今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT3

 都にある桐野の家。
 そこは、とても温かい所だった。


「碧。ぼーっとしてないで卵、取ってくれ」
 台所で仁王立ちしている背中が言った。まっすぐな黒髪を後ろできゅっと縛った、拳一つ高い後ろ姿が。
「はい、藍兄ちゃん」
 卵をパックごと渡す。受け取った義兄は、無言で卵を割り始めた。
 桐野の家に来てすぐ、おれは「碧」という名前を与えられた。由来は目の色。最初はそれに慣れなかった。研究所では「おい」とか「おまえ」、もしくは番号でしか呼ばれなかったから。
「どうした?学び舎で嫌な事でもあるのか?」
 藍兄ちゃんが卵を混ぜ始めた。卵焼きを作ってくれるらしい。シャカシャカとと心地よい音が響き渡った。
「ううん、何にもないよ。相変わらず、やな目でみる奴はいるけど」
「気にするな。外見でしか判断できない輩は、人間として大した者ではない」
 和の国では、おれのような姿は嫌われるらしい。なんでも、千年前に和の国が興った時、金髪碧眼の敵が現れたそうなのだ。おれはその敵じゃないし、言いがかりだと思うけど、そんなこと言っても仕方がない。この姿でも皆が認めるくらい、すごい奴になるしかないのだ。
 ジュウウウウーッ。
 卵が焼かれ始めた。香ばしい、いいにおいがする。
「なあなあ、藍兄ちゃん。その卵焼き、砂糖入ってる?」
「もちろん。おまえの大好物だからな」
「やったー!弁当、楽しみっ」
 ふと思いだす。砂糖入りの甘い卵焼き。それをよく作ってくれたもう一人の義兄を。黒い髪に黒い瞳。名前は斎(さい)と言って、口数は少なかったけど優しい兄ちゃんだった。藍兄ちゃんに怒られて飛び出した時など、よくその兄ちゃんが迎えに来てくれた。
「斎兄ちゃん、どうしてるかな」
 卵を焼く背中に訊く。藍兄ちゃんはしばし沈黙して、ぽそりと答えた。
「連絡がないからな。生きているとは思う。だが、『御影』だから・・・・」
 斎兄ちゃんは数年前、「御影」の宣旨を受けた。「御影」は特殊任務機関で、死に直結しかねない任務を扱っていると聞く。だから、とにかく高収入だ。斎兄ちゃんが毎月送ってくれる仕送り。それは、桐野の家の財政を、かなりの割合で助けていた。
「焼けたぞ。ほら、弁当箱つめろよ」
 できたての卵焼きを渡される。皿の上でほかほかと湯気をたててるのをすぐ食べたいけど、我慢して弁当箱につめた。さあ、準備完了。
「藍兄ちゃん。おれ、頑張るから。なんやかんや言ったって、ここまでやって来れたんだ。学び舎だって立派に卒業してやる。斎兄ちゃんみたいに、『御影』で稼いでやるんだ」
「『水鏡』で、だろ?頼もしいな。合同訓練、しっかりやるんだぞ」
「うん。それじゃ、行ってくる」
「ああ。気をつけてな」
 見送る視線を背に受けながら、おれは玄関へと向かった。

 
 その日、おれは学び舎最後の合同訓練に臨んでいた。
 和の国ではエージェント養成機関として、「学び舎」なるものが存在していた。例外も少数あったが、エージェントを目指す者たちは普通、12才〜16才までの五年間、そこで教育を受けていた。「学び舎」は、最初の二年を基礎教育期間として過ごす。この間にエージェント適性の見極めがなされ、三年目からは個々の適性に応じて攻撃系である「御影」候補と、防御系である「水鏡」候補に分かれて専門的教育と訓練を受けることになる。
 そして、卒業二ヶ月前になったこの時期、「御影」候補と「水鏡」候補は合同で訓練をする日を与えられる。それは、晴れて特務機関である「御影」の宣旨を受けた後、二人で一対のものとしてやってゆく予行演習でもあった。
「碧、おっはよ」
 学び舎の敷地に入った所で、聞き慣れた声を聞いた。透き通る、張りのある声。
「一葉(かずは)、おはよ」
「いよいよ合同訓練最終日ねー!碧、この間みたいにぶっ壊すんじゃないわよ」
 きょろりと悪戯っぽく見られた。これは彼女の悪いクセ。おれがつっかかるのが面白くて、ついつい揶揄ってしまうらしい。
「ちぇっ、朝からそれかよ。一葉っていじわるー。ぜってーモテねぇよな」
 口を尖らせ反撃した。壊すつもりなんてなかった。張った結界が不安定で、それが破れてしまったのだ。結果的に破れた結界の欠け片が学び舎の一部を裂き、大目玉をくらうことになった。
「あーら、聞き捨てならないわね。今期の『水鏡』候補で、いっちばん引く手数多な私を捕まえて。彼女イナイ暦十六年の、桐野碧君」
「うるさいっ」
 ムキになって言い返せば、余裕綽々の笑みを返された。彼女は東風 一葉(こち かずは)。桐野家の経営する孤児院の出身で、おれと同じく学び舎で「水鏡」を目指していた。明るくてきっぷのいい姉御肌で、たぶん藍兄ちゃんに頼まれているのだろう、いつもおれの世話を焼いている。和の国では忌まれる金髪碧眼のおれの、数少ない友達でもあった。
「しっかし。今日が終わったら二ヶ月で卒業なのね」
「うん」
「あんた、『御影』行きの希望出した?」
「もっちろん!一葉は?」
「一応ね。でも、里親は心配してるの。ま、選ばれれば、なんだけどね」
「そうだよなー」
 おれは苦笑した。毎年、『御影』の宣旨を受けるものは、学び舎卒業生の中でも数人。まさに難関中の難関だった。
「ごちゃごちゃ言っても仕方ないわよね。行こ。時間だわ」 
 いつものことながら切り換えが早い。おれは頷き、一葉の後を追った。


