今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT31

「三、二、一で両手重ねて逆印でポンッ。どう?」
「えーっ!早くてわかんないよっ。もう一回!」
「おいおい、よく見てちょうだいよ〜。しゃあない、いくよっ」
 トントンとリズムよく印が組まれ始めた。昏のように見えない程じゃないけど、十分こっちも早い。おれは今度こそ覚えてやるぞと、目を皿のようにして見つめた。
「はいっ、完了〜。今度は覚えた?」
「うーん、半分くらい」
「ええーっ。ちゃんと見てよ〜」
 呆れた声をあげながら、閃さんが言った。おれはボリボリと頭を掻く。だってそれ、早過ぎなんだもん。
「うへえ、もうお昼だよ。困ったなあ。これじゃあ、三日で遮蔽結界なんて絶対無理よ。わかってる?」
「わかってるよっ」
 ムキになって言い返した。でも、内心まずったと感じている。今さらだけど、訓練中途で任務に出たことは、かなりの無茶だったらしい。おれは「水鏡」だ。「水鏡」には「御影」を守る為、遮蔽結界が必須だったのだ。
『昏の力を使う』
 ネズミ爆弾を片付ける方法を問われた時、昏は宣言した。
『印を施されたネズミを始末するより、おおもとの術者を仕留めた方が早い』
 確かにそれができるのならば、一番手っ取り早いと思う。術者が死ねば印も消える。被害も最小限で済みそうだ。だが、しかし。
『今回おれが解放するだろう昏の力は、お前が受けたものとは比較にならない大きさだ。おそらく、八割以上の解放だろう。お前も知る通り昏の力は危険だ。よって、力の解放は結界で隔離された中で行われなければならない。でないと砦の者に被害が及ぶ。そして、解放された俺の姿を外部に漏らさない為、お前は遮蔽結界を張る必要がある』
 まっすぐおれを見つめながら、昏は告げた。
『遮蔽結界は本来、潜入時に必須とされる結界。もちろん完全に会得してから任務に入るべきものだ。しかし今回の場合、そうも言ってはいられない。だから碧、三日で遮蔽結界を会得しろ』
 命令調のあいつに、本当は横暴だと抗議の一つもしたかった。だけど、任務を渋る昏をむりやり押し切ったのはおれ。ならば、腹を括るしかない。
「あーあ。昏、どうしてるかなぁ」
「あいつ?うまくやってんじゃないの?」
 半分逃げ出したくなってきたおれの横で、閃さんが答えた。昏は今、別行動で砦を離れている。
「どーしてわかるのさ」
「銀生さんが言ってたからね。攻撃面でのあいつは申し分ないって。常に冷静で熱くならない。もちろん、調子に乗って深追いもしない。だけど、無駄なく完璧に叩きつぶす。ほぼ理想的な『御影』ってやつだね」
 うんうんと頷きながら、閃さんが言った。
「そうなの?」
「あっちゃー。お前、そりゃあんまりよ。あんなに楽そうな『御影』と組んでんのに」
 意外な言葉に驚いた。昏が楽、だって?
「ええーっ。全然楽じゃねぇよっ」
 口を尖らせ反論した。だってあいつ、何考えてるかわからない。勝手に食えなくなったし。アレも受けたり断わったりで、おれには全然不可解だったから。 
「何言ってんの。あれだけ『水鏡』のこと思ってくれる『御影』、そういないよ。わかってる?」
 ぴたりとおれの鼻先に指差し、閃さんは続けた。
「言っとくけどねぇ。『御影』ってやつは、どいつもこいつも曲者ばっかしなんだよ」
「それが、どうしたの?」
「そこがわかってないのよー。つまり、タチの悪い奴ばっかりなの!めんどくさいのよー?」
 大声で言われる。なぜだか閃さん、目が真剣。
「でもさ、あいつも結構性格悪いぜ?」
 いまいちピンきてないおれを、先輩『水鏡』はじとりと見つめた。細目でずずいと覗きこみ、口を開く。
「ふーん。じゃ、訊くけど。お前の『御影』って、『水鏡』を囮にする?」
「え?ないけど」
「じゃあ、楯にしたことは?」
「ないなぁ。楯になってくれたことは何度かあるけど」
「お前の言うこと無視して、勝手にやっちゃわない?」
