今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT2

 ぼんやりと霞む意識の中で、その叫びを聞いた。
「ち(死)んじゃやら(だ)ーーっ」
 声に込められた思念を感じる。嘘偽りない、心からの叫び。
 待っていた。
 一番欲しかった言葉を、あいつがくれた。

 
 雨の音で目覚めた。いつ頃から降っているのだろう、小雨が窓を叩いている。
 目を開くと、自分の暮らしている家に戻っていた。世話をしてくれる爺は不在らしく、気配を感じない。
 気を失ったということは、結構ひどく損傷したんだな。
 ぼんやりと思う。今までおおよその事では、傷を負ったりしなかった。やはりとっさのことだったから、力の加減が利かなかったのだろう。それで、「昏」の力を出してしまったのが原因だ。
 まったく。あいつがどんくさいからだ。
 力を出した原因を思いだして気になった。あいつはどうなっただろう。あの、碧い目のうるさい奴は。俺は起き上がろうとした。
 ずきん。
 貧血なのだろうか、両方のこめかみに錐で刺したように痛んだ。ずきずきと、拍動と同じリズムを刻む。霞みかける目。ドキドキとうるさい鼓動。俺は顔を顰めた。
「まーだ寝てたほうがいいよ」
 聞き慣れた声が響いた。いつもどおりの、だらだらと間のびした話し方。嫌でも誰だかわかった。
「思ったより出血しちゃったからねぇ。傷は塞がっても、血が足りなさすぎんのよ」
「銀生、邪魔するな」
 憮然と言い放った。奴の言っていることは、たぶん真実。それでもあいつがどうなったか、この目で確かめたかった。再度起き上がることを試みる。途端、ゆらりと人影が現れて、ぐいと肩を押し返した。
「こーら、保護者の言うことはちゃんと聞きなさいよ〜」
「保護者だなんて思ってない」
 無気になって言い返せば、銀生は笑いながら印を組んだ。身体が動かない。緊縛術だ。
「最近さー、やけにたてつくじゃない?もう反抗期?」
「・・・・はな・・・せ」
「俺的には、その方が楽しいけどね。でも、身体壊されちゃ、上がうるさいから」
 睨み付ける俺の視線をものともせず、銀生は言った。こいつには何分の一かだが、俺と同じ血が流れている。いわゆる監視役だ。日々あらゆることを俺に仕込みながら、俺を見張り続けている。
「しっかし。ここんとこ姿をくらますと思ってたら、あんな子と会ってたとはね」
「うるさ・・・い」
 動かない手足をもどかしく感じながら、必死で緊縛術を解こうとした。解術印は、たしか・・・・。
「無駄だよ。これを解く為に結ぶ最後の印は、まだお前に教えてないからね」
 わざとそうしているクセにと、心の中で舌打ちした。敵わないのはわかっている。でも、今はあいつが心配だ。
「だいじょーぶだよ」
 おれの焦りを見透かすように、銀生が覗きこんで言った。弧を描く口元。さも面白そうに形作られている。
「あの子はお前が助けちゃったから、全然無傷だったよ。まあ、お前の力を見られた手前、意識を奪って御影研究所へと運んだけどね」
「無事・・・・だったんだな?」
「そうそう〜。だから、お前も大人しく寝てなさいね」
 ホッと安堵する俺の頭を、銀生はなでなでと撫でた。本当は触られたくなかったが、動けないので仕方がない。俺は黙って撫でられていた。
 よかった。
 目を閉じながら思う。突然の落石。あいつを守る為、とっさに使ってしまった「昏」の力。
 いや、よくなかったか。
 落石を砕き終えた後、近づく俺を見たあいつを思い出す。見開かれた目。驚きに忘れられた声。もしかしたら、恐怖からだったかもしれない。けれど。
 あいつは叫んでくれた。俺の生を望んでくれたのだ。

 もう、二度と会えないかもしれない。
 それでも、満足だと思った。
 
 生まれつきあらゆるものが視えてしまい、それらを遮蔽する術をまだ会得していなかった俺には、そいつの頭ほど楽なものはなかった。
「ねーねー、今日はろ(ど)こいくの?」
 そいつとは森で出会った。木に引っかかっていたのを助けて、それから後ろをつきまとってきた。
「お前は『銀鬼』だからねぇ。姿を見られちゃ、危ないよ」
 銀生はいつもそう言っていた。出来るだけ気配を殺せと。誰にも関り合いになるなと。俺もそうするつもりでいたから、最初は邪険にしていた。けれど、そいつはへこたれなかった。
「なあ、と(そ)れうまい?」
「・・・・欲しいのか?」
「うんっ、はらへった〜」
「ほら」
「わあ、ありがと〜」
 サ行がタ行の発音に、ダ行がラ行の発音になってしまうそいつは、始めは何を言ってるのかわからなかった。だから俺は、そいつの頭を覗いていた。そいつの頭の中はあけっぴろげで、銀生のような遮蔽壁はなかった。ただ単純な欲求と、それが満たされた時の満足と嬉しさ。純粋な俺への関心。疑いや怖れのないそれは、俺をとても心地よくしてくれた。
「お前、どこから来てるんだ?」
「えっとね、あっち〜」
「あっちじゃ、わからない」
「うーんと、むこう」
「もういい。わかった。あっちだな」
 あいつの頭の中から、あいつは御影研究所にいることがわかった。本人の理解力が薄い為、何の役割でそこにいるのかは分からなかったが。それでも、なんらかの実験に関わっている事はわかった。
「え?おなぢなの?やったぁー!」
「何を言ってる」
「ら(だ)って、おまえの目、あおいもん。かみの毛も黒くないち(し)。だから、おなぢ(じ)」
 あいつは研究所で忌み嫌われていた。外見が金髪碧眼というだけで、謂れのない蔑みを受けていた。

 同じだ。

 よく似た境遇。よく似た孤独。不当な扱いを受けていながらも、負を感じない心。
 かかわりあいにならない方がいいと思いながら、俺はあいつに惹かれていった。気がついた時には、あいつを自分の中に入れてしまっていた。
「馬鹿っ、逃げろ!」
 突然の落石が襲った時、思うより先に身体が動いた。

 失いたくない。
 守りたい。

 気がつけば、制御できない範囲の力まで使って、あいつを助けていた。


「あいつはどうなる?」
 まだ小雨は降り続けている。俺は銀生に尋ねた。あいつは「銀鬼」である俺の、姿と力を見てしまった。もしかしたら、処分されるかもしれない。それだけは嫌だった。
「さあねぇ」
「銀生」
 苛立ちながら名を呼んだ。誤魔化すな。はっきり言え。あいつに何かあれば、俺のせいだ。
 なんとかしなければと真剣に考えていた時。
「心配するな」
 また見透かしたように、銀生が言った。否。実際、視ているのだろう。俺はまだ、完全にこいつに心を遮蔽できない。
「なんといってもまだ子供だからな。記憶操作はされるだろうが、始末されることはないだろう。ま、お前のことは忘れちゃうがね」
 そんなことはいいと思った。「銀鬼」の知り合いがいた等と、この先必要な記憶とは思えない。それどころか、仇なす記憶やもしれない。だから、消してしまった方がいいのだ。俺のことなど。
「寂しいの?結構、入れ込んでたものねー」
 寂しいとは思わない。また、いつもの生活に戻るだけだ。銀生がいて、世話役の爺と暮らす生活に。何も変わらない。

 いつか終わると知っていた。
 ずっと続くとは思っていなかった。
 でも、あいつは「生きろ」と言ってくれた。
 だから・・・・・。

「止んだな」
 銀生が窓を開けている。去り行く雨雲を見ながら、俺はあの叫びを思い出していた。