本日モ荒天ナリ〜御影出張所日記〜 by近衛 遼 ACT24 昏、開眼する 薄い結界の隙間から、昏が私邸の中に入り込んだ。ほとんど抵抗はない。藍が、結界の波長を昏に合わせて変えたらしい。 時を同じくして、碧が招聘の術を使った。空間が歪む。それに対する藍の応対も早かった。豊甜の本体が結界の中に入ったと見るや、それまでとはくらべものにならぬほどの強固な封印結界を上乗せしたのだ。 『やりすぎはよくないですよ』 銀生は遠話で釘を差した。 『完全に塞いでしまったら、昏の力が中で暴発しますから』 そうなれば、共倒れは必至。うっかりしたら碧も巻き添えになるかもしれない。 『わかりました』 わずかに力を緩める。と同時に、結界自体にカムフラージュを施した。 あらあら。そーんなこともできるようになってたんですか。 銀生は苦笑した。一年以上、一緒に暮らしているというのに、あんたはまだ俺に全部を見せてくれてなかったんですねえ。まあ、それはお互い様かもしれないけど。 銀生は目を閉じた。内に眠る瞳を呼び出す。蒼く冷たい「鬼」の力を。 豊甜の本体が「器」と一体化したのがわかった。 『額を狙え』 昏に指示を飛ばす。 『そこに本体と器を結ぶ印があるはずだ』 『承知』 昏の瞳に移るものが、銀生の脳にも伝わる。 敵もさるもの。昏ではなく碧に攻撃の矛先を向けてきた。なるほど。術者を先に片付けようというわけか。たしかに、攻撃力においては碧は昏の足元にも及ばない。 けど……ねえ。 それ、火に油だよ。もうだれも、昏を止められない。碧にかすり傷ひとつでもつけたら……あーあ。やっちゃったねえ。 解明の術と招聘の術を使い、さらには昏を保護するための結界を張っていた碧は、自身の防御には無頓着だったらしい。豊甜の放った風術による攻撃をまともに食らい、吹き飛ばされてしまった。 「碧っ!!」 昏の叫びが銀生の脳裡に響いた。 かっ、と閃光が走る。 『くっ……!』 藍の苦しげな声が聞こえた。昏の攻撃の余波をまともに受けたのだろう。結界を極限まで広げて、その衝撃に耐えている。 もう少し。 もう少し、もちこたえてくれれば……。 蒼い双眸、銀色の髪。何重にも張られた結界の中、つねとは違う姿で、昏は豊甜に対峙していた。 『読めたか』 昏に問いかける。昏は頷いた。 『次で、終わらせる』 『頼むよ。でないと、藍さんも碧もタイヘンだから』 『わかっている』 銀髪が逆立つ。ゆらゆらと「気」が高まって。 昏が横一文字に印を切った。あらゆる角度でそれが到達するように空を飛ぶ。 『封塞!』 細かく緊縛印を投げる。そして。 『断!』 豊甜の額に向けて、最後の一撃が落とされた。 翌未明。 抜け殻となった豊甜の「器」を冠に引き渡したあと、銀生は昏とともに郊外の屋敷に戻った。当然ながら、碧や藍も一緒だ。 「今日は碧も有休ですねえ」 包帯だらけの碧を見て、銀生が言った。 「えーっ。だいじょーぶだよ、これぐらい。藍にーちゃんが大げさすぎるんだよ。こんなにグルグル包帯巻いちゃってさー」 「おまえには、大げさなぐらいでちょうどいいんだ」 いままでの経験からか、藍がそう断言した。 「『御影』の補佐をするのが『水鏡』の仕事だとはいえ、自分の身を後回しにする必要はない。水鏡を盾や囮にするような御影など、すでに御影の資格はないんだからな」 豊甜が碧を攻撃したときのことを言っているのだろう。べつにあれは、昏が碧を「囮」にしたわけじゃないんだけどねえ。 「今回は大事には至らなかったが……」 「藍にーちゃん」 碧が碧眼をしっかと見開いて、言った。 「……なんだ」 「『水鏡は御影のためにある』」 「碧……」 「『対』の宣誓をしたときに、冠のおっちゃんに言われたんだ。だから……」 にっかりと笑って、続ける。 「おれ、がんばる。もっともっとがんばって、昏におれのこと、すごいって思わせる。今度だって、すっごくがんばったんだから」 そうだよねえ。あの石頭の術者に半月以上もしごかれたんだから。よくやったと思うよ。 銀生は、藍の肩をぽんと叩いた。 「まあまあ、藍さん。終わりよければすべてよし、ってことにしましょうよ。碧のケガもたいしたことなかったんだし」 怪我の具合からいうと、いま地下室に籠もっている男の方が重傷だ。外見が元通りになったら、医療棟に連れていかねば。 いま、昏は銀髪に蒼い目の姿で、地下室にいる。銀生の張った強固な封印結界の中に。 血の濃さゆえなのだろうか。「力」を使ったあとに昏がふだんの姿に戻るまで、ほぼ一日かかる。その姿は和の国では禁忌であった。 「銀鬼」。 かつて和の民にそう呼ばれ、恐れられた昏一族の血。十八年前に断絶したはずの、特殊な能力を有する一族の。 昏はその一族の末裔だ。生まれてすぐに同族の者たちが互いに殺し合うという悲劇に遭遇し、名を与えられることもなく両親を失ったため、昏は一族の名を自身の名とすることになった。 重いだろうねえ。 銀生は思う。おのれの一生だけでもたいへんなのに、死んでしまった一族のぶんまでさだめを引き受けなければならないなんて。 もっとも、昏がそれを受容しているとは思わない。「昏」の血など、自分の代で絶えてもいいと思っているかもしれない。 銀生でさえ、この「血」には辟易したことがある。こんな能力なんて要らなかったと何度思ったことか。 銀生は孤児だったが、どうやら先祖のだれかが昏一族の出身であったらしい。あるとき急に両眼が蒼くなり、透視や遠見が無意識のうちにできるようになった。育ての親がそんな銀生を学び舎に連れてきて、そのまま御影研究所に送られた。それが五歳のとき。 あれから、イロイロあったよねえ。 しみじみと思い出す。研究所で育てられて、十のときにいきなり御影本部に配属させられて。 一生、あのままかと思っていた。この能力が必要とされる場所は、ほかにはないとわかっていたから。こんな自分が、都に出てくるなんて思ってもいなかった。それも、まがりなりにも表の仕事を任されるなんて。 つらつらと過去のあれこれを思い出していると、 「ねえねえ、藍にーちゃん」 包帯を巻いた手で、碧が藍の服を引っ張った。 「腹へったよー。なんか食べるもん、ないの」 たしかに、皆、昨朝から水や携帯食料以外、口にしていない。 「え、ああ、そうだな。飯を炊こうか」 「えええーーーっ、いまから炊くの? そんなの待ってらんないよー」 碧が泣きそうな顔で言った。 「もういいよ。おれ、いまから藤おばちゃんの店に行ってくる!」 藤食堂は午前七時から朝定食もやっている。 「昏には、握り飯買ってくるって言っといて」 そう叫ぶと、碧はどたどたと座敷を出ていった。 |