 学び舎最後の合同訓練。
 それは、途中まで順調に進んでいた。
『碧、そっちの方どう?』
 遠話が聞こえる。別グループにいる一葉だった。
『ばっちしだぜ』
 胸を張って答える。おれ達は今、東軍と西軍に分かれて模擬戦をしていた。東西の「御影」候補が攻撃し、同じく東西の「水鏡」候補が防御する。今の所、おれのいる西軍がかなり優勢だった。
『ま、楽勝ペースだよな。でも、もうちょっと西軍に攻撃力のある奴、欲しかったぜ』
『贅沢言わないの。あと一時間ほど、このままでいれば終わりなんだから』
 一葉にたしなめられ、おれはぺろりと舌を出した。たしかにそうだ。何も、わざわざ苦境に陥らなくていい。事実、楽できればそれに越したことないのだ。この模擬戦の勝者には、就職時に希望が考慮に入れられるというご褒美が待っているのに。
『ねえねえ、ひょっとしてアンタも攻撃に数えられてるんじゃない?』
『一葉!』
『だって〜。碧の張る結界ってすごいけど、それが破れた時の方がもっとすごいじゃない?』
 残す時間も後少し。もう揺るがないだろう優勢に、おれたちが安心しきっていた時だった。
 ドカン。
 遠くに爆発音がした。あれはおれがいる右翼の反対側。左翼の方だ。
『どうした?』
『何かあったんだ!』
 遠話が飛び交う。いきなりの攻撃に、皆、動揺していた。
『誰かが、防御結界に穴を開けたみたい』
 一葉が言ってきた。防御結界に穴だと?おれ達「水鏡」候補達が、何十人かかって張った結界に穴を開けたと言うのか?
『碧、防御結界が無効化されてゆく。どんどんに本隊へと近づいて来てるわ。押されてる。このままじゃ危ない、加勢に来て』
『西軍の御影候補はどうしたんだよっ!奴ら、攻撃してたはずだろっ?』
『わからない。もう間に合わなくなるわ。早く!』
 本隊にいる一葉が叫んだ。反射的に飛び出す。おれのグループのリーダー役が何やら叫んでいたが、無視して本隊へと走った。
 すごい。
 本隊に着いて驚いた。青白く光る数十人分の防御結界が、銀色の結界に侵食されてゆく。
「ちっくしょう!」
 力いっぱい叫んだ。全速力で一葉のもとへと走る。程なく、着いた。
「碧!遅いわよ」
「悪い。今から押すぞ。一葉、下がってろ」
 迷わず結界印を組んだ。ありったけの気を注ぎ込んで、前面に広範囲な防御結界を張る。結界強度を限界まで高めた。
 よおし。
 誰だか知らないけど、押し返してやる。
 結界勝負だったら、負けないんだからな。

 銀色の結界を前に、おれは身を固めた。
 カキンッ。
 結界同士のぶつかる、硬質な音が聞こえた。衝撃に必死で耐える。
「くっ」
 結界のぶつかった衝撃を相手も受けているはずなのに、ものともしないで押してくる。すごい力だった。
「碧、補助するわ」
 一葉が印を組もうとした。
「だめだ!まき込まれる。一葉、他の奴を非難させてくれ!」
 どんどん押されてきていた。他の奴らに被害が及ばない様、力をセーブする余裕はもう、ない。全力でやらなければ、押し潰されてしまうかもしれなかった。 
「早くっ!」
 必死で叫ぶ。一葉に促され、皆がその場を離れた。そろそろ、いいか。
 また、暴発するかな。
 そんなことが頭を掠めたが、背に腹は換えられない。おれは印を重ねた。どんな結界だか知らないけど、これでどうだ。
「はあっ!」
 横一文字に腕を振る。攻撃結界。相手の結界を切り裂いたつもりだった。
 キンッ。
 金属音だけが響く。銀色の結界はびくともしなかった。このままでは、防御結界が破られる。
「くそっ」
 必死で耐えた。もう、次の攻撃をするだけの余力はない。防御で手一杯だ。
 ねばれ。
 訓練時間は、あと少し。
 守りきれば、引き分けに持ち込める。そう思った時。
 ぴしん。
 何かがはち切れる音がした。やばい。まさか・・・・。
 身構えた時には遅かった。弾けた結界の欠け片が、真空の渦となっておれを襲う。避けることも、身を守る結界を張る時間も、ない。
 だめだ。
 殆ど諦めた時、おれの前を黒い影が過った。
 バシィッ!
 それは、目の覚める光景だった。そいつの腕の一振りで、真空の渦さえも砕かれてゆく。
 
 すごい。
 あれこそ本当の、攻撃結界。
 
「大丈夫か」
 茫然と見とれるおれに、そいつが振り向いて訊いた。一瞬、蒼色を見た気がする。真っ黒な髪と瞳が、おれを見据えていた。
「すまない。お前の結界が思ったより強かったから、加減が利かなかった」
 たんっ。
 それだけを言い捨て、そいつが高く飛び上がる。異常なくらいジャンプして、みるみる間に駆け去って行った。
『大丈夫か』
 誰かが、同じことを言った気がする。今みたいに、おれを助けた後。
『大丈夫か』
 何故だろう。懐かしい気がする。同時に、ひどくもどかしい気持ちも。
「あいつ・・・・・誰だよ」
 そいつが走り去った方を見ながら、おれは一人、呟いた。