本日モ荒天ナリ〜御影出張所日記〜  
by近衛 遼




ACT25 特務三課の素晴らしき日常

「じゃ、ヨロシクね〜」
 如月水木は銀生にぴらぴらと手を振り、碧の頭をがしがしと撫で、昏にはウィンクを投げ、藍の目の前を素通りして三課のオフィスを出ていった。そのうしろを、斎が追う。
 水木と斎は、翡晶たちを護衛して、ふたたび槐の国へ向かうことになったのだ。夏氏の件が片づいたあと、翡晶は槐王の名代として九代目御門と会見し、西方への商業ルートに係る協定を取り結んだ。その協定書を携えての帰国である。万一のことがあっては大変だ。
「そーんな大事な仕事があるっていうのに、どーしてこんなに買い込んじゃったのよ」
 銀生はオフィスの机に山と積まれた荷物を見て、言った。
「あーら、だって、今度いつ都に出てこられるかわかんないじゃないの。今年の流行は押さえておかなくっちゃね〜」
 都で一、二を争う有名な服飾品店や靴屋や宝石店の紙袋。御門御用達の酒蔵の銘酒に同じく御用達の菓子屋の干菓子。さらには「一文字屋」のせんべいや「鳩屋」のサブレまである。たしかに「一文字屋」も今年の流行のうちだが。
「だからって、買いすぎでしょーが。まさかこれ持って、護衛の任務に就くつもりじゃないだろうね」
「あったりまえよー。だから、ここに来たんじゃない」
「へっ?」
 銀生の目が丸くなる。
「ほんとは、あんたんちに置いてこようと思ってたんだけど、そこのお局さんに断られちゃったのよ」
「お局さんって……」
 ちらりと横を見遣る。特務三課の主任にしてデスクワークの達人である桐野藍は、眉間にくっきりとしわを刻んで今回の件の「表向き」の報告書を作成していた。
「そーゆーワケだから、アタシたちが帰ってくるまで、この荷物、預かっててよ。『一文字屋』の詰め合わせ、ひと箱あげるから」
 パール入りのルージュで彩られた唇が、笑みの形を作る。
「それで足んなきゃ『鳩屋』のサブレも……」
「わかったわかった。二階の部屋に放りこんどくよー」
 とうとう銀生は根負けした。水木は「特別に酒も一本、おまけしとくわね〜」と機嫌よく任務に出かけていった。
 あとで藍に嫌味を言われるかもしれない。が、それもまた一興だ。夏氏の件に関わってからなにかとすれ違いが多くて、たまに時間がとれても袖にされることが多かったので、そろそろいままでのぶんを取り返したい。
 報告書を提出してしまえば、あとは急ぎの仕事もない。水木たちもいなくなったし、今夜あたり久しぶりに……と思っていたら、目の前にばさりと分厚い書類が二組、差し出された。
「確認印を」
「全部、目を通してからにしてくださいよ」
 黒髪黒眼の部下ふたりに、氷点の視線を向けられた。
 うわあ。お局さんがダブルだよ。
「総務部に提出するぶんと、冠さまへの報告書に矛盾があってはなりません。そのあたりを、とくに注意してください」
「そーゆーのは、藍さんと昏で打ち合わせをして……」
「やってある」
「やりました」
 ふたたび、ダブルで断じられた。
「ですが、それを確認するのは、特務三課の長であるあなたの仕事です」
 ぴしりとトドメをさされ、銀生はそろそろと書類を受け取った。
「ええと、あしたまででいいのかな」
「今日中にお願いします」
 にべもない。
「それはムリですよ〜」
「クロスワードパズルや詰め将棋や賭け札のウラ技開発なんかに血道を上げなければ、大丈夫です」
 トドメ、パート2。
 仕方なく、書類とオトモダチになることにする。この類の仕事は苦手だが、これも今夜の布石だと思ってがんばろう。終業時間までに書類の確認を終えれば、きっとこっちの言うこともきいてくれるはず。
 いろいろフクザツな状況が絡み合って始まった関係だが、少なくともいまは、この人は俺を信じてくれている。そして、もちろん俺も。
 まあ、その、「信じる」という言葉の定義が、この人と俺とで多少違うような気もするのだが。
「飛ばし読みはやめてくださいね」
 細かいチェックが入る。
「してませんよー、そんなこと。俺を信じてないんですか?」
「事務処理に関しては、あなたは学び舎の生徒以下ですから」
「またそんなこと言って〜。イジワルするのはアノ時だけにしましょうよー」
