| 今、ここに在ること by (宰相 連改め)みなひ ACT1 一番大切な記憶にあるもの。それは蒼。 まるで晴れた秋の空みたいな、蒼い蒼い色だった。 宝石みたいな瞳を持つ、そいつはおれを見つけた。 「・・・・何してるんだ」 クスの木から落ちて、運よくひっかかってたおれに、そいつは無表情で訊いた。 「なにって、ひっかかってるんら(だ)ようっ!おろち(し)てようっ」 半泣きになって訴えるおれに、そいつは不思議そうに首を傾げた。長めの銀色の髪が、動きに合わせてきらりと光る。 「降ろせばいいのか?」 「こわいよう、はやくち(し)てー!」 叫んだと同時に引っかかっていたクスの枝が折れて、したたか地面に尻を打ちつけた。 「いったーい!ひどいようっ」 尻をさすりながら抗議すれば、また不思議そうな視線が向けられた。大きく見開かれた、蒼色の眼。 「器用だな」 「きおうってなんだよっ」 「『きおう』じゃない。『きよう』だ」 「それなんだよっ!へんなこと言うなっ」 わかんないことばかり言うから、大怒りしてわめいた。目の前にいたあいつは、それを無表情で眺めている。 「木から降ろしてやった。俺は行く」 「降ろち(し)てないぢゃないかぁ!落とち(し)たくて(せ)にっ!」 さっさと行こうとするのに腹を立て、後をついて回ったのが最初。それから、おれは奴を追いかけ続けた。 出会った日、おれは初めて研究所を抜け出していた。興味本位で木に登ったのはいいが、足を滑らせてあのザマ。そこに通りかかったのが奴だった。隔離されて育てられていたおれには、そいつが初めて見る同年代の子供だった。 「ねーねー、今日はろ(ど)こいくの?」 「うるさい。ついてくるな」 たびたびまとわりつくおれを、そいつはいやそうに振り払った。あんまり邪険にするものだから、おれも意地になってつきまとった。そいつが一人で何をしてるのか、すごく興味があった。 「なあ、と(そ)れうまい?」 「・・・・欲しいのか?」 「うんっ、はらへった〜」 「ほら」 「わあ、ありがと〜」 そいつは森をよく知っていた。森で食べ物を調達し、魔法のような術でそれを調理していた。いつも無愛想だったが、しつこくねだれば食べ物を分けてくれた。 「お前、どこから来てるんだ?」 「えっとね、あっち〜」 「あっちじゃわからない」 「うーんと、むこう」 「もういい。わかった。あっちだな」 そいつは表情がなくて口数も少なかったけど、いつもちゃんと話してくれた。もちろん、最初はいやそうだったが。言葉がうまく発音できなくて、サ行がタ行になり、ダ行がラ行になってしまうおれと。金髪に碧い目で、研究所では嫌がられていたおれと。あいつは話してくれたのだ。 おれはすごく嬉しかった。話してくれないと寂しいから、いつもつきまとってはべらべらしゃべっていた。 「おまえ、つ(す)ごいね!くれるたべもんもうまい」 「あまり嬉しくないな。お前に言われると、食べものと同列になった気がする」 そいつは頭がよかった。たぶん同じ年くらいで、おれより少し背が高いくらいなのに。大人みたいな難しい言葉をよく使った。半分以上、おれには何を言ってるのかわからなかった。 「お前、ここに来て大丈夫なのか?家の人とか心配してないのか?」 「いえ?と(そ)れなに?いえのひと?おれち(し)らない。ここ来るのはへいきら(だ)よ。ぬけら(だ)ち(し)てもわかるように、これつけてくれた」 あまり研究所を抜け出すものだから、おれには発振器がつけられていた。今思えば苦肉の策だったのだろう。研究所の敷地には結界が張られていて、普通は抜け出せないはずなのだが、おれには意味をなさなかった。 「『家』も『家の人』も知らないのか。じゃあ、俺と同じようなものだな」 「え?おなぢ(じ)なの?やったぁー!」 「何を言ってる」 「ら(だ)って、おまえの目、あおいもん。かみの毛も黒くないち(し)。だから、おなぢ(じ)」 期待いっぱいで言えば、きつい視線を投げられた。 「違う。・・・・・俺と同じ奴など、いない。家族のことを言ったんだ」 もどかしげに、苛立たしげにそいつが言う。おれは脅えてしまった。鞭のように、叩きつける声だったから。 「・・・・・すまない。驚かせたな」 おれの顔を見た後、そいつが苦笑して言った。いつもの声に戻っている。おれは、やっと安心して笑った。 研究所を抜け出して森へ行く。 森へ行ってあいつに会う。 あいつに会って、あいつとしゃべって、ウサギや鳥を追ったり果実や山菜を取ったりする。 あの頃、毎日が楽しかった。 さすがに雨が降った時は、おれは鍵つきの部屋に入れられ、森に行くことができなかったけど。 それでも、とても楽しかったのだ。だけど。 そんな日々は、長くは続かなかった。 「馬鹿っ、逃げろ!」 何が起こったのかわからなかった。そいつが声を荒げるのを、初めて聞いたと思っただけで。 「逃げろったら!」 ドンと突き飛ばされた。勢いで5メートル位転がる。大きなクスノキに当たって止まった。痛いじゃないかと奴のいた方を向く。信じられないものを見た。 次々と上から降ってくる大岩が、見る見る間に小さな石礫になっていった。石礫はそいつを避けて落ちてゆく。まるで見えない壁があるように。 「大丈夫か」 全ての岩が砕かれた後、奴がこちらにやって来た。蒼い瞳はさらに蒼く、銀色の髪はゆらゆらと逆立っている。 きれいだあ。 恐いよりも先に思った。大岩たちを砕いたのが、そいつかもしれないのに。 おまえ、きれいだ。 そう言おうとした時、異変が起こった。 「うわっ!あ!」 かまいたちに襲われたように、そいつの身体が切り裂かれてゆく。腕が足が次々と切れて、血が滴り落ちてきた。 どさっ。 軽い音をたてて、そいつが地面に崩れる。 「なあ、ろ(ど)うち(し)たんら(だ)ようっ!」 駆け寄って揺する。そいつの目は、うつろに開いたままだった。どくどく。流れ続ける赤い血。止まらない。 「ねえっ!おきてようっ」 半泣きで言った。ぐったりと動かない身体。冷えてゆく体温。 やだ。 ひとりにしないで。 「ち(死)んじゃやら(だ)ーーっ」 力の限り叫んだ。その時。 ぱしん。 頭の中で何かが弾けた。意識が遠のいてゆく。消えてしまう直前。 「だめでしょうー?力、使っちゃ」 のんびりと話す、大人の男の声がした。 目が覚めた時、おれは研究所の中にいた。 「残念だけど、森にいくのは禁止するよ」 世話をしていた人が言った。おれは鍵のかかる部屋に入れられ、そこから出してもらえなかった。 数ヶ月後、桐野の家に引き取られる日まで。 |