「うーん、私生活ではあるけど、任務の時はないかな。どっちかというとそれ、おれの方」
「ほらーっ!いい奴じゃんか!」
 へへへと笑って返したら、大声で断言された。すごい。なぜだか閃さん、テンション高い。
「おれなんてな、顔合わせでいきなり縛られたんだぞ!」
 いきなり爆弾発言。目が点になりながら、おれは聞き返した。
「ええっ。・・・・縛るって、あの『縛る』?」
「もちろん!がっちり拘束ってやつ!おれの相棒、変な趣味持ちだって言ったよな?危うく餌食になるとこだったんだせっ」
 しっかりと顔を引き攣らせながら、先輩水鏡は告げた。あらら。閃さん、涙目。
「で・・・・・なったの?」
「はあ?」
「餌食」
「なるかっ!」
 素朴に訊いたら、こめかみに青筋で怒鳴られた。おっかない。
「ごめんごめん。じゃ、うまく逃げたんだ」
「あたりまえよ〜。必死で交渉して、なんとか免れたんだから」
 深い深いため息をつきながら、先輩水鏡は言った。疲労の浮かぶ顔。思い出すだけで疲れるとは、よっぽどひどい経験だったのだろう。確かに、いきなり縛りは嫌かもしれない。
「タイヘンだったんだな・・・・」
 思わず同情する。でもあれ?そういえば。ふと、何かを思いだした。
「あのさあ」
「何よ。何かあんの?」
「おれも一応、あるんだけど」
 言われてばかりじゃ面白くないから、口に出してみた。そうだ。おれにもあったんだ。えらいメに遭った記憶。
「へえ。どういうこと?」
 鳶色の目を大きく開いて、先輩水鏡は尋ねてきた。うきうき、好奇心イッパイの顔。
「おれ、あいつにヤられちゃったもん」
 不幸自慢大会ではない。でも、言わなきゃ損だと思った。だってあれ、事実だもの。
「・・・・・意外だねぇ」
 くるりと目玉をまわしながら、閃さんは言った。興味津々。身を乗り出してくる。
「で。どうだった?昏一族の力とか、使われちゃったの?」
「うん」
「おおーっ。結構ハード」
 ぱんぱんと軽く手を叩きながら、感心している。言葉を継いだ。
「それで、大丈夫だった?」
「えっ?」
「精神面よ。昏の力を使ったんでしょ?普通は神経系に相当なダメージを受ける。悪かったら発狂って聞くよ。後遺症とかなかった?」
 尋ねられて考え込んだ。確かに昏は力を使った。おれの意識の中に入り込み、おれの身体を自由にした。だけど。
 あいつは身体こそ自由にした。でも、おれの心を傷つけることはなかった。
「たぶん・・・・ないと思う」
「全然?」
「身体はイロイロあったけど。あいつ、手加減してくれたみたいだし・・・」
「なるほど。じゃ、そっちもそれ程ひどくなかったってわけか。で、できちゃったのな」
「まあね。やっちゃったもんは仕方ないし」
「ふうん。よっぽど大切だったんだねぇ・・・」
 しみじみと感心したように、先輩『水鏡』は漏らした。おれは驚く。大切、だって? 
「なんで?あいつ、おれをヤッちゃったんだぞ?どうして大切なんだよ」
「えー?だって、昏の力だよ?屈伏させるなら頭ヤッちゃう方が早いじゃん。手加減なんかいらないし、簡単だろうしさ。なのに、あいつ抱いただけなんだろ?なら、お前の中身を壊したくなかったんじゃない」
「じゃ、どうしてあんなことしたんだよっ!」
 ムキになって言った。なんだかそれって、あいつがすごくいいやつみたいに聞こえる。
「お前・・・・わかんないの?」
 納得できないおれを、閃さんはびっくりした顔で見つめた。しばし沈黙。目の前の男が、ため息を一つ零した。
「欲しいからだよ」
 ぼそり。言葉が落とされた。改めてその声の主を見る。そこには、初めて見た真面目な表情があった。
「欲しいって、なにが・・・」
 頭が混乱してくる。『欲シイ』。確かにその言葉は訊いた。身体を重ねた時間に、声にならない声で、肌を伝ってきた。だけど
「本当にわかってないんだな。好きなんだよ、お前を」
 半ば呆れた顔をしながら、先輩『水鏡』は言った。