「勤務中は、職務に関すること以外、口にしないでくださいっ!!!」
 通常の三倍の音量で藍が叫ぶ。
 あー、いいなあ。やっと「日常」が戻ってきたような気がする。
「碧! おまえ、いくら術が上達しても、書類の書き方がこれじゃ、話にならないぞ」
 今度は碧にも、小言を言っている。
「だーって、面倒臭いんだもん。ちゃんと仕事やってんだから、いいじゃんかー」
「任務は復命をもって完了する。報告書が書けなくては、一人前とは言えないぞ」
「そんなの、昏がやってくれるし」
「おまえは昏に頼りすぎだっ」
 あーらら。ちょっと感情的になってるねえ。ま、昏に借りを作るのが嫌なのはわかるけど。
 ふたりのあいだでは、もう話がついてるだろうに。それを云々するのは、越権行為……というか、やっぱり、単なるブラコンだよ。
「昏」
 藍が黒髪黒眼の部下を見据えて、言った。
「今後、やむを得ない場合を除いては、報告書の代筆を禁じる」
「……承知」
 憮然とした顔で、昏が答えた。碧はぷーっと頬を膨らませていたが、なにも言わずにデスクに戻った。ぼそぼそと、何事か昏に囁く。
 うまいねえ。絶妙のタイミングだよ。ほとんど動物的カンと言ってもいいほどの。
 だからね、藍さん。そろそろ認めてやりましょうよ。あいつらには、あいつらの生きる道がある。もしかしたら、生きられなかったかもしれないふたりだから、なおさら……。
 銀生が彼らの生い立ちに思いを馳せていると、
「よおーっす……って、ありゃりゃ、めずらしいもん見ちまった」
 ノックもせずに入ってきたのは、特務一課の課長、鬼塚修造だった。
「おまえが机にかじりついてるなんざ、あしたは嵐だな」
「なによー。久しぶりに会ったと思ったら、ずいぶんな言い草だねえ」
 うらめしそうに、銀生。
「鬼塚課長」
 藍がちらりと戸口を見た。
「ご用件を承ります」
「用ってほどのこたぁないんだが、ちょっと時間が空いたもんでねえ」
「『遊び』なら、本日はご遠慮ください」
 きっぱりと告げる。
「なんか、急ぎの仕事かい?」
「社課長には、報告書の確認をお願いしておりますので」
「報告書って……ああ、例のやつな」
 夏氏の件に関しては、鬼塚や錦織も承知していた。
「だいぶでかいヤマだったもんなあ。わーかった。今日んとこは引き上げるよ。あ、けどよ、あとで打ち上げやろうってことになってるから、七時に『鳥八』な」
 「鳥八」というのは、鬼塚が贔屓にしている焼鳥屋である。
「えーっ、今日? そりゃムリだよ」
「なに言ってる。いくらおまえがデスクワークが苦手だからって、主任さんが監視してりゃ、夕方までにカタがつくだろ」
「そりゃそうだけど、おまえらに付き合ったら、二次会三次会はあたりまえ、うっかりしたら朝までかかるでしょーが」
「んー、まあ、そういうこともあるわな」
 煙草をくゆらせつつ、うそぶく。
 なーにが「そういうこともある」だ。毎回、まるでサバイバル演習みたいにハシゴするくせに。
 銀生も酒は好きだが、今夜は酒よりもアレだ。せっかくの機会を無にしてなるものか。
「とにかく! 今日は俺、パスするから。錦織や伊能にそう言っといてよ」
 「打ち上げ」と称する飲み会の面子は、毎回ほとんど同じである。
「へーえ。いいのかねえ、それで」
 含みを持たせた口調で、鬼塚が言った。
「なにがよ」
「今回の件では、俺たちもイロイロ骨を折ったんだけどねえ」
 要するに、事が公にならぬよう、煙幕を張っていたということか。
「……あしたにしてくんない?」
 精一杯、譲歩する。
「あしたはみんな、都合が悪くてねえ。なんとか顔だけでも出してくれよ。じゃ、そーゆーことで」
 にんまりと笑って、鬼塚は事務所を出ていった。
 どうしよう。せっかくの「夜」なのに。いじいじと口をとがらせていると、
「社課長、手がお留守ですよ」
 またチェックを入れられた。
 はいはい。まじめにやりますよ。だから、ちょっとはやさしくしてくださいね。今夜、俺が遅くに帰っても。
 淡い望みを抱きつつ、銀生はふたたび書類に向かった。

 軍務省情報部特務三課。
 表向きは他部署の事後処理や雑務を行なう閑職であるが、しかして、その実体は。
 それは、知る人のみぞ知る。


  (THE END)