今、ここに在ること
  by (宰相 連改め)みなひ




ACT25

 もう、「理由」を考えるのはやめよう。
 お前が俺を求めた。俺といたいと言った。
 それだけで、いい。


 木々を駆ける。目粉しく変わりゆく視界。背中には、あいつの気を感じていた。
「一休みしようぜー!」
 後ろの碧が言った。太陽の位置を確認する。もう昼すぎか。
「わかった」
 俺は足を止めた。どこか休憩に適した場所を探す。あそこ辺りが妥当だ。
「あっちだ」
 顎をしゃくり、少し離れた所にあるクスの大木へと移動する。一際がっちりとした枝に飛び乗り、俺は碧を待った。
「腹減ったー」
 情けない声を出しながら、碧が枝に飛び移ってくる。すぐに枝の上に座り込んだ。
「なあなあ、お昼にしようぜ。腹が減ってはなんとやら、だしさ」
 言いながら既に荷物を漁っている。俺は苦笑しながら荷を下ろした。まったく、どんな時にも碧はマイペースだ。
「藤おばちゃんのおにぎりっ!腐らないうちに食べなきゃなー」
 碧はほくほくと竹の皮に包まれたものを取り出す。それは今回の任務の為に、藤食堂のおかみが特別に持たせてくれたものだった。中身はシャケわかめとおかか、自家製の昆布の佃煮。
「いっただっきまーす!」
 元気よく碧は手を合わせた。いつも通りに。何事もなかったように。たぶん、それがこいつの全てなのだと思った。今あるものをありのままに受け止める。だからこそ俺は、ここにいるのだと。


『ばかやろうっ!』
 任務に際し、全てを終わらせようとした俺を、碧は殴った。全く予想外だった。拒食で弱り切った身体は耐えられず、畳の上へと倒れた。息つく暇もなく碧に胸ぐらを掴まれ、引き上げられる。
『ふざけんなっ!』
 見据える空色の瞳が、怒りと憤りに燃えていた。俺は目を見張る。どうして。なぜ。
『おれはおまえの水鏡になりたいの!なんで駄目なんだよ!』
 確かにそれは何度も聞いた。しかしそれは、皆に「水鏡」として認められたいからではないのか?あいつは「御影」として宣旨を受けられるようになりたいと言っていた。「昏」である俺と組めば、皆は認めざるをえない。その為に俺といるのはないかと思っていた。そんな俺の画策は、次のあいつの言葉に叩きのめされた。
『初めてお前に会った時、すごい奴だと思った。こんな奴といっしょにやりたいって思った。だから、おまえと組むってわかった時、すっごく嬉しかったんだぞ。おまえに認められたいって頑張ってきたのに・・・・・。“昏”が何だって言うんだよっ!そんなの、関係ねぇっ!』
 一瞬、頭が空白になる。違うというのか。お前は「昏」ではなく、「俺」を求めていたと。あの学び舎の最終訓練の日に、出会った時から・・・。
『取りあげんなよっ』
 子供が泣き出しそうな顔で碧は言った。胸元を掴むあいつの両手に、更に力がこもる。
『勝手に取りあげんなーーっ!!』
 叫びは純粋だった。必死に求めている。何も隠さず、何も偽っていない。目の端に零れた悔し涙が、それを雄弁に物語っていた。 
『おれ、嫌だって言ってないっ!帰りたいなんて言ってないっ!一度だって言ってないぞ!あれだってちゃんとやってるじゃないかっ。なのに、何でお前は一人で決めちゃうんだよっ!』
 力を使わなくとも流れ込んでくる。悔しい。悲しい。碧の生の気持ち。俺の中を駆け巡った。
『おまえといたいのっ!』
 碧は力いっぱい叫んだ。ありったけの意志を俺に示した。そして、それ程俺を救うものは、他にはなかった。 
 俺にはわからなかった。碧が俺といる理由が。俺に身を任せる理由が。でも。
 「理由」など、碧にはどうでもいいことだったのかもしれない。
 自分が一緒にいたいから、いる。
 一緒にいるためにそれが必要ならば、やる。
 そういうことなのかもしれない。


『お前さ、あいつを大切にしなきゃイケナイよ』
 今回の任務を申し渡した後、碧に昼飯を買いにいかせた上で銀生は言った。
『あいつ、記憶戻ってないんでしょ?』
『ああ』
『なら、他にはいないと思うよ。“昏”どころか“お前”まで受け入れオッケーな奴。記憶を操作されていても、深層心理にお前を刻んでいたのかね。これはもう、“刷り込み”ってやつ?』
 うんうんと首肯きながら、銀生が告げる。悔しいが、今回ばかりは言葉がなかった。すべては俺に咎がある。あいつを制したのも、倒れてあいつに迷惑をかけたのも、他ならぬ自分だ。
『とにかくさ、もう抵抗するのはやめたら?意地張るのもやりすぎたら惨めなだけよ。ね?』
 子供を諭すように言われた。こいつはろくなことをしなかったくせに、俺の保護者意識は高い。それならもっと、まともな扱いをしろと言うのだ。別にかわいがって保護してくれとは言ってない。ただ、普通に同族として接して欲しかった。
『何よ。気に入らないの?』
 黙っていたら覗きこまれた。反射的に睨み返す。睨んだ意味をどう取ったのか銀生が、一重の目を細くして言った。
『そんなに気に入らないならさ、お前があいつの頭を塗り替えればいいじゃない。できるでしょ?』
 「昏」の力のことを言っているのか。そんなこと、できてもやらない。やりたくない。こいつならやるかもしれないが、俺にはできない。それほど自分は強くないのだと自覚する。
『気に入らないわけじゃない。任務もあいつと行く。俺が考えているのは、もっと違うことだ』
 しぶしぶ口を開き、そう返した。必要な事は言っておかねば。先に手を打たれても困る。
『ふーん。なら、いいけど』
 銀生は小首を傾げて返した。解せない表情。別に気にしない。こいつにわかってもらわなくても、俺自身が納得できればそれでいいと思っている。
 碧は「俺」を求めた。
 それが俺にとってどんな意味をもつのか、恐らくあいつはわかっていない。だがいい。
 求められている事実には変わりないし、俺にはその事実だけで十分なのだと思う。
 あとは、俺自身の問題。
 俺があいつといるにふさわしいか。それだけだ。


「ほら、食えよ」
 ポンと手元に何かが放られた。確認する。赤じその握り飯。碧のよこしたものだった。
「やっと食えるようになったんだからな。また、あん時みたいに倒れられたら困るんだよっ」
 びしりと指を差される。俺は苦笑した。拒食の原因などない。一番の原因だったのは、お前の心がわからなかったこと。本当にお前といていいのか、自分で判断がつかなかったこと。だから、もうないのだ。
「さっさと食えってば!」
 癇癪宜しく怒鳴られる。おとなしく言うとおりにした。碧がホッとした顔をする。
「・・・・うまいな」
「な!そう思うだろ〜?藤おばちゃんの握り飯って、サイコーだよなっ」
 にっこりと碧が笑う。その笑みが俺に食べ物の味を思い出させる。あんなに何も感じなかった五感に、新しい感覚を吹き込んでくれる。
「任務、頑張ろうぜ」
 握り飯にかぶりつきながら、ぼそりと碧が言った。俺は頷く。固く心に決めて。

 守りきってみせる。
 必ずお前と生き抜いてみせる。
 それで、お前といられるのなら。 

 短い休憩と昼食の後、俺達は今回の任務地である和の国の西方、西央(せいおう)の砦へと足を進めた。