今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




ACT14

 あいつを視た。
 あいつを抱いた。
 わかっている。
 自分がどれだけ、卑怯なことをしたか。



 がさりと朝飯の袋を置いた。奥で丸まってる布団を見やる。反応はない。
 起きてないのか。
 規則正しく揺れる布団に、少なからず動揺した。意外に感じる。あんな目にあった後だから、さぞ警戒しているだろうと思っていた。それどころか、いつでも逃げ出せるように結界を解き、気配を消さずに帰ってきたのに。
 違う。それほどダメージが大きかった、ということだ。
 自らの行動を振り返って思い直した。起きられなくて当たり前。心も身体も、許容値を超えてしまったのだろう。
『余計なお世話だ!』
 碧の叫び。その言葉を聞いた時、俺の中で何かが切れた。拒絶を表す言葉。あいつの口からだけは、聞きたくなかった。それを聞きたくないが為に、あいつとの接点を作らなかったのに。
 生まれてこのかた、あらゆる者達から俺は忌まれてきた。表立って口にするものはいない。それでも、「昏」の力は容易にそれを感じ取らせてしまった。怖れられて、蔑まれて。「銀鬼」と呼ばれる本来の姿は、この国では禁忌の存在でしかなかった。けれど。
 碧は俺を怖れなかった。嫌うどころか、後をついて来さえした。あいつだけは、俺を否定しなかったのだ。
 俺にはあいつしかいなかった。碧を見守り、碧を想う。あいつを想い続ける限り、俺は俺でいられると思った。
 皆の怖れる「銀鬼」ではなく、人として過ぎた力を持つ「昏」でもない。たったひとり残された「末裔」でもない。ただの「俺」に。でも。
『おまえこそくどいんだよっ!おれのことはおれが決める。そう言っただろ!』
 切れたものを繋ぎ止める間もなく、碧は追い打ちをかけた。はっきりと感じる。「終わりだ」と。

 終わりなのだ。
 俺はもう、「俺」でいられない。
 あいつを想うことさえ、俺には許されないのだ。

 「俺」でいることができないのであれば、あとはただ一つ、「昏」でいるしかない。
 もう一人の自分が言った。逃げ道などない。所詮、お前は「銀鬼」。傷つけたくないなどと人間並のきれいごとを吐かずに、「昏」は「昏」らしく、欲しいものは奪えと。
 迷いはなかった。否、迷うだけの余裕もなかった。
 俺は碧を視た。内部を「壊して」はいないが、あいつの意識と身体を支配した。碧には想像もつかなかっただろう。他者に自分を乗っ取られ、心の奥まで視られる恐怖など。
 そして俺は、完全に抵抗を封じた上で、あいつと身体を繋いだ。
 震える肌。戦く舌。開かれたままの瞳。
 碧を脅かしている、苦しめている自覚はあった。もちろん罪悪感も。だけど。
 噴き出てしまった感情が、理性を大きく凌駕していた。ずっと押し殺してきた自分。無理だと言い聞かせて、耐えろと抑え込んできた自分。碧を求めて、碧が欲しくて、たまらなかった自分。

 見守るだけでいいなんて嘘だ。ずっと、この手にしたかった。
 触れて。掴んで。楔を打って。

 これだけの事をした俺を、碧は許さないだろう。当たり前だ。自分の頭に侵入し、支配して蹂躙する奴など誰が許すものか。
 あいつに否定されること。銀生が言ったとおり、正直、これだけは避けたかった。しかし。
 すべての元凶は自分にある。 
 幼い日にあいつを見つけたのも、助けて相手をしたのも、卒業前の合同訓練の時、手を出して庇ってしまったのも俺。
 俺があいつを巻き込んだのだ。
 なぜ求めてしまったのだろう。自分がいかに厄介者であるか、嫌と言うほど知っていたのに。俺は欲してはいけなかった。一人で耐えなくてはいけなかったのだ。なのに、あいつを想うことで、俺はそれらをやり過ごしてきた。自分の弱さが、全てを招いたのだ。
 すまない。
 そっと布団に近づき、傍らに座った。心から謝罪する。わかっている。謝って済むことではない。それでも、せめて真っ向から受けようと思った。あいつの恐怖も。蔑みも。嫌悪も。
 これでいいのだ。
 自分に言い聞かせた。最悪の形をとってしまったけれど、これで俺と碧との接点はなくなる。目を覚ましたあいつは、もう二度と俺には近づかないはずだ。傷は残ってしまうだろうが、あの義兄がいる。きっと、心底碧をいたわってくれるだろう。血のつながらない人々の中とはいえ、あいつは愛されて育った。きっと、立ち直れる。結果的に、碧は自分の世界に帰ることができるのだ。元の、俺のいない世界に。
「結局やっちゃったんだー。なんだかんだ言っても、やっぱお前も同族だねぇ」
 銀生の声が聞こえるような気がした。当分、しつこく言われるだろう。あの義兄だってそうだ。俺の命を狙ってくるかもしれない。だが、いい。碧さえもとの場所に帰ってくれるのならば、それは大した問題じゃない。
 そろそろ時間だ。起こそうか。
 どう声を掛けようかと、俺が躊躇っていた時。
「はらへったー」
 布団の中から、あいつのくぐもった声がした。ひょこりと顔を出し、ごそごそと這い出してくる。
「碧」
「なんか、いいにおいがする。あれだっ」
 俺の方を見ようともせずに、碧は握り飯の袋を見つけた。起き上がろうとして、顔を顰める。後ろめたくなってしまった俺は、袋をあいつの目の前に置いた。
 ちろり。
 一瞬、碧は俺を見やったが、すぐに視線を袋に移した。ガサガサと中身を取り出し、眺めている。
「同じだ。これ、しゃけが中まで混ぜこんである」
 ぱくり。
 意味不明の言葉に混乱する俺をよそに、あいつは握り飯にかぶりついた。黙々。黙々。つぎつぎと握り飯を平らげる。三個目を食べ終わったところで、碧はくるりとこちらを向いた。
「なあ」
「何だ」
「これ、おまえの驕りだよな?」
 半分退いてる俺に、あいつは淡々と訊いた。問われた俺が動揺する。もっと責めたてるだろうと思っていたのに。予想と違い過ぎる反応に、対処が考えられなかった。
「驕って、くれるんだよな?」
 二回目。念を押すように訊かれた。声が出ず、やっとのことで頷く。もともと買ってきた握り飯は、碧にやろうと思っていた。こんなもので許されるとは思っていなかったし、食べられるとは思わなかったが。
「じゃ、四個め食うぞ」
 ぼそりと告げて、碧はまた握り飯を詰め込んだ。黙々と口だけを動かせる。
「銀生さんに言っといてくれよ」
 六個目の握り飯を平らげたあと、碧は口を開いた。
「今日、訓練休むって」 
 碧はまっすぐ俺を見た。透き通る空色の瞳。あの頃と何一つ変わらない。たまらず、俺は視線を逸らした。
「ああ」
 声を絞り出して応える。碧はそっぽを向き、また布団の中へと潜り込んだ。
「握り飯は・・・全部食っていい。十個買ってきた」
「うん」
「この家に鍵はない。結界も解いて行く」
「わかった」 
 必要な事だけを告げて、俺は玄関へと向かった。ぴしゃりと戸を閉める。中の気配に、動く様子はなかった。
 昼になったら動けるだろう。そうしたら、あいつは家に戻れる。温かい、自分の家に。
 帰る頃には無人になっているだろうわが家を振り向き、俺は地を蹴った。