『好き』

 思ってもみなかった言葉が、すとんと心に落ちてくる。好き。昏が、おれを。 
「・・・おれ?」
「そう、お前。他に誰がいるの?」
「あのさ、おれ、男だけど」
「そうだねー。でも好きは好き。それは男も女も同じ。理屈なんてないの」
 まだはっきり事態が飲み込めてないおれに、さらりと閃さんは答えた。
「好きだから大切にしたい。好きだから欲しい。どちらも自然なことだと思うよ。別に、おかしなことじゃない」
 童顔に見えてたその人が、ひどく大人びて見える。
「これでわかったよ。一人で『御影水鏡』なんてものをたやすくやってのける昏一族が、どうして普通の『水鏡』と組んだのか。心の問題だったんだな」
「どういうこと?」
 意味がわからず訊いた。先輩『水鏡』の男が、緩やかに笑んで応える。
「銀生さんはこうも言ってたよ。あいつは攻撃面はすごい。でも、自らを守るということに無頓着過ぎる。まるで、自分をいらないものだと決めつけて、わざと死に向かおうとしているようにってさ」
「昏が・・・なんでさ!」
 憤慨して言った。あいつが自分を、いらないだって?
「あいつ、昏一族なんだろ?強いんだろ?あんたも銀生さんも上のやつらも、みんな昏を認めてるじゃないかっ!どうしてなんだよっ!」
「そりゃあ、自分がキライだからじゃない?」
 くってかかるおれに、閃さんはあっさりと返した。おれは目を見開く。それを見つめながら、閃さんは言葉を重ねた。「都の人々を恐怖に陥れた、『銀鬼』だからねぇ」と。

『銀鬼』

 それがあいつの背負うもの。人々が怖れ、あいつ自身が自らを忌む原因となるもの。
「閃さん、『銀鬼』って・・・」
「そのうちわかるよ。あいつ、昏の力を解放するって言ってたから」
 おれの言葉を遮り、閃さんは言った。
「関係あるの?」
「ああ。『銀鬼』ってやつは、昏一族の本来の姿だからねぇ」
 驚きに声を忘れた。言葉だけしか知らなかった『銀鬼』。それが、あいつの本来の姿。おれの知らない、あいつの。


「さて。訓練再開よ。ずいぶん時間、食っちゃったねぇ」
「閃さんっ」
「無駄話はおしまい。あとは、あいつに聞きな」
 迫るおれをよそに、閃さんがぴしゃりと断じた。仕方なく口を紡ぐ。それ以上、教えてくれる気はないらしい。
「さあ、始めるよ」
 明るい『水鏡』の声が響いた。何事もなかったように。
「要は手遊びみたいなもんだよ。リズムつけて覚えな。花街の姐さんたちがよくやってるでしょ?」
「知らねーよ。おれ、花街行ったことねぇもん」
「はいはい。オトナになったら行きなさいねー」
「・・・・子供あつかいすんなよな」
 いつもの軽口を聞きながら、おれはむっつりと印を組んだ。