今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT29

 墨色の空に半月が浮かぶ。その冴え冴えとした光の中、昏が立っていた。辺りを見渡している。
「結界を張るぞ。下がっていろ」
 こちらを向き、告げた。
「えっ?補助は?」
「必要としない。お前と同調した波長の結界では、俺の感知域が狭まる。まだ完全とは言えないからな」
「ええーっ!ちゃんと同調してるじゃんっ!」
 憤慨して上げた声に、あいつは小さくため息をついた。やはりなという表情になる。腕を組み、おれを見据えて言った。
「忘れたのか?現時点での俺達の同調は、俺がお前の波長に近づけて成り立っている状態だ。だから、それは俺本来の波長ではない。それに、もう一つ」
「な、なんだよ」
「遮蔽結界。お前に張れるのか?」
 痛いところを突かれた。ぐっと言葉を飲み込む。それでも何か反論の余地はないかと必死で考えた。
「どうなんだ?」
 空の色と同じ目が、まっすぐに向けられる。ついに降参した。
「くそっ。張れねぇよ」
「なら行け。邪魔だ。あっちで見ていろ」
「わかったよ。ちぇっ」 
 くいと顎をしゃくられ、すごすごと引き下がるしかなかった。かっこわるいけど仕方がない。事実、おれには遮蔽結界なんて無理だったから。
 閃さんたちとの話し合いから半刻ほどが経ち、おれ達は今、西央の砦のほぼ中央にあたる物見櫓の上にいた。これからここを中心として、昏が砦全体を結界で包む。
「始めるぞ」
 ぼそりと宣言がなされ、あいつが印を組みだした。低く流れる口呪。昏の両手の中が、うっすらと光を放ち始めた。
 ぴしん。ぱしん。
 広げられてゆく両手の中で、青白い光が弾けている。まるで電気みたいに。
 きれいだよなぁ。
 素直にそう思ってしまった。確かにすごい気を感じるし、口呪も印も正確で早い。だけど、それよりも目を奪われてしまう。光に照らされ艶やかに輝く、あいつの黒い双眸に。
 蒼い目、だったよな。
 ふと思いだす。最初に身体を繋いだ日。おれに伸し掛かってきたあいつの両眼は、紛うことない蒼い色をしていた。一度見たら忘れられないくらい、深くて鮮やかな色を。
 どーっかでさ、見たことあるよな。
 もやもやとした頭の中を探る。あの日までは忘れていた。あの蒼。そして、きれいだと感じた記憶。うーんと、もうちょっと・・・・。
「何をしている」
 いきなり声がした。びっくりして飛び上がりそうになる。視界の上のほうに、見慣れた顔が出現していた。
「あ、えっ、なんだよっ。結界は?」
「もう張った。見てなかったのか?」
「ああっ!忘れてたっ!」
「碧。遮蔽結界を張ると言っただろう」
 さっきまで見とれていた双眸が険しくなった。眉間にもくっきり皺が刻まれている。慌てて謝った。 
「ごめんごめんっ。な、も一回頼むよ」
「ふざけたことを言うな。結界は見世物じゃない」
 むっつりと唇が結ばれた後、くるりと踵が返された。さっさと砦の中へと向かっている。もしかして、今ので終わり?
「ええーっ、やってくんないの?」
 背中に抗議を申し立てた。
「真面目に見てない方が悪い」
 背中が答える。
「そりゃそうだけど、謝ってるじゃんか」
 ちょっと泣きそうになった。おれが悪いのはわかってる。でも。
 ぴたり。
 スタスタ進んでいたあいつが足を止めた。振り向く。
「今日は、しない」
「えっ」
「明日だ」
「やった、サンキュ!」
 上機嫌で駆け寄った。昏の隣に並ぶ。サービスでにっこりと笑った。
「今度は真面目にやるからっ。な?」
「当たり前だ。・・・・部屋へ戻る」
 喜色満面なおれに、あいつは憮然と歩きだした。おれはそれがおかしくて、にやにやと後を追う。すぐに追いついた。
「何がおかしい」
 ぼそりと昏がこぼす。いつもの無表情の中に、おれだけに見える表情が隠れている。少しだけ照れた顔。
「えーっ、何のこと?知らなねぇよ。おまえ、自意識過剰なんじゃない?」
「うるさい」
 おれ達は砦内の通路を歩き続けた。昏は不機嫌を匂わせて。おれはウキウキと笑いながら。程なく、部屋についた。
「なあなあ、これからどうすんの?」
 あてがわれたベッドの寝具を整えながら、おれは昏に訊いた。結界はもう張った。明日もう一度張り直すとはいえ、その後の予定は決まってない。ただ、次の爆発を待つというだけで。
「なあって、教えてくれよっ」
「まずは朝まで仮眠をとる。休めるうちに休むのが得策だ」
 好奇心いっぱいのおれに、昏は平たく告げた。がくりと力が抜ける。はあ?なんだよ。そんなこと訊いてない。
「昏っ」
「相手の出方によってはその後の動きが変わる。いろいろ考えても仕方がない。すでに、幾通りかの可能性と対処法は考慮済みだ」
 むうっとふくれるおれに、あいつは淡々と返した。おれはまだ少し判然としなかったが、できることも見つからないので考えることを放棄する。いいよな。こいつの方が余程、おれよりいろいろ考えてんだから。
「何かあるのか?」
「ないよ」
 確認するような昏に、おれは近づいていった。あいつの目の前に立つ。何かと目が訊いた。真っ黒な、硬い輝きを放つ瞳が。
 あの眼、見たいんだけどな。
 寝台に腰かけている昏に、顔を近づけながら思った。なぜだかわからない。でも、もう一度見たら思いだせるような気がする。大切な、何かを。
「何のつもりだ」
「え?決まってるだろ」
 怪訝な目つきに誘いのつもりで言ったら、思いっきり睨まれた。咎めるような顔。言いたいことが何となく伝わる。
「任務中だ」
「何も最後までって言ってないじゃん。チューだけ。な?」
「駄目だ。何を考えている」
 固いこと言うなと出した言葉は、あっさりと撥ね返された。なぜだか楽しい。もっと迫ってやろうと近づいたら、あいつはすっと寝台に身を倒し、ごろりと背中を向けてしまった。
「なんだよ今さら。減るもんじゃないだろー?」
 ムキになって抗議した。
「そういう問題じゃない。任務中にそんなことをすること自体、不謹慎だ」
 あいつはお固く反論する。おれは更に続けた。
「たかがチューじゃんかー」
 だけど、横たわる背中は動かなかった。とうとう飽きて、おれは自分の寝台に戻る。仕方がないから寝具に潜り込んだ。
 まったく。頭、固いよな。まるで藍兄ちゃんみたいだ。
 ぶすくれながら目を閉じる。疲労のせいか、眠りはすぐに訪れた。

 おれはぐっすりと眠った。翌早朝、例の爆発に襲われるまで。