・・・」 ぼそり。聞こえるか聞こえないかの音量で、あいつが言った。それきり何も言わない。だけど目が尋ねている。「どうしたんだ」と。 ま、隠すだけムダだよな。 諦めて告げることにした。心なんて読まなくても、おれには隠しごとなんて出来ないし、こいつは見抜いてしまう。伊達に「昏」ではないのだ。 「今日さ、『銀鬼』について聞いたんだ」 ぴりり。言葉に出した途端に、周りを取り巻く気が高まった。強ばるあいつの顔。それでも続けた。 「『銀鬼』って、お前の一族の本当の姿なんだってな」 反撃覚悟で言う。おそらくこれが、あいつが一番触れて欲しくないもの。一番あいつを苦しめているもの。 「桧垣殿に聞いたのか?」 「うん」 「そうか・・・・」 おれの予想に反して、昏は落ちついていた。目を伏せて俯く。沈黙。しばらくして、あいつは再度おれを見つめ、思い切ったように口を開いた。 「『銀鬼』は、昏一族の蔑称だ。十八年前、同族で殺し合った一族の一人が、都に逃れてそこで発狂した。恐怖に取り込まれていたそいつは、止めようとする都の人々を攻撃した。結果、人々はそいつの荒れ狂う姿と恐怖を心に刻み、後には幾人かの死傷者や発狂者が出てしまった。だから都の人々は『銀鬼』を怖れ、『銀鬼』の姿を持つ俺は、その姿を表に出すことを禁じられている」 「じゃあ、おまえの姿は・・・」 「そうだ。今のこの俺は、術で変えている紛い物の姿だ。特殊な条件のもとでしか、本来の姿になることはできない。俺が本当の姿になった途端、和の国の人々は二度目の恐怖に陥れられるだろうから」 自嘲気味にあいつが告げた。うっすらと寂しい笑み。諦めているような。仕方がないのだと、言外に言っているような。 「お前の一族、なんでそんなことしたんだよ。お互い殺し合うなんてさ」 浮かんだ疑問を言葉にした。わからなかった。全ての始まりになった惨事。あいつを苦しめるもととなったもの。その原因が。 「それはわからない。一族の覇権争いだとも言われているし、代々血族結婚を繰り返していたから、遺伝的に精神面に問題をもっていたのだとも言われている。どちらにせよ、当時生まれたばかりの赤ん坊だった俺には、知る由もない」 目を閉じながら昏が告げた。細かく振られる首。おれにも伝わる。あいつの不甲斐ない思いが。 「ともかくは、上層部を含めて人々は今も怖れているのだ。俺がいつか、『銀鬼』なるかもしれないとな」 「どうしてだよっ」 言葉が先に出ていた。そんなのおかしい。確かにあいつは昏一族だ。しかし、同じ「昏」というだけで、都に害をなした「銀鬼」じゃない。 「お前、ちゃんとやってるじゃないか!狂ったりなんかしてないっ」 「大多数の人はそう思っていない。人は未知なものを怖れる。それが、自分の頭の中を覗きうるものだと知れば、さらに強く恐怖するだけだ。怖れは疑心暗鬼を生む。だから俺を忌み嫌うし、近づこうとはしない」 「昏は昏だっ!」 意地になって叫んでいた。閉じていた目を開いて驚く。目の前のあいつが、微笑んでいた。 「・・・・昏?」 「だが、いいんだ。皆が俺をどう思おうとも。お前は俺といてくれる。それだけで十分だ」 緩やかに笑みながら、昏が言った。初めて見たかもしれない。こいつのこんな、嬉しそうな表情。 「なっ、何言ってんだよっ!」 面と向かって恥ずかしいこと言うから、こっちが戸惑ってしまった。照れ隠しに睨んでみる。 「どうかしたか?」 おれの視線をものともせず、相棒は訊いた。真剣な顔。こいつ、本心から言ってるらしい。 「・・・・なんでもねえ」 ぶすくれてプイと横を向いた。こういうやつには勝てない。純粋にそう思ってる奴には。 「訓練はうまくいってるのか?」 様子を見てとったのか、昏は話題を変えた。気持ちがくるりと切り替わる。 「それがさあ、なっかなか上手くいかないんだよな〜。印はなんとか覚えたんだけど」 「あとは気の乗せ方とタイミングだ。すぐにできる」 「簡単そうに言うなよ〜。印だって、今日一日必死で特訓したんだぜ?」 「一日で出来たんだろう?おまえなら十分、明後日に間に合う」 「そ、そかな?」 「ああ」 うまく乗せられている気がしないでもない。でも、悪い気はしない。なんせあの昏が言ってるんだから。 「んじゃ、頑張ってみるよ」 「そうだな。頼む」 言いながらあいつは自分の寝台に戻った。荷物を紐解き、装備のいくつかを取り出す。任務服の物入れに詰め込み始めた。 「もう行くのか?」 「夜の方が気付かれにくい。砦を離れたものがいると、外に気付かれたくないからな」 「そっか・・・・」 黙々と準備する昏を、ぼんやりとおれは見つめた。「銀鬼」と疎まれてきたあいつ。過去に同族たちが犯した罪を、一人で負い続けるあいつ。一族の希望も絶望も、昏は背負い続けている。 「今日はお前らしくないな」 いつの間にかあいつが目の前に来ていた。寝台に座るおれの肩に、両手を置く。漆黒が近づいてきた。 「なんだよ。任務中は不謹慎なんだろ?」 口を尖らすおれに、昏はキレイに微笑んだ。弧を描く唇が、言葉を紡ぐ。 「嫌なら、やめるが?」 意地悪だと思った。鋭く察してしまう相棒。見透かされている。おれの心が揺れてること。 「冗談」 黒髪を引き寄せて言った。これはおれの戦い。おまえの信頼という挑戦を、受けて立つという意志。 満足するまで唇を味わった後、昏は砦を離れた。おれは昼間の印を思いだし、必死で練習を重ねた